尾崎豊『壊れた扉から』ディスクレビュー

尾崎10代最後のツアーの最中、20歳の誕生日の前日に発表された3rdアルバム。前作からインターバルはわずか8ヶ月だが、前2作に顕著だったストレートな主張や反抗のトーンはほとんど感じられない。溜め込んでいた感情の吐露や異議申し立ては一通りやりきった、というところもあったのだろうし、「自分の気持ちに開き直れない」性質の彼らしく、自分ばかりが主張することに対して申し訳ないような気持ちもあったと思う。
学校でのエピソードや親や教師との摩擦といった、具体的な「場」を歌った曲が少なくなり、抽象的、内省的な思索や心象を歌った曲が並ぶ。たがらといって、日常との接点を見失って閉塞したような孤独なトーンや煮詰まりを感じさせるわけじゃない。
ツアーを続ける中でバンドと共に練り上げていった「フリーズムーン」、「ドライビングオールナイト」、「ドーナツショップ」をはじめ、ツアーバンド「ハート・オブ・クラクション」と尾崎自身によるアレンジの楽曲が大半。バンドっぽい一体感が強調された演奏とミックスは、分厚くなったコーラスアレンジとも相まって、80年代半ばの50sリバイバルの空気とも共振している。ツアーの合間を縫っての慌ただしいレコーディングを思わせるように、ボーカルはややラフだけれど、長いツアーや大会場ライブで得た自信を反映して勢いがある。前2作のひりひりとした孤独や切なさのトーンは後退して、むしろ街の息吹や時代の風俗のざわめきを、尾崎の作品中もっとも感じさせるものになっている。
JUNのジャケットでキメてディスコに通い、盛り場で泥酔し、調子に乗った悪ふざけをしては女の子に呆れられ、背伸びして買った中古のポルシェをぶつけまくってボコボコにし、派手な喧嘩をしては翌日しょんぼり塞ぎ込んでいたような尾崎。決してストイックに「反体制」という立場に属そうとしていたわけではなく、街のニイちゃんとして思い切り風俗にまみれていた等身大の尾崎の、フラットにとっちらかった多面性も、このアルバムにいちばんよく表れている。
図式的でない分、メッセージ性が弱まったとも受け取られて、ファンからの賛否も分かれ(本作に限らず尾崎のアルバムは出る度に侃々諤々が激しかった…)、発売当初は前作ほどは売れなかった。けれど反面、尾崎のトッポい部分が前に出て、同時期に爆発的人気を博していた紡木たくの少女マンガ『ホットロード』の暴走族たちの日常を中高生読者が眩しく見上げ憧れたように、時代の青春の輝きの象徴にもなっていった。(『ホットロード』の主人公・和希の部屋には、このアルバムのポスターが貼られていた)。
ちょうど本作の制作時期と重なる形で、尾崎が自作の散文詩を朗読する『誰かのクラクション』というラジオ番組が毎週放送されていた(後に一部が単行本にまとめられた)。尾崎の歌詞はノートに書かれた膨大な言葉をソリッドし、絞り込む形で完成するという話は有名だが、ここで披露された散文詩にはそのまま彼の創作ノートのような部分があったように思う。
(最近、前より少しだけかわいらしくなってきた、近所の、21になるお姉さんとすれ違った。(中略)今までは挨拶すらしなかったし、いつもそんな彼女を横目で追っていたのに、なんの心境の変化か、向こうから俺に話しかけてきた。(中略)彼女は、俺の言ったことを、反復しながら、なんでも/「私も知っているわ、私もそう思う」/と言った。/でも半分以上が、ただ話を合わせ、嘘をついているだけのようだった。/なんだか彼女に少し呆れたけれど、(中略)最後に、彼女はこんなことを言った。「私、最近わかってきたのよ、いつもニコニコしていればきっと何もかも楽しくなるってことが…」/彼はひざまずき、彼女の足元にキスしてやりたいと思った。/努力してつくる彼女の笑顔は、ただのシワにすぎなかった。)(『誰かのクラクション』(角川書店)125~127ページより)
引用が長くなったが、これはおそらく、当時一部で初期作品の切実さに比べ楽観的すぎてリアリティがなくなった、と評されていた「失くした1/2」の制作過程で書かれたものだと思う。
自他の保身やエゴといった心の動きに丁寧に向き合いながら、決して安易な厭世に居直ることのない姿勢、人の弱さ醜さに対する寛容と包容力への志向が、この時の尾崎には確かにあった。

音楽誌が書かないJポップ批評35尾崎豊」(04年)