消化された過去の夢

上條淳士が、描かなかった『TO-Y』の続編だか、『SEX』(この作品は当時も殆ど読んでいない)の最終回だかを、当時のクールなフィティッシュさのかけらもない、量産するような描線と雑なスピードで描き散らしている夢を見た。架空の女性ファン編集者との楽屋オチのようなものまで付けて。自分はこれらの作品への関心をまったく失って久しいのに、どうして今更こんな夢を見たのか不思議だけれど、たぶんそれらが完全に終わった過去として定着したからだろう。汚れのない、内面とか憧れだけを純化したような、実は中身の無いイメージ。本当は、ダサい生身や現実をたっぷりと引きずっていたから、それを昇化させるような気持ちでこちらも憧れたり、でも中身の無さを読み取って嫌ったりしていたのだと思う(自分の場合愛していたのは、本当は中身もあった紡木たくの作品だったが)。そんな描か方でしか表現できない時代、気持ちというものが、確かにあったのだと、今は距離を持ち、落ち着いて思える。しかし、そんなふうに思えるには、はっきりした時代の変転や、長い時間が必要なものだなと。

雨模様が続いて涼しくなり、昏々と眠って、やっと少しだけ疲れが抜けた気がする。