尾崎豊『回帰線』ディスクレビュー

アロハに麻ジャケットをひっかけた街のチンピラみたいないでたちで、フォークギターを抱えての「シェリー」の絶唱からスタートする初期の尾崎のライブは、フォークにもロックにもニューミュージックにも収まらない、ミドル80sの不良少年としか言いようのない「座りの悪い生々しさ」に溢れていた。
だから、最初こそシーンの中で居場所が定まりにくかったけれど、84年の夏、「アトミックカフェフェスティバル」における「照明やぐらからの飛び降り骨折パフォーマンス」によって、硬派ロック村からも「本物」と認知されるとともに、徐々に「伝説化」がはじまる。そして復活ツアーの開始とともに発表された「卒業」が初のシングル・ヒットとなり、同曲を収録した『回帰線』はいきなりオリコン初登場1位になってしまった。
「卒業」は「夜の校舎窓ガラス壊してまわった」というフレーズによって、「盗んだバイク」での集団家出体験を歌った「15の夜」とともに、尾崎の「反抗する10代の旗手」というイメージを決定づけた。これには、管理教育や校内暴力が社会問題化していた当時の世相を背景に、言葉にならない苛立ちをわかりやすくするための打ち出し、という部分が本人にもいくらかはあったと思う。けれどこの曲の、当時「尾崎病」とさえ呼ばれ社会現象になるほど同世代の共感を呼び、一方で「不良を美化するひとりよがり」だとして過剰に矮小化されがちな、どちらにせよ聴き手をどこかでムキにさせているものとは、いったい何なのだろう?
少なくともそれが大人への「反抗」という図式で括れるほど単純なものでないことは、「卒業」を丁寧に聴いていけばすぐにわかるはずだ。ここで歌われているのは、ひとつひとつのことに向き合い確かめるプロセスを厭い、効率と適応を奨励するばかりの大人と、要領よく適応することでうわっつらの成熟を装う友人達との、閉じた共犯関係の中で空回りする苛立ちだ。卒業(学歴や肩書き)の無意味と欺瞞を突きつけ、「お前らとは違う」ことを態度で証明するために自主退学を選んだ尾崎の精一杯の意地だ。
香山リカが『ぷちナショナリズム症候群』で言うような、尾崎の反抗が「エディプス・コンプレックス」だ「そして、それが消滅したために現在ではリアリティを持たなくなってしまった」という分析も当たらない。尾崎版「インディペンデンスデイ」(坂の下に見えたあの街に)で歌われる父親は権威的でも頑迷でもない。そこにはむしろ、ただ仕事と生活に追われながら小さな豊かさを求めて歳をとっていく父へのいたわりが滲んでいる。そして「シェリー」では、形骸の適応に背を向け一歩を踏み出したものの、まだ何の確信も手にしていない頼りなさや迷いを率直に吐露しながら、それでも問い続けていく覚悟を歌う。
とはいえ、骨折パフォーマンス時に歌われていた「スクランブリングロックンロール」、デビューライブからのレパートリー「BOW!」をはじめ、紡木たく『机をステージに』を思わせる、悪ガキ高校生時代の悪友を楽しく回想する80s風ビバップ「スクラップアレイ」など、全体にロックンロール色が強まり、孤独でストイックな部分よりも、多少荒っぽい衝動や人懐っこい素顔が前に出てきている。苦労人風の不良少女を優しい視線で描写してデビューのきっかけにもなった「タンスホール」もふくめ、ヤンチャな不良連中を思わずほらっとさせ、一方で真面目な子達にもシンパシーと憧れを感じさせて、どこか両者を結ぶ原っぱのような存在でさえあった。
前後どちらの世代からも独特な、尾崎らしい間口の広さがよく発揮されたアルバムだと思う。

音楽誌が書かないJポップ批評35尾崎豊」(04年)