ニュース報道は取捨選択によるフィクション

陰謀論=恣意的なデマや、無反省な思い込みをばらまくのは当然良くないないが、もっと突き詰めて言えば、どんな個人にも他者やこの世のすべてを把握し理解することなど、本当は不可能だ。この前提を忘れて自分は理解出来ていると思い込み、食い違う他者の声に「陰謀論」とレッテルを貼って済ませる態度こそ独善だろう。
フェイクニュース」なんて言葉も簡単に言われるけれど、突き詰めて言えばあらゆるニュース報道は、それを取捨選択する者の恣意が入り込むことをまねがれないフィクションですよ。
個人の視野は限られているのだから、人の立場や視野の数だけ事実、真実はあり、それがなるべく多く語られ積み重ねられることが、認識や文化の分厚さを担保していくことだと思う。

その為にまず必要なのが「わからないという方法」(橋本治)。