「弱者」が嫌い。フェアな強者でありたい。

どんな人もエゴで生きていることにかわりはないし、だからそれは取り立てて責めるにはおよばないと思っているけれど、弱さ辛さを売り物にしようとするヤツは、人の弱者への遠慮や負い目を利用しつつ、自分のエゴを巧みに隠し、裏口からの権力奪取を狙うから、その卑怯が厭になる。
堂々とエゴを引き受けて戦うフェアな強者が好きだ。

昔は逆だった。
軽々と弱者を切って捨てるヤツが嫌いだった。
でも、いつの間にか逆の気持ちが強くなっている。弱者の符丁を利用するのが、いちばん通りのいい世相へと逆転したからだろうか。
でも本当は、口にしたり表に出したりするのがはばかられる弱さを抱えた者が、どんな時にもいちばん辛い目をしている。それが誰とは言えないし、だからこそそれだけは決して変わらない。変えようも無い。
公然と主張できる弱みなど、じつは弱みではない。むしろ武器になる。
誰が誰より辛いかなんて、客観で計りようが無いし、それをおして計らせようとする時点でおこがましくなってしまう。
ならば、なるべく自分のおこがましさより、他者のそれを許す姿勢に、好意を持つ。辛い者、余裕の無い者に、なかなかできることじゃないから。
強さにせよ、弱さにせよ、誰はばかることなく主張できてる種類のことは、わざわざ自分までそこに付かなくても、いいやと思う。
何を一大事と思うか、優先順位は人それぞれだ。