中島みゆきとおっさんについての記憶

「まったくフェミニズム以後の男の凋落は先が見えなくて不安になるほどだ。真似したいような男なんか何処にもいやしない。仮にいたって老人の私では今更手遅れだけれど、いま女性たちのリアルな突っ込みに耐える「格好いい大人の男」の幻想は、どのように存在しているのだろうか。
昔の話で恐縮だが、ほぼ四十年前私はテレビドラマで一人の男を書いた。戦争体験のある男で同世代の男たちがあまりに沢山戦争で死んだことを忘れられず、戦後の日本がどのように平和と繁栄の時代を生きようとも自分一人は生涯妻を持たず子も持たずひとりで片隅で生きようと決めている男の話だった。いわば禁欲のヒーローで「俺だけは戦死した男たちを忘れていない」と勝手に喪に服しているのだが、まだ戦争の悲惨を経験した人も多く、戦後の高度成長期を生きながら、それを死者に対していくらか後ろめたい気持ちがある人も少なくなかったので、そういう僧侶の役割を担うヒーローを必要としていたのだと思う。
いまはそんな分かりやすい存在をつくりにくくなってしまった。多くの人の思いが結晶となったヒーロー、ヒロインの幻想が困難になってしまった。
と、勝手に現在に適応できなくなっている老人が思っているだけなのだろうか。そうかもしれない」
山田太一「適応不全の大人から」

昔、中島みゆきが「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」をヒットさせた時、「Jポップ批評」でも特集されることになって、編集者や友人の泡沫ライターたちと「彼女は弱者が誰かに敏感だから、今はおっさん達に向けて歌うんだね」と自然に見解が一致したことがあった。僕等もまだ若く、おっさんに対してまだまだ余裕の上から目線混じりだったと思うが。
それ以前の彼女は、ファンとその他一般の好悪の温度差の激しいアーティストの代表のような存在だったが、ようやくアフターバブルも陰りを見せ、不景気が言葉の上だけでなく実感され始めたのと共に、いつしか聴くのが恥ずかしいアーティストでは無くなっていた。
その後も彼女の人気は盤石だけれど、おっさん(思えばデカい主語だが)達は、いつの間にか憐れまれるような位置を脱したのか。友人たちは当時をどう振り返るだろうか。