尾崎はなぜ「恥ずかしい」のか

尾崎豊ほど、他人と話題にすることがためらわれるミュージシャンも他にいない。現在のように一方で時代遅れなヤンキー兄ちゃんの陳腐な反抗の象徴のように言われ、また一方では心の弱さに開き直って溺れこんでいるような人たちの依存の対象のようになっていると尚更だけれど、10代の彼の全盛期だって、正直尾崎豊は恥ずかしいという気持ちはあった。
初期のライブで見せていた「やり過ぎ」なはしゃぎ方や、ナルシスティックにも見える演技過剰なところ、たがが外れたように激しい喜怒哀楽。「ロックミュージシャン」のデータが不足しているからこそ、それを過剰に演じているようないたたまれなさ。思春期の只中にガツンとやられて、彼に深い共感と親愛の情を感じている僕でも、いや、そんなふうに彼に対して大きく針が振れてしまう自分のような者だからこそ尚更、恥ずかしさに心当たりがあり過ぎて、いっそういたたまれなくなる。
それは、誰もが一度は通る青臭さ、ではすまないところがある。それだけのことなら、青春パンクの形式をなぞるバンドなんか今ではいくらでもいるし、そうした「等身大」ぶりは今や普通に容認できる範囲の「恥ずかしさ」でしかない(ガガガSPの尾崎叩きソングなんていうのは、そうしたなんてことない恥ずかしさを、尾崎のただごとでない恥ずかしさを叩くことで誤魔化してしまおうという、下を作って踏み台にするような、ちょっとズルい保身の図式だ)。

尾崎豊のわかりにくさ~迷走の正体

尾崎豊の歌は本当はちっとも等身大なんかじゃなかったと思う。むしろいつでも何かわざとらしくて、彼ほど「自然体」でいられないミュージシャンも他に思いつかないくらいだ。その言動は本音というより、「かくあるべき何か」の演技だった。それもまずい演技だった。いつでも自意識の恥を振り切るように、何か正しさや純粋さに同化しようとし、所在なく迷い、探していた。それは現在から見れば、ある意味では鼻持ちならない優等生的なポーズに見えたり、ぶりっ子の媚態のように映ることもあるかもしれない。
そんな尾崎があの時代、「自分に正直」な、若者の等身大の声の代弁者だと言われていた。
尾崎のインタビューでの発言などを細かく見ていくと、物心つくかつかないかの頃から、周りと自分との素の感じ方の違いを強く意識していて、それを恥じ、周りに合わせて過剰に演じていたような気配を随所で感じる。目まぐるしく表情を変える多面体のように見えたのも、いつも目の前の人や状況を気にして合わせ、演技していた結果なのではないか。演技を所在なく自覚するのが恥ずかしいから過剰にのめり込もうとする。時にはそれがそれが八方美人的な作為として不潔に映ることもあったのではないか。これが、どこか芝居がかって見える尾崎のわかりにくさであり、いつも漠然と漂っていた不穏なちぐはぐさの正体だと思う。
ロックスターになることでファンの期待に応えようと、等身大の自分を見失ったという、よく言われる図式だけでは、まだ足りない。あえていえば周囲の人々、友人に見せていた顔、日常で見せる優等生だったり、明るいヤンキー兄ちゃんだったりする顔も演技だったというべきか。勿論、大なり小なり誰もがいつも演技しているものだが、尾崎の場合、不安定だから目の前の状況や相手と距離が取れずに、過剰に適応しようとしてしまう。好かれようと気弱なサービスをする。いい意味でも悪い意味でも目の前の他人や状況にのめり込み、感情移入しようとして振り回される。距離を見極められないと、自ら隙を見せてバカをやる。相手はそれを尾崎だと思い、他の尾崎を演技だと思う。誰も本当の彼を知らないし、尾崎自身も自分がわからない。けれどその不安定に分裂した状態自体が尾崎だとしか言いようがない。
そんな頼りない孤独の中に彼はいたんじゃないか。演技でも埋まらない、むしろますます分裂する不安定な所在なさを埋めようと歌い、アーティストとしての顔を持とうとした。他人の顔色を窺い演じる必要のない、揺るぎなく信じられる「正しさ」を求めようとしたし、そう意識してしまう「自意識の汚れ」からその瞬間だけでも解放されて無心になるために、わざわざ自分を疲れさせるように走り回り、感情を出し尽くすまで叫ぶようなライブを必要としていたんだと思う。
感情の吐露に没入し、また受け入れられ評価されたために、現実の中に根を持たないその顔が自分の方向として定着してしまい、却って内実は根無し草となり、自分がわからないまま他者との距離感覚を見失った。もともと所在なさ故に苦しみ、それを埋める共感を過剰さの表現によって求めてきたからこそ、再び他者との距離や断絶を「前提」として見つめ、受け入れることに耐えられなくなり、厭うようになった。具体的な相手との距離の認識を積み重ねる中で輪郭を持っていく「自分」の手がかりも失っていった。一足飛びに自分をゆだねられる「普遍」を捕まえようと急ぎ、言葉や認識は抽象にぼやけていった。それがうつろな目で「みんなのために」愛を説くような後期の彼の、リアリティを失った迷走の正体だったのではないかと思っている。

尾崎の家庭的、社会的背景

では、どうしてそんな彼が等身大の反抗のアイコンとして共感の対象になり得たのか。ファンにはよく知られていることだが、尾崎の育った家庭は自衛官で武道家の親父さんの影響もあり、当時としてはかなり厳格で古風だった。ありのままの「個々の本音(というエゴ)」やわがままが、前提として肯定、共有されてはいない環境で育った。けれどそれは彼にとって必ずしも嫌なことではなかった。核家族の鍵っ子で両親との時間には飢えてはいたが、しっかり愛されていることを体感しながら育ち、まじめな気質の彼はそれをまっすぐ受け入れた。父親の倫理観は彼にとってただの建前じゃなく、どこか彼自身の倫理観の根っこ、信じるべき基本的な感性の指針のようになっていた。しかし当時は、そうした倫理観の基盤になるような歴史を持つ共同性が失われ、消費社会と仮初めの個人主義が完成されつつある過渡期だった。だから尾崎の倫理観は、その古風なメンタリティを裏打ちする「社会」という根を失い、漂流しているような状態になってしまった。尾崎がこれから新しい社会で自分の居場所を探し、根を張り、生活のリアリティを模索していくことは、そのまま内と外、過去と未来の分裂を抱え込んでいくことだった。
けれど、郊外と核家族に日常が閉ざされる一方で、まざまな個性を容認しその居場所になれるほど、まだ消費文化は充実も多様化もしていなかった。みんなから零れ落ちずに体裁を整えること自体が生きる目的になっているような、日本人全体がのっぺらぼうのような状態だった。それをごまかすように明るい狂騒に浮かれ、まさに倫理がペラペラでかつ窮屈に建前化したような時代だった。みんなどこかでそれに息苦しさを感じていたからこそ、正しさや純粋さや情熱を渇望する尾崎の声が強く響いた。この状況でこそ尾崎の歌はリアリティを持った。
かつて小沢健二は、たしか恩師の柴田元幸との対談の中で、『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』のジェイ・マキナニーは「練馬」みたいに中途半端でダサい、と発言していたが、尾崎こそはまさに、練馬的なるものとその時代を代表する表現者だったと思う。逆に言えば、歴史の積み重ねの中で蓄えられた厚みとふくらみを持ち、生活の中に倫理の背景になるようなリアリティある形が健在な共同体が健在であったなら、尾崎のような歌は生まれなかっただろう。尾崎自身、処世や建前への小利口な適応にあぐらをかくものという意味での大人の欺瞞には反発したが、「親の背中」は敬愛の対象だったように。
しかし消費社会が充実して人々がそれに適応し、心地よい居場所を見つけてしまえば、不安定さから浄化や輝きを渇望する必要も無くなるし、異質な他者からの理解や優しさを求める必要もなくなる。けれど本当は、様々な人間同士の落差や断絶が本当に消えることなんてあり得ない。気の強いやつ弱いやつ、要領のいいやつ悪いやつ、容姿や才能に恵まれたやつそうでないやつの間の落差は消えない。それぞれのエゴや本音が躊躇なく肯定される世の中というのは、実はそうした資質や能力の差が「自業自得」の恥として、個々の責任に帰せられ、放置されることが正当化された世の中でもある。
みんなのために生きることが自分のために生きることでもあるように、真面目に何かに適応し実直に生きようとすることに「甲斐」を見い出し難く、そんな不器用な人間が「本音」へと煽られバランスを崩しかねない。自分がそういう存在であることの自覚が恥ずかしく困難なまま、同時にやんわりと放置されてしまう。そんな世相の推移の中で尾崎は、それまで倫理を求める心の枷が強かった分、個人的な本音を穏当に受け入れられず、バランスを崩して極端に荒んでしまった。

今、尾崎を求める人。嫌う人。

そして今、この消費個人主義の世の中で、尾崎を求める人というのは、自分の適応する場所を作れていない寄る辺ない落ちこぼれ、と見えてしまいがちだろう。彼ら自身放置され、他者を持たないまま「ありのままでいいんだよ」と虚ろにうなずき合い、相手に自分の思い込みを投影し、閉じた自己肯定に閉塞してしまいがちにも見える。
理解者を求め、互いにもたれ合ってまず安心を得ようとすること自体は、決して悪いことではないと思う。闇雲に自分のコンプレックスや他人の目を気にしすぎることのないよう、仲間との世界を持って自信を得たり、人間関係の中で安心感を得ることは大切だとも思う。けれど同時に、それだけに閉じてしまってはいけない、とも思う。
初期の尾崎は、いつも「自分は何も知らない」「それが恥ずかしく、申し訳ない」という気持ちを強く持っていた。それは彼の不安定さや所在なさから出たものかもしれないが、素晴らしい美点でもあったと思う。中学時代、不良友達を理解したいと付き合い、青学高等部時代は放蕩息子たちに憧れとコンプレックスと反発を同時に持ち、混乱しながら、既に社会の冷たい風の中にいた中学の友人に「お前も同じ学生じゃないか」とたしなめられショックを受ける。この経験の幅と揺れが尾崎の優しさを育んだ。
現在、最も尾崎に近い資質と方向を持ったミュージシャンの一人であると思われるBUMP OF CHICKEN藤原基央は、「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」というフレーズを引いて、「他人に迷惑をかけるヤツなんて」と、たやすく彼を否定してしまう。これには「君の周りには、悪くても尚魅力のある不良な友達が一人もいなかったのか?」と思うし、だから自分の小さな世間への、懐疑を欠いた小心傲慢な納まり方の正当化に開き直ってしまう(その象徴のように、彼等のライブ会場でダフ屋を警察に通報するファンを見た時は、本当に暗澹たる気持ちになった)。オザケンのようにしたり顔で練馬的なダサさを嫌うだけでは、その渦中で生きる人間の力になれはしない。
今、尾崎を毛嫌いする人というのは、要するに、適応し損ねている弱い者に寄したくない、その仲間だと思われたくなくて、真っ先に弱い者を叩いていることに他ならないんじゃないか。場に埋没し、自分の処世やエゴを、恥や罪だと意識しなくてすんでいる者達への、自分の自意識を恥じている者からの違和感と反発。それが尾崎の歌の核にはあったと思う。共感、あるいは同情しても賞賛されることもなければ利得もない、何にも連なれない弱者。大人として、そうした他者への(無関心でない)許容を持たない(持とうとしないことが正当化されているような)社会というのは、本当に嫌だなと思う。

音楽誌が書かないJポップ批評35尾崎豊」(宝島社04年)
→08年文庫化の際加筆修正

https://bakuhatugoro.hatenadiary.org/entry/20040418/p1