色川武大『向こう横丁のたばこ屋の』より

「売り声の人たちや、タバコ屋の看板娘を、街の情緒としてなつかしがるのは、その人たちの辛さを知らぬ者のセリフである。
子供の頃は、くず屋のお爺さんがなんとなく恐ろしかった。道ばたで遊んでいると、籠を背負った老人が、
「くずーイー」
などと声を発しながらトボトボと歩いてくる。それが、なんとなく、動物が鳴きながら歩いてくるように思えた。今考えてみると、怖がった自分が、気がとがめてくる。
くず屋さんにしても、バタ屋さんでも、あるいは屋台をひっぱって飴などを売り歩く人、各種の行商人、それらは総じて老人が多かった。
年をとって、力仕事などができなくなったときの、老人たちの仕事というものが、庶民の知恵として、ちゃんと用意されていたのではないか、という気もする。
くず屋もはじめからくず屋だったのではなくて、年をとってから、老人の手間とりにはじめたことで、家に帰れば子供や孫に土産を買ったりして、いいお爺ちゃんになっていたのかもしれない。今、そこらへんがどうなっているのか。
今だって居るにちがいない下積みの人たちは、年をとったときの仕事がせまくなってしまって、からすやとんびと同じく行き場がなくなってしまうのではないのかな」
色川武大「向う横丁のたばこ屋の」