追っかけインタビュー阿佐田哲也 (シティロード84年9月号)

ー『麻雀放浪記』が映画化されるという噂は今までに何度も耳にしたんです。深作欣二が監督するとか、日活が準備稿を阿佐田さんの所へ持ち込んだとか。そのたびに我々は大いに期待したんですが、どうも阿佐田さんが映画化をなかなか承諾しないらしい、という風なことだったんです。真相はどうだったんでしょうか?

阿佐田「話は何回かあったんだけどね。まず予算の点でむずかしかったんだな。戦後の闇市のオープン・セットなんかができない、と。だけど当時を知ってる人がまだいるからね。インチキ・セットが見えすくような形ではやりたくないし…。じゃ、話を現代に変えましょうかということになってシナリオがあがってくると、坊や哲が大学出だったりね。そんならオリジナルでやりゃいいじゃないか、というようなことだったんだね。

ーで、今回の和田誠監督作品ではその話がクリアーされたということですか?

阿佐田「うん。まあ今回の場合は、誠ちゃんが友だちだったしね。誠ちゃんががんばってシナリオからやってるし、映画と小説は違うから、ぼくは何も口出ししないつもりだったんですよ。それでも準備稿の段階で何回か読ませてもらって、求められた時には少々、意見を言ったりもしたんだけどね」

ー読者としては坊や哲と阿佐田さん御自身の体験とが、どの程度、重なりあってるのかということも大きな興味の一つなんですが。

阿佐田「そうですね…ああいう頃かありましたね。懐かしい時代だ(笑)」

ー坊や哲も中学中退なんですが、阿佐田さん御自身も中学生の時に反戦的な言動で停学になったとか…。

阿佐田「いや、当時のヒステリックな戦争末期の状態の中では、大人はそういう風に思ったんでしょうね。反戦じゃなくて厭戦…でもないな、なんだろうな…ま、心身共に、ぼくが戦時体制になってなかったということでしょうね」

ーそうしてアウトローの世界に身を置かれた阿佐田さんが、ギャンブル、それも麻雀に興味を引かれていったのはなぜだったんですか?

阿佐田「あの頃は戦争が終わったばかりで、みんな食う物もなくて防空壕に住んだりしたんだけど、どことなく明るかったのね。なんとか生きのびたという解放感があった。だけど会社なんか焼けちゃってまだ復活してないから、昼間からたいがいの人がノソノソと街を歩いてた。それと、それまでずっと戦時体制が続いていたわけだから、みんな遊びに飢えてたんですよ。そういう状態だったから、麻雀にしてもほとんどの人が初心者なんです。ぼくは一六、七だったけれども、授業料を払って麻雀を覚えていく必要がなかったんだね。だからすぐお金になっちゃう。別に麻雀が特別に好きだったわけじゃなくて、かつぎ屋やったりね、輪タクをやろうかと思ったりもしたんだけれども、その中で麻雀が一番ゼニになった」

ーぼくは見てないんですが、数年前にドサ健のモデルだという人がTVに出たという話をきいたんですが。

阿佐田「そうですか!?ドサ健はね、特定のモデルはいないんだけども」

ーえ!?そうなんですか。

阿佐田「ドサ健はあの頃の若い遊び人の典型的なタイプでね。ああいうのはどこにでもいたんですよ。あの中でモデルというかヒントにしたのは出目徳とね、女衒の達と…上州虎もちょっとヒントにしたのがいますけどね。ま、しかし、ぼくのつきあった中でドサ健みたいな感じなのが何人かいるからね、そいつらが「オレのことだな」と思ってるかもしれないね(笑)」

ーこの前、新しく書かれた『ドサ健ばくち地獄』が出ましたけれども、それは特定のモデルがいないにもかかわらず、やはりドサ健に対する阿佐田さんなりの思い入れがあったからですか?

阿佐田「そうだね。ドサ健てのは割に書きやすいんだよね」

ーそうですね。キャラクターが鮮明だし、カッコいいし…。

阿佐田「だから主人公に持ってきやすい。それにそういうハガキも多かったのね。それまでも今もね。出版社から何本か、ああいうシリーズをやれっていう注文があるんだけども、なかなかバクチの小説ってのは、やさしいようでむずかしいんでね(笑)」

ー何かこれから書かれる予定はおありになるんですか?

阿佐田「まあ、なるべく数を少なくしてね、少し時間をかけてやろうと。ああいう小説はやっぱりどっかで贅沢にしないとね。贅沢ってのはつまり、何年に一本かぐらいのベースで、本人も楽しみながら作っていくということなんだけども、はたして読むに耐えるものができるかどうか(笑)」

ーいやあ、『新麻雀放浪記』は最後がバカラですけど、戦術論としても面白かったし、特に最後の50ページで、初老の坊や哲の血がまた燃えあがるところなんか凄かったですよ。で、阿佐田さんは麻雀だけじゃなく、ルーレットとか、短編では色んなギャンブルのことをお書きになるわけですが、それを長編ではおやりにならないんですか?

阿佐田「うーん、やっぱりバクチ小説ってのは、そのゲームを知らない人には説明が暑苦しいんでね。ポーカーの小説でもアイデアはあるんだけどね、ルールの説明から始めるとなると、どうしても面白くできないのね。だから麻雀だったら、人口が多いから、基本的なことをそんなに説明しなくてもいいし。それで麻雀小説にしたんでね。普通はああいう遊び人たちの暮しってのは、麻雀が中心になってはないんですよね。だからそういう点では『麻雀放浪記』というのは、まったくデフォルメしたものなんです』

ー別の雑誌のインタビューで阿佐田さんが「おれは麻雀小説を書いて印税で食ってるんだから、トータルでは麻雀で負けてないんだ」っておっしゃってるのを読んだんですが、やはり実戦でもお強いわけでしょう?

阿佐田「いや、病気(ナルコレプシー=例の眠り病)が三十四、五で出てからは普通の状態で麻雀が打てなくなったから、もう論外なんですよ。だからたぶん点数計算でいったらかなり負けこしてると思うんですね。だけどお金の問題でいうと、当時と今とではお金の価値も違うし、必要度も違うしね、どっちがどっちだかわからないけどね。…しかしね、負けた方がいいんですよ。つまり麻雀で暮してたら負けるわけにいかないけども、普通の生活をしてるんだったら、重要なところで負けなければいいんでね。つまり僕は仕事で麻雀に入ったでしょ?だから麻雀に勝つことのマイナスってのを身に染みてわかってるのね。勝てば必ず嫌われるし、村八分にされるしね。それでも麻雀で生きてる場合には負けるわけにはいかないけど、非常に勝ち方で苦労するわけですよね。麻雀で一番むずかしいのは勝ち方の問題なんだね。だから6くらいの力の人に7で勝つとかね。3ぐらいの力の人に4で勝つとか。そういう種類の力がないとね。10対0で勝つというのはアマチュアなんですよ。だから麻雀で暮らさなくてもいい場合はね、勝ってるよりは負けてる方がどんなにプラスになるかわからないね。それは負けおしみじゃなくてね(笑)」

ーでも3の相手に4で勝ち、6の相手に7で勝つには、たいへんな実力が必要なわけでしょう?

阿佐田「いや、それはまた別種の力の問題なんだよね。じゃ、10対0で勝とうと思ったら楽に勝てるかというと、不思議なもんでそうもいかないんだね。仕事麻雀やりだすと、そういうスタイルになってくるのかな。競輪の追い込み選手みたいに、いつもチョイ差しで勝つようになっちゃうんだ。

ー今まで阿佐田さんが対局した打ち手で一番強かった人というのは誰ですか?

阿佐田「うーん、だけどそれは普通の人は知らないものね。つまり暗黒街では名高いんだけど、世間的には無名の人だから」

ーああ、やっぱりそういう世界には圧倒的に強い人がいたんですか。

阿佐田「うん。それも一人や二人じゃないですね。ぼくは一番盛りの一九くらいの頃に、いわゆるその筋で名の知れた人だけが対象になってるランキングで、関東の七番目くらいだったことがあるのね。だけど関東というのは弱いブロックなのよ(笑)全国的にいうと、北九州、札幌、それから大阪の南、広島と、この辺が強い地区だったんだよね。だから全国的にはだいぶ下の方になっちゃう」

ー阿佐田さんのギャンブル小説は、男たちにも増して、女性たちが独特の魅力を持ってますよね。今度映画化される『青春編』では加賀まりこさんが演じるオックスクラブのママとか…僕は『風雲編』に出てくるドテ子が大好きなんですけども…。

阿佐田「バクチ小説には本当は女は出せないんだ。バクチ場では普通の市民世界のような位置に女がいないからね。ぼくの小説はバクチ・マニアに読まれてるという意識があるから、普通の大衆小説のように簡単に女を出すと、彼らに軽蔑されそうな気がするんだ。だけど多少は色どりも必要だからね。だからドテ子なんてのは、ま、女じゃないからね(笑)。ああいうのは。

ーぼくなんかは阿佐田さんの小説を読んで、戦後のああいう世界には、ああいう形のイイ女ってのがいたんだろうなって思ってたんですけど。

阿佐田「いや、それはバクチ場の中じゃなくて、例えばクラブや水商売をしている人の中に、今とはだいぶ気質の違うオックスのママみたいなタイプの女性はいましたよ。バクチ場に入り込んでくる女たちは、むしろ鬼気迫るといった感じで…そういう形なら書いてもいいんだけどね。いわゆるいい女ってのはあまりいなかったね。

ー阿佐田さんが戦後のそういう時代に会われたいい女たちというのはどんな女性だったんですか。

阿佐田「うん。男でも女でもそこのところではあまり変わらないんだけど、例えば、戦争で焼け跡になっちゃったでしょ。そうすると普段、見えてなかったことが見えたりしちゃうのね。ぼくは関東平野の東京で生まれたから、地面というのは平らなもんだと思ってたんだ。ところが空襲で焼けてみたら東京ってのは起伏がすごくあるんだ。丘陵地帯でね。それと焼けた地面、ようするに地面というのは泥なんだということは、観念的に知ってるのと、実際に見ちゃうのとではどっか違うんだよね、自分の中で。だからいろんな建物や家がその後、立ったけれども、あれは地面の飾りでしかないという感じ方は、特にあの当時に人格形成期にあった人の中では大きいだろうと思うんだ。それで女の人の場合でも、その当時、地肌を実際に見ちゃった女の人と、ずっとビルの中で暮してる女の人とでは、生き方でも人間の認識の仕方でもちょっと違うような気がするね。よく南の方から終戦で引き上げてきて水商売なんかやってるような、ちょっとしたたかな年増の人なんかには上辺のお化粧みたいなところでは計れない存在感のようなものがあるね。やっぱり激動をくぐり抜けてるということだろうね。それが人に優しくなったりきびしくなったりする力になってるんじゃないかと思うけどね。飾りのところでは人とつきあわないというかね。それが段々、自然や地肌みたいなものから遠のいて、平和の中にいると、自分たちの近間の人間の生き方だけを比較して自分の生き方を決めてくようになるんだね。しかしそれはいいことでもあるんだ。ナメるってことなんだけど、ナメないと仕事にならんということもあるわけだから。しかし、一度地面が泥だってことを見ちゃうと、泥と比較しなきゃなんないわけだから、そうすると泥のようには生きられない半端同志なんだから、優しくしあわないと、ということが出てくるわけだね。女の人で観念じゃなくて体でそういうことを知ってる人がいたね。

ー『麻雀放浪記』はアウトローの世界を通して戦後の社会や政治の状況の変化を見据えている小説だと思うんですが、現在の中曽根政権に至る戦後の保守政治の流れに対して、何か意見は?

阿佐田「あるんだけども、長くなるね。だから麻雀小説の枠内でいえば、バクチってのは認識ごっこだということ。そして思い込みだとか概念だけでフラフラ生きてると、自分より大きなものにダマされるからね。だから庶民層が誰かにダマされないように、せめてバクチを打つ時ぐらいの気の入れ方で、ちゃんとした認識を持つ癖をつけてくれればいいと思うね。

(インタビュー・構成/蓮田瓶)