砂粒の大衆たちの社会

本来すぐれて生活者であり、実務家だったはずの人々が、そうした自分たちの生き方や現場が稀薄になるとともに、メディアによる情報や思想的イメージに左右されるようになっていることこそ、由々しいことだと思う。

同業のとある先輩に、「大衆批判というのは、つまり近代知識人批判のことなんです」という説明をした時、「その知識人というのは、具体的に誰のことを言っているんだ!」と、予想外の強い反発が返ってきたことが印象的だった。彼はサブカル系の雑文を書くことを生業としてきて、個人的にも思想や人間観について意識的に思索を重ねてきているわけでは無いことが会話から伺えたから、そういう彼のような人でも、そんなふうに知の権威を聖域のように思い、凭れかかっていること(同時に庶民大衆一般を同じ強さで軽蔑していること)に驚いたし、ショックだった。

 

念のために付け加えれば、彼のような人こそが、僕の批判する大衆(知識人)そのものなのだ。