武田百合子(談)「がんばらなくっちゃ映画論」

武田は昔から映画好きでした。いま年ごろの娘が赤ん坊で、まだグニャグニャして首なんか据わらないようなころから、三人暮らしなので映画に行くときは、娘を連れていかないと困るの。首が据わらないので自分で首をたててやって見るぐらい好きだった。藤沢へ引っ越すと藤沢の映画館、荻窪へひっこすとそこの映画館へ通ってた。時間があると、いってもふらっと見られるのがよかったのでしょうね。
ゴジラものがかかると、うち、みんな見にいって、帰りのタクシーのなかで、あたし、エンエンと喋って「何てゴジラは可哀そうなんだろう」というもんだから、運転手がハンドルを離しそうなくらいワァーと笑い出したのね。ええ、富士でもピンクの小屋があって、自転車でいくと、お客はあたしたちだけだった。渋谷でもだいぶ見ました。すごいポスター出てるでしょう。題もすごい。私に切符買えっていうの。なかに入ると、ポスターや題とはちがって裏切られる。今日のも駄目だなあって。「処女絶叫」というのが傑作だったので、漢字四文字がいいんじゃないかな、そういって新聞広告さがしたの。でそのあと四文字の人妻なんとか、というのを見たら駄目だった。「四文字もダメなのあるねえ」って。このところ、「BAD」「スキャンダル」「新未亡人下宿いろ色おしえます」「ゲシュタポ卍女収容所」と見せて貰ってどれも面白かったけど、もちろん、武田のなくなったあと、はじめての映画タダ見です。

カンバラナクッチャ

あの当時は、一番初め、どうして一日をくらしていいか判らなかった。それで朝湯を思いついたの。朝、トロオンと目が覚めると、すぐお風呂に入っちゃう。タワシで一生懸命洗ってでてくる。すぐまたドロオンと暗い気持になる。つまらなくなる。また入る。そうやってたらお風呂中毒になっちゃった。それぐらい我慢ができない。それで今度はサウナに出かけたの。ある方が、お香典代りに「娘と一緒にサウナ付きプールで、パーと泳いでくるのもいいんじゃないかな」っておごってくれたので、それがいい気分だったので、それが病みつきね。よく知らないから電話帳で調べてかけてみると、たいてい男性用しかないのね。渋谷に会館と名のつくところ、東京会館と同じだろうと思ってたら、そうじゃないのね。圧倒されるような女の人ばっかり。娘と行ったんだけど、あたし自分のお風呂道具抱えて行かないと気がすまないの。向こうにありますよといわれても。ビニールの風呂敷包かかえて山の手線に乗ってく。安いとこ、千円以下の。イヤだもの。三千円なんてとこは。安いサウナにきてるひとって、モーレツなのね。若いのにギックリ腰になってたり、一回五百円だとすれば、番台出ちゃったら損だから、脱衣場で丸裸でタバコ吸ってね、それから「オバサーン、ビール一本買ってきてえ」という。それをグーッと大瓶一本飲んで、またサウナに入る。昨夜はのみすぎたかなあ、なんて丸裸でいって、ここでは誰も、あたしが亭主なくしたってことなんか知りゃしない。皆金がほしいとかここが痛いとか、イヤなこと(笑)てんで自分勝手に喋ったり態度してるの。百度で熱せられて、その人たちに何となく慰められて出てきて、ガンバラなくっちゃと少し思って帰ってくるわけ。
武田が死んで間もなく、南米でバスが河に転落して、乗っていた人たち36人だか、あっという間にピラニアに食われて死んだという新聞記事見たの。武田が死んでから、はじめて笑ったわ。そのとき。

ポルノもしないのにアンマリよ!

映画もやみつきになるかもね。「BAD」(製作ウォホール)の若い女仕掛人をあつめて仕事させているおバサン(キャロル・ベーカー)もとてもよく働くんだから。脱毛美妖術の美容師なんて自分でやってみたら大変だと思うわ。背中をかがめて、顕微鏡みながら一本一本脱くんでしょう?あんまり儲からないと思うわ。小さな美容室だものね。イイなりして新聞売りの盲のオジさんからお金をごまかして、一枚もってゆくでしょ。どんなに毛皮をもっていようと、ひそかにガッポリ稼いでいようと、正業の方は、とてもよくやってるわね。これをみても、あたし、映画をみると、とくにこのごろそうだけど、ガンバラなくっちゃあと思って外へ出てくる。鏡なんかあって、自分の姿みると、映画のヒロインと、全然違ってるんだけど。(笑)
この映画の女たちは、おバサンが、ひきうけた人殺し業を、実行するんだけど、暴力って感じじゃない、殴るとパーッと死ぬのね。陰々滅々な殺し方じゃなかったわ。何回も力を出すのは、女はくたびれるものね。若いふたごのような美女が、犬とその持主の爺さんを襲うでしょう。犬を殺すのが気がすすまないので、やり損う。犬も包帯を爺さんと同じように巻いて散歩してるのを見つけて、あら、失敗!ってことね。女のことをとても、丁寧に見せてくれてた。それに依頼主の婆サン、自分の犬は、もう可愛くて可愛くて、よその犬は殺したい。犬を可愛がって顔を撫でながら、ゲップかなんか吐きながら喋る。喋るたんびに、ゲップがでて口臭がするのね。そうすると仕掛人の、きれいなお嬢さんたち、普通だったら、このババァ、臭くてヤリキレンというところなんだろうけど、そんなこといわないわね。お得意さんだから、我慢してる。やさしいところもある。あんなに細やかに日本映画は撮してない。嫁と姑の関係もでてましたね。BADのおバサンの嫁は大ブスで、オバさんの息子にも捨てられちゃって、地下室のような所で、赤ん坊と寝起きさせられちゃってる。たまに昼間だけ一階に出てくると、オバさんにいじめられるけど、日本のお姑さんみたいに、いちいち箸の上げおろしはいわない。無視している。他の出入りする仕掛人の娘たちは皆、美人で、男にももてるけど結婚などしない。でも気分がむくと、隅っこに坐ってる嫁に、ちょっとやさしく話かけてみたり、急にメチャクチャに、いじめてみたりする。お化粧させて映画館に連れて行ったりするけどーつまらないので美女の一人は火をつけるけどー嫁がノロノロしてるからおいてけぼりしたりね。映画の最後は、みんな殺されたり、捕まったりして、残るブスの嫁さん「顔じゃないわ、心だわ」というでしょ。二階にはオバさんのためこんだ洋服や毛皮がいっぱいある。それがみんな彼女のものになる。
BADのおバサンの亭主はベッドの隅の方に一瞬うつっただけ。オバさんは部屋のなかであっちの毛皮きたり、こっちのを着たりしていただけ、一度だってポルノなんかしないのね。若い人は位まけするぐらい美人なのに。それだけで一生懸命働いて簡単に殺されちゃう。皆、嫁さんのものになっちゃう。どうなってるのかしら。そんなことって(笑)あるのかしら。(笑)あんまりです。

 

中年女性の願望です!

「スキャンダル」(サルバトーレ・サンペリ)も同じ中年の女性が主人公で面白かったけど、「BAD」の方があたしの好みです。この方は「がんばらなくっちゃ」とはいかない。だけど、娘ができて、男に娘をやっちゃったというのは、後味が悪かった。そういうことをしちゃいけないという風には思わないけれど、生理的に気持ち悪いんだなあ。あたしは年ごろの自分の生んだ娘と暮らしているから。ずっとまえにデ・シーカの「ふたりの女」をみた。母親と娘が、よその国からやってきた軍隊に犯されてしまう話。犯された次の日も、母娘は同じ部屋で顔をあわせて暮しているのね。実に後味悪かったの。女だから、父親と娘の近親相姦の気持は判らないけど、母と娘の母と娘の近親相姦というのがあるとするとーこれでしょうね。例えば、自分だけだったら、お尻を掻いたりしてね(笑)えらい目にあっちゃったなあ、誰にも黙っていましょう(笑)と思って、うちに帰ってくるかもしれない。御馳走食べて、お風呂に入って忘れてしまう。でも娘もろともというの、とても気持ち悪い。
マカロニ・ウエスタンのフランコ・ネロは、いつも真っ青な目でね、見えないような目しているでしょ、あの人。今度は下男なのね。はじめ掃除なんかしていて、これが彼かと思っていると、だんだん綺麗になって、最後なんか娘とベッドの中にいると、男ぶりが上がって堂々としてくる。自信満々。いい男になったなぁ、と判ったの。それから女中がスキャンダル夫人と顔が似ていてね。女中顔でなくて立派だった。夫人とはちがって、飲んだり食べたりしたい放題かまわないから肥り気味だったけど。(姦通している母親としては、娘が憎いこともあるけど、戦争下、娘にもsexを味わせてやりたい気持ちもあったのですかね!)
そんな、そこはかとないような(笑)気持ちはないと思う。夫も娘よりガラスのお宝が大事。母さんはこのごろヘンになってるみたいなところに、下男が娘を慰めると、母親はずい分長く怒っていじめたのが印象にのこった。あたしが娘を叱ってても、そうなる。はじめのときと終りごろとはちがってきちゃってね。理知的西洋人の薬剤師の免状をもつオバさんでもやっぱりそうなるのかな、と思った。途中で論理がひっくりかえって、そのうち自分の情欲みたいなものも出てくるし(笑)トチ狂ったという風。空襲があったから、よかったけど、空襲がなかったら大変なことね。芝居が終ったのに、おりた幕をあけて覗くみたいなことね、これは。ちょうど、空襲があったから、それぞれベッドで、手など握りあって死ねるけど、それがないと下男はますます綺麗になって、目は真っ青になって生きるし、娘は倣然となって、母親より上になる。(ー夫人が裸で外へ出ろといわれて、へんな自信をもつね)
とてもいい気持になっちゃうのね。西洋映画はうまいですねえ。日本だとあーっと嘆いたり、あら、やめてなんていうでしょ。だんだんいい気持ちになってきて、お尻を面白そうに振って、売春婦になるのは、却っていい気持ちなんですね。でも下男は覗いていて、適当なときになると夫人を中に入れてやりますね。ずうっと遠くまではいかせない。
前に、女の人ばかりでお酒をのんだの。わたしの友達だからオバサンばかりね。うちの一人が酔ぱらって「あたし、ーになりたいわ。女郎さんでも、ーになりたいわ。こっちの部屋へ行って『今晩わ』チョコチョコとやっては、次の部屋へ駆けていって『今晩わ』あっちも、こっちもでーは忙しい。あたし、あれがやりたいわぁ」といっていた。(笑)で、この映画みて刺されたオバサンのこと、みゆき座のこと新聞にでてたわね。隣に痴漢がいた。怒ったら刺されちゃった。娘がこの新聞をよみ「オバさんってのは大体、あのスキャンダルの夫人のようになりたいと思って見に行くんじゃないの?」といいました。(笑)「あれは上流階級じゃなくて、手に届く範囲のオバさんだからね」と、甲府とか静岡とか、地方名士でサロンなんて開いてて「文学センスありますわよ」なんてやってるけど、夕方になると女中も帰っちゃうと、自分でお店の電気をパチパチ消してまわって、シャッターも自分で降すし、白い上っぱり着てまったく忙しいのね。いろんな人が頭が痛いの何のといってくると、にこやかにうなづいたりしてね。とてもよく働いて、とても気を使ってね。それに教授風の亭主のいうことだって面白くもないんだけれども、聞いてやってるし、娘には弁当つくって学校へ出さなきゃならない。労働者ですね。これは映画には関係ないことだけど、例の映画館の事件をよんでね、ああオバさんなんだから、痴漢にあってもニコヤカにしなくちゃと思った。(笑)刺れて血なんかタラタラ出たらイヤだもの。新聞に、名前や年まで出ちゃって。若い人なら怒ってもいいけど、オバサンが「バカ!」なんて、痴漢にいっちゃいけないのね。(笑)これからは練習しとかなくちゃ。
あたしと同年の友達が、映画館で、サンドイッチか肉饅だかを食べながら見ていたら、両側に痴漢が坐ったの。こっちがこっちの手、むこうはむこうの手という風にひっぱって、肉饅がうまく食べられなかった。暗いから痴漢はよく判らなかった。『あたし××才ですよ』といってもね。「そうですか」って。すぐやめては、失礼だから痴漢も続けて、やらなきゃならないならないのかしら。

茶室とマンホールのちがい

ゲシュタポ卍収容所」(C・カンドネパリ)は抵抗映画なんて思いませんでしたよ。地下運動って言葉があるでしょ。どうしても、わたしはマンホールから地下に入っているように思っちゃうの。事務所なんかで、地下運動しているのは実感が湧かない。アイゼンハワーが、タカタカタンタンと戦車なんかでくる映画、抵抗運動やってる人は、いつもマンホールの蓋をあけて出てくるんだと思っちゃう。綺麗な格好してどこかのお座敷に隠れていた人たちというのは唖然としてしまう。武田が『そんなことありませんよ。マンホールの中なんて息苦しくて、年から年中はいられません。それから、抵抗運動しなかった人も、マンホールから出てきたふりをして、アイゼンハワーと行進した人もいますよ」っていうでしょ。何が何だか、判らなくなっちゃうのね。日本の映画だと箱根の殿様のところへ、ひそかにみんなが御意見を伺いに行くところがあるでしょ。門があって奥の方までアジサイが咲いててね、茶室で殿様がお茶をたてて、そこが秘密なお話をする。でもむこうはマンホールがあった、凄かった、凄かったと思ってた。バカですね。
ゲシュタポとか、十三階段とか、アウシュビッツとかいうびょうしゃはよくみた。裸の人が走ったり、ナチの楽隊がタンタカタンとはやすと、ユダヤ人も何となく歩調をとったみたいに歩いたり、楽隊にはやされたりして、ガス室に入れられたり。そういう実写ものに対しては何もいえない。本当にあったことだもの。これは初めてみて創ったものだから、何かいってもいいのかなぁ。

女の髪の毛のパンツがすごい

一番涙がでたのはねえ、ユダヤ人の子供が犬を抱いたまま入ってくる。親は大変な運命がやってきたことを知ってるけど、子供は何も知らない。かわいがっている犬の顔を撫でてるの。それが一緒にガス室へ入れられちゃう。あれで、あたし、もう子供の出る映画って見たくなくなった。他の子供映画は作りものだと思っちゃう。わざとらしくて。
長島温泉なんかに行くと、大浴場があってロッカーで服を脱いで丸裸になって、大浴場まで遠いところ歩いてゆくの。レコードの伴奏がかかって、階段があって、それを降りてゆくと下が浴場。浴場の人たちから、見上げられないように、階段の手すりに、香港フラワーの葉っぱが巻きついてる。お爺さん、お婆さん、子供もみんな裸、しようがないから。あたしたちは、胴長だし、貧弱だし、青白いし、歩き方も裸だから、変な風に歩いてしまう。武田は部屋にいて『どんな風だった?』って聞くの。『アウシュビッツみたい』といったら、叱られた。『そんなことを、ここでいってもいいけれど、そんなこと誰かれとなく言ったりしたらいけない。全然ちがうんですよ』って。この映画にも、すごいシーンはあったけれど、主演の女優(ダニエル・レヴィ)が立派な肉体だったから、後味悪くなかった。あの人好きだわ。西洋にはああいう女の人がいっぱいいるのでしょうね。生きるも死ぬももう平気、後顧の憂いなしという感じ。はじめ自分が密告したために両親と弟が殺されたと思い込んでいるから、自分も死んで当り前と平然とし、そうでないと判って今度は生きようとして平然、よかったな。つくり話としても、そう作ってくれたらいいなあ、と思った。
情報を教えてやった若いお医者さん、気の毒ね。司令官にのりかえられて。あれが女の生きのびる方法ね。生きのびられる人は、こうでなくちゃ、ダメなんだな。女囚の仲よくしていたきれいな女にも同情しないし。同情は禁物なんだな。あの人「同情は禁物」と彼女に教えて、自分は同情しちゃった。人体とかしの石鹸槽につけられ、紫色になっちゃった。同情してもいいから、黙ってればいいんだな。ヒロインは殆ど口をきかなかった。
軍医さんとのポルノだって、性の喜びじゃない密告のせいでないという喜びで、軍医さんは身をもって彼女の自閉症をなおしてやろうとしたのが、治りすぎるほど治ってしまったのね。軍医さん程度の治り方だと生き残れない。
そういう彼女の治り方をあらわすのが、ユダヤ人の女の髪の毛でつくったパンツをはくじゃない。すごいですねえ。この収容所には凄いサジストのドイツ女将校(M・グレコ)がいて、司令官も彼女のマゾになってしまい、むしろ前線にゆきたいと志願している。昔のドキュメントで、スタンドにユダヤ人の人間の皮をはったなど聞いておりましたが、髪の毛のパンティのこと、知らなかった。サジスト女性のご自慢の品ね。はくとどんな気持かしら。一回見せられたとき、酒だけのんではかなかった。女将校は、スベスベっとしたカエルみたいなおなかではいてた。「良心的」なのか、マゾ的な収容所長が、それをみて喜ぶ感じはどうなのかなあ。軍人やユダヤ女たちを並べて責めさせ、命令するときは軍人らしいけど、あの女と一対一になるとマゾになるのね。戦後もマゾ、マゾの快楽のなかで、再会の女に刺されて死ぬのだわ。ヒロインのユダヤの女、サジストの女将校に比べると若くして鈍感という感じで、彼女のジロリの一目で、所長はサジスト女性を殺しちゃう。

 

あの女山一番の悪ウサ公になる!

ラスト、その所長を殺してから、姿勢正しくゆっくりと歩いてゆくでしょう。あの女はこれから、ますます凄い悪い人になるだろうなあと思ってしまうわね。これが洋画のいいところ。
あたし、山に暮らして猫飼っていたの。その猫が兎や鳥とって来る。そして背中に爪立てると、毛がついたまま、ぺろっとむけるのね。骨が透けてみえて、薄皮があって液がにじみ出てる。あまり皮をむかれると火傷と同じで全身のバランスがとれなくなり、兎なんかはねることができなくなるのね。跳んでも転ってしまう。猫が嬲りつづけて殺してしまうことも多いけど、ちょうどそのくらいの時に、あたしが見つけると猫を捕えて部屋に入れてから、瀕死の兎に大国主命みたいに、油を塗って「どうもすみませんでしたね」って、人間の言葉判らないと思うけど、でも声に出していうの。BADオバサンも好きだけど、あたし自身はやさしいのよ。猫は口きけないからね。あたしが代りに『あれは、うちの猫ですけど、お前と遊ぼうと思って友情のあまり、撫でたらお前の皮がむけたんだからね。ゆるしてやっておくれ。すみませんでしたね』って謝って、誰もこない襲われないような林の奥にいって、そうっと置いてくる。一時間ぐらい見ていると、兎はひどいビッコをひきながら、もっと奥へ入って行くーそんな目にあった兎って瀕死の状態でも、ちょっと音がするとカァーッとスゴイ。凶暴な目してね。ちっとも柔和じゃない。兎が林の奥に入ってゆくのを見送って、毛がはえそろって、生きながらえたら、あいつは、山一番の悪ウサギになるだろう、スレッカラシにね、と思った。この映画のラストの殺した彼女の後姿にもそう思った。傲然とし、これからも、何にも動じない。黙っている。すべてに黙ってバッドをやる。そういう人になるような後姿にみえた。「ゲシュタポ収容所」が何よりよかったのは静かだったから、映画全体が静かなのね。誰もどならないし。どなるのイヤなの。ポルノじゃないわね。軍医とヒロインがストップモーションでそっくりかえったりしていて、主題曲が流れていたけど、やはりセックスは日常茶飯事なんでしょうね。
平均寿命がのびたからおばあさんたちがたくさん生きてますね、昔より。こうなってくるとおばあさんになっても自分は「いますぞ」ってことを主張しなきゃダメね(笑)若ければいろいろと自分は美人だということなど主張すること出来るけど、もう美人でも何でもないんだから。若い人だってそうかも知れないけど、おばあさんになったらことにそうね。あらゆる手管を使って、ここにいるぞって(笑)。よく詐欺をしたりするわね、おばあさんが。年とったら詐欺しかできないのね。
この間葬式を手伝いました。そこに有名な香典詐欺がやってきた。新聞に出るようなお葬式口は調べておいてやってくるらしいの。方々に現れるから、出版社の葬儀係の人は顔を知ってるのね。男と女と両方来ますよって言われてみんなが気を付けていたんです。女の方のがやってきたと知らせがあった。はじめてだからつくづくとみました。それが七十前後のおばあさん。喪服を着てね、髪を染めてネットをかぶってるの、ほつれちゃ大変でしょ。方々へ行かなくちゃならないから。こっちにはお葬式係のベテランがいるから警戒する。おばあさんは何にも取れなかった。でもおばあさん、ずうっと待ってましたね。機会をねらってあくまでもきちんと佇んで待ってるの。焼き場へお棺が出るときもちゃんと数珠持って、拝んでました。堂々と。遺族の人などに話かけて、遺族の若いお嬢さんに『この度はお気の毒で』『ありがとうございます』と話したりしてるの。取れなかったけれど最後までガンバッてた。そのおばあさんみてね、あたしもガンバラなくちゃと。くわしくいえばそこで髪を染めるか、それからあんまり色が黒かったり、くたびれ果てた姿でいると怪しまれるから色ぐらい白くしておかなくちゃとかね、研究してみました。以前、大詐欺のおばあさんが、捕まったあと老人ホームに入ったけれど、まるで平気でガンバッてるという話がありましたね。あの人は色が白くて上品なかわいいおばあさんだったと。色が白くて上品でかわいくないと、おばあさんになって詐欺もできない。やっぱり努力してるのね、その人も。

(「映画芸術」77年8月号)