阿佐田哲也×芹沢博文「目の細い人は勝負ごとが強い」

芹沢「麻雀は体力とか集中力とかいうことも相当ありますが、ぼくは金に対する執着心がないと勝てないと思うんですが、この論法は変ですかね?」

阿佐田「ぼくなんかも、そういうところがないとはいえないですけど…」

芹沢「もっとも、先生はもう金ができているから(笑)。とにかくぼくは賭けごとが好きなんですよ。たとえばレストランに入って、次にどんな料理が運ばれてくるかに賭けてもいい。ただ生活がかかっていない博打というのはつまらないですね」

阿佐田「たしかに生活のかかっている博打をやっていたころというのは、充実感がありましたね。生活をかけないと、博打は強くならない。
ただねェ、たとえば相撲なんかで、十年選手みたいなベテランが、若いのとやる時、頭からぶつかっていかれないというんです。どうしても受けて立つようになってしまう。そのために七分通り気合いで負ける。あるいは相撲ぶりも悪くなってしまうというんです。麻雀なんかでも、お金もさることながら、みっともない麻雀を打つまいといった気持は非常に悪いんじゃないでしょうか。ぼくが仮に、芹沢さんとやることになれば、みっともなくてもなんでも、ぶつかっていきますよ」

芹沢「そういう点、ぼくなんかみっともないなんてほとんど考えないですね。ただ勝とうということしか念頭にないですよ」

阿佐田「それは相手を選んでやってるからですよ」

芹沢「必ず勝てる相手とやってもくだらないし、取られてなんでもない金じゃしょうがない。かといって、あんまりでかいとみんなが困る。まあ、適当に刺激がある程度が一番面白い」

阿佐田「麻雀の一番面白いのは、どうやら一人前に打てるようになって、自分よりちょっと強いのを相手にやることですね。そのころが一番面白いんじゃないですか」

八段なら初段に完勝する

阿佐田「芹沢さんは本職の将棋を指していて、いろいろな勝利とか、その前の棋譜なんかを頭に置くわけですね。棋士の方はみなさんそういう記憶力は抜群なんですけど、麻雀の場合に、たとえば五年ほど前にこんな手がきたというようなことはありますか」

芹沢「それはないですね。麻雀は四人ですし、だいぶ複雑ですからね」

阿佐田「少しずつ違っていますか」

芹沢「ええ。ぼくなんか将棋の場合からいきますと、一番大事なのは試合だと思うんです。いまだに忘れないのがありますよ。子供のころ、木村名人に教えてもらったことがあるんです。二枚落ちというんですがね、その棋譜は大体おぼえています。そんなふうにおぼえてるのと忘れてしまったのとがありますよ。全部おぼえているわけじゃないんですよ。ただ、おぼえているといった方がカッコいいでしょ(笑)」

阿佐田「碁の人なんか十枚ぐらい牌をおぼえているという話をよくしますが」

芹沢「将棋連盟の丸田さんというのは、牌の裏を覚えてしまって、全部わかるという伝説がありますけどね」

阿佐田「ところで麻雀の段というのを、どういうふうにお考えですか」

芹沢「僕は全然認めないですね。もし段があるとしたら、僕は無段ですね。向こうが八段だと仮定しますね。それなら一段千点でも百点でもいいからハンデをつけて勝ってごらんなさいといいたい。それもできないのに何の権威があるのか。
ぼくは将棋の八段ですよ。初段の者とやる時には、飛車と角を落としても勝ちますよ。だから八段といっていられるし、いくらか余分な金もいただける。しかし、麻雀のそれには何もないですよね」

阿佐田「将棋の場合八段が二段とやっても十戦十勝する。これは当然である。麻雀の場合、多少の実力差はあっても、百戦のうち六十勝、七十勝はできるであろう。あるいは九十勝できるかもしれない。そうすると、麻雀における実力差、あるいは必ず勝つというのは、だれとでも百戦したうち六十勝以上できるといったトータリティが、「勝ち」ということになるんじゃないでしょうかねェ。将棋のように百戦百勝しないところが、どうも…」

芹沢「将棋ですと、勝ちと負けが両極端にはっきり分かれましが、麻雀ですと、トップでなくても次点で浮いているというのもありますからね。その辺のニュアンスはちょっと違うと思いますけど、それでも強い者は年間のトータルでいって、やはり勝つでしょ」

将棋の修行中に麻雀遊び

阿佐田「麻雀というのは、半チャン単位で清算しますけど、同じメンバーとして、もう少し長い目で見て、勝負というものを考えるべきだと思いますね」

芹沢「ぼくは半チャン十回で勝負と考えているわけです。麻雀というのは、最初から上がっているのもあるわけですから、それが運だとすると、自分の方にもそれが回ってくるということですね。ですから半チャン十回やるば運は平均化する。あとに残るのは理論、つまり力だけになると考えていますけど」

阿佐田「そういうことですね」

芹沢「ところで、麻雀は有名人に強いのはあまりいないんじゃないかと思いますね。新宿あたりには相当強いのがいるらしいけどー」

阿佐田「やっぱり、それこそ大小さまざまな意味で、お金に体を張っているのが強いですよ。しかし、このことはどの辺までいったらいいのかな(笑)」

芹沢「麻雀にお金をからませないと、話がウソになってしまうと思うんですよ。当然、みんな賭けてやってるんだから」

阿佐田「この前、吉行(淳之介)さんとテレビで対談したある大臣が、「百円ぐらい賭けないと面白くない」といったそうですけど」

芹沢「今のサラリーマン・ルールというのは、どれくらいなんでしょうねェ」

阿佐田「大体、百円ぐらいのものじゃないですか。管理職程度で二百円とか三百円とかいうのがあるそうですけど。そして、まあ二千円の総馬ぐらいのところでー」

芹沢「阿佐田さんは、麻雀はじめてどのくらいー」

阿佐田「戦争中からなんですけど、本格的にそれ一本になったのは、戦後の七、八年ぐらいです」

芹沢「ぼくはいくつだったかなァ。新制中学でたころ、麻雀クラブで大人たちと打っていたんです。ぼくの将棋の師匠というのが近所のおばさん達と旧ルールでやるわけです。ぼくは五十円でやるわけです。みんな百円でやってましたね」

阿佐田「そのころの五十円、百円というと相当なものでしょう」

芹沢「新聞配達して月に千五百円くらいの時でしたものね。百円の麻雀屋へ行って五十円でやっていると、師匠が怒るんですよ。「みんなと同じに遊べないなら帰れ」というんです。内弟子期間といって、将棋の修行中ですよ。これは変わった師匠ですね(笑)。で、ぼくは取られてばかりいましたよ」

阿佐田「それは一人前に見られていたんだからしようがないですよ」

芹沢「そこへ「お父さん、ご飯ですよ」と、よく迎えにくる娘がいたんですよ。それが僕の女房なんですね(笑)」

阿佐田「そうすると将棋はいつごろから?」

芹沢「小学校五年です。遅い方ですよ。ぼくは次男なんですが、将棋気違いの親父が、兄貴とぼくと弟の三人をいっぺんに教えてくれたんです。親戚中が将棋の好きな連中ばかりで、教えてもらったら、ぼくだけたちまち強くなってしまった。将棋で強くなるというのは、寝るたびに強くなるような気がしますね。朝起きると、また強くなったみたいな気がするんですよ」

麻雀にもハンデをつけよ

阿佐田「将棋で強くなるというのは、たとえば、いい手が泉のごとく湧いてくるとか…」

芹沢「いや、そうじゃありませんね。つまり将棋のテクニックというのは、百なら百、千なら千と限られているとしますと、その組み合わせなんです。だから女はダメですよ。記憶力はあっても応用力がない。それに創造力がないからだめなんです。女の棋士が出ないのはこのためなんですよ」

阿佐田「なるほど、そういえば…」

芹沢「つまりプロという意味において、ぼくなんか将棋の場合、修行中でもいまでも同じですが三勝一敗の率をもたないと上にいけないんです。だから一局一局に対する思い方が違うし、その一局を大事にするのがプロだと思う。修業のわりには銭にならない商売ですがね…」

阿佐田「麻雀のプロというのは裏街道ですからねェ。それでも戦後のどさくさの時、いまから考えると不思議ですけど、若い連中なんかで麻雀で食っていこうというふうに思って、また事実、客筋さえつかめばかろうじて食えるだけはなんとかね。ところが碁、将棋ですと最初からプロという意識があるわけです。しかし麻雀というのは遊びなんですね。遊びで打っても強いヤツは強いわけです。だからプロの打ち方とは、少し違うんです。何か楽しんでしまう。ですから若い連中を直すには、ポケットの中の金やなんかをみんな預かって麻雀クラブに打ちにいかせるんですよ。そうすれば、最初の半チャンで負けたら撲られちゃいますからね。これを3カ月もやるとずいぶん変わりますよ。遊んでいられないから厳しくなる。それをやらないと、強いヤツは強いなりに遊んでしまいますからね」

芹沢「僕は麻雀というのは、さっきもいいましたが、ハンデなしでやるでしょ。将棋でいえば、ぼくと阿佐田さんが平手でやるようなもんですよ」

阿佐田「ハンデというのは、どういうふうにつければいいのかなァ。まあ、一回へらすとか…」

芹沢「それに点数のハンデですね」

阿佐田「ルール自体にハンデをつけていくというような方向はある程度とっているようですね。たとえば、食いタンヤオなしというようなものだとか、裏ドラみたいにツキの分野を強くするとかね」

芹沢「しかし、裏ドラというのは非常に問題だと思うんです。というのは牌ではっきりわかっちゃうガン牌があるでしょう。そんなのが裏ドラだったらたまんないですもの。これではなお差がつくと思うんです。運が強くなるというのは錯覚だと思うんですがねェ」

阿佐田「それとねェ、麻雀の上級者と中級以下の人たちの差が本当はあるのに、それがどう違うかという印象がまだいきわたってないですね」

芹沢「それと麻雀をやる連中に第一に教えなきゃならないのは、マナーだと思うんです。今の麻雀のだらしなさはひどすぎますよ。とにかく早ヅモはする、三味線はひくでしょう。もう少しきちんとした遊びだと思うんです。昔はそうだったように本で読んだことがありますけどね。それに、クラブでやっているせいで後片づけをしない。終わったらはしに積むくらいは当たり前ですよ」

 

才能よりも努力ナノダ

阿佐田「五、六年ぐらいのところでひと通り麻雀打てるようになって強いという若者は、少しいなすとくずれるというタイプが多いですね。いなされて前に落ちなくなるというのが、やはり八、九年、三十歳前後でしょうか」

芹沢「やっぱり、これも社会的な常識と同じで、だんだんといろんな知恵がついてくると、麻雀も幅が広くなりますね。近ごろ、麻雀をいろんな角度から眺めるというか、つまり聴牌がわかるといったって厳密にいえばわからんのですよ。ところが結果的には、当っちゃうわけですね。それは、人が何を考えているかという全部の総合からですけれども、知恵くらべみたいなものがありますよね。点数の関係から、親でここでもって一発やらなければならない。連荘しなければいけない。人の気持を読むという知恵くらべのゲームですよね。そう思うと意外とはっきりしてくることがありますね」

阿佐田「やはり肌で身につけないとね」

芹沢「ぼくなんかは、やっぱり町で修行した方ですから、先生がいるわけでもなんでもない。自分で打って、麻雀はこういうふうに打つ方がいいと思って、お金を儲けて、つらい思いをしてきたということで、案外ぼくの麻雀なんか、先がとまっているかもしれませんね」

阿佐田「勝負というのは、やはり、自分で開拓するものだと思うんです。ぼくの商売にさしさわりがあるかもしれないんですが、やはり自分で考えることだと思うんですよ。過半数の人、それに町の名人という人は、経験で覚えているわけですね。セオリーから入っているわけじゃない。判断、つまり自分の能力としては、いろんなその人なりのセオリーがあるわけです。
ところで、勝負ごとの才能というのは、どういう特徴がありますかね?」

芹沢「将棋でいいますと、力に関係なく、たとえば初段でも八段でも、ある局面でそれはこうだとすぐに正解の出る者が才能がありますね。初段と三級の勝負では初段が勝つ。ところが、これは考えないと分からない。初段の者でわからないヤツがいる。ところが三級でも、これはこうだとすぐに分かるヤツがいるんです。こういうのは、いずれその初段を追い越しますね。あるものを正しく見るということができる。これは恐ろしいほどに将棋の場合はわかりますよ」

阿佐田「そういう能力というのは、努力ですか、それとも天性のものですか」

芹沢「努力の方が強いんじゃないですか。つまり学ぶということからいえば努力だと思う。いかに才能があるといえども、何もしないでいいというわけにはいきませんからね」

阿佐田「ぼくはこういう練習をしたことがあるんです。昭和二十五、六年ごろ、競輪や競馬が復活して、予想屋なんてのがいたでしょう。麻雀クラブで、誰がリーチをかけるか予想しようかというんですよ。もし買う気があれば、黒棒でも何でも、ニ三本予想料としてくれるというんですよ」

芹沢「ほほうー」

阿佐田「ニ点書きで、紙に書いて渡すんです。そうしているうちにファンがつきまして、ぼくが他の卓で見ている時でも、予想してくれといってくるんですよ」

芹沢「どのくらい当たりました?」

阿佐田「たいがい、八割は当たりましたね」

芹沢「すごい確率だ。驚異ですよ」

勝負事に強いタイプ

芹沢「ぼくにとって、麻雀はしょせん、遊びだけれど、楽しいものは楽しいですね」

阿佐田「そうですね。飽きないという意味ではわりに長続きしますね。このごろこういうのがあるんですけどね。一面子と頭という配牌四枚でやるんですがつまらんことを考えますねェ」

芹沢「だんだん退屈になってきて、いろんなのがはやってきますね。三麻にしても、一から九まで抜いちゃったりしてね。他にもいろいろありますが、これは、きっと勝ってるヤツの考えることだと思うんですよ。お客さんがいないから、運の要素の強くしたような形をとる。ところがどっこい同じなんですよ。お客がいなくなってしまうからー」

阿佐田「これまでのルールの変化というのは、必ずそれですものね」

芹沢「歴史は常に勝利者によって作られてくるから、大体そういうものですよね。麻雀の流れひとつにしても、見ているとおもしろいものですね」

阿佐田「ときどきぼくもやるんですけど、白板麻雀というのがあるんですよ。白板をジョーカーにするんです」

芹沢「オールマイティーにするんですね。以前、中国の人がやってましたよ。たしか、原子爆弾と呼んでましたね」

阿佐田「二枚ぐらい入ってくると、目を皿のようにして聴牌をさかさないとー」

芹沢「つまり何でも上がりみたいになってしまいますね。七、八年前に、青空の下でやろうといわれて、ぼくは逃げたんですけども」

阿佐田「それは恐いですよ」

芹沢「本当に奴隷みたいになってしまう可能性がありますからね。払う気だったら、とんでもない金がついちゃいますものね。あれはいけませんよ。まだ中国が原子爆弾を持っていないころだったから、よほど欲しかったのかな(笑)」

阿佐田「ぼくは、あれで大三元を上がろうと思ってね。ぼくらのルールでは白板も白板として使われるわけです。白板が暗刻だったんです。紅中と緑発を泣いてね。どうしたって小三元で上がってしまうわけです。必死になって、つり聴つり聴でもってやっとつり聴でない字牌聴牌にしたんですよ。流れてしまったけどー」

芹沢「しかし、阿佐田さんは、よく麻雀を小説にしましたね。ぼくはこれだけは小説にできないと思っていましたけどねェ」

阿佐田「僕も最初はできると思っていませんでしたよ」

芹沢「しかし、最初に書いた者の勝ちですからね。麻雀小説といえば、すぐに阿佐田哲也という名前が浮かんできますものね。あれで読んでみると、ちゃんと男と女がでてきて、それなりに面白いんですね」

阿佐田「芹沢さんがごらんになって、勝負事に強い体形というのはありますか」

芹沢「ありますよ。まず目ですね。細くて、糸をひくような目の人というのは強いですよ。それと目玉が動いてはいけない」

阿佐田「そうすると、ぼくの目は大きいから…(笑)」

芹沢「例外もあります(笑)」

(「週刊大衆」70年12月17日号)