沈黙と、保身と、ルサンチマンと。

ここ数年の急激な世相や流行(輸入)思潮の変転の中で、安定した世相の中では盤石な権威のように見えていたサブカルの神々たちが、様々に馬脚を現してしまった。自分もそのいくつかを批判してきたけれど、僕程度の影響力微小な者の批判でどうこうということもなく。自分のやっている程度のことは他の人間もやるという体で、彼等自身が自己矛盾を露わにしたところを批判されて自ら信頼を失って行った。
しかし、彼等を奉じていた人々に、自分が凭れていた神を批判(否定)されたという遺恨だけは蟠り、それは、自我が強く独自に考え動く者、和を乱す者への無言の反感としいう形で淫靡に残ってしまった。
自力で立っていなかった者が、拠り所を失ったからといって、急に自立できるものでは無いのだ。