わからないことよりも、わかっているという思い込みがずっと危険だ

ウォーキズムとかポリコレの暴走は本当に由々しいことだと思っているが、だからといって「ウォークはいけない」という啓蒙に人々を従わせようとするだけでは、同じことの繰り返しではないか。
そもそも思想体系というのは、どんなものであれ、それで一挙に世界の原理を説明してしまおうとする。しかし、人の内心というのは常に不定形に揺れているから、必ずそこからはみ出してしまう。自由主義であろうと、民主主義であろうと、フェミニズムであろうと、それを遵守すればすべて上手くいくなどということはあり得ない。むしろ、上手くいくはずだと信仰のように思い込んでしまうと、そこからはみ出す者やその内心、上手くいっていないという事実さえ許せなくなる。
他者や世界というもの(本当は自分自身も)を、すべて把握し説明することは不可能で、あらゆる思想体系は仮説であり、一つの目安や補助線に過ぎない。別の言い方をすれは、常に間違っている。
そうした、人の限界や不完全を重々忘れないことこそ、何かの思想を頼る時に最も重要な理性だろう。
わからないことよりも、わかっているという思い込みの方がずっと危険なのだ。