鎌田哲哉『LEFT ALONE 構想と批判』


 何ヶ月か前の坪内祐三三茶日記』で、「例えば中野重治のように、何かを徹底的に正確に記述しようとする執念において文学を感じる文章」と紹介されていて気になっていた(俺は坪内氏の視点のフェアネスについてはかなり懐疑的だけれど、ある種の嗅覚については良くも悪くも一目おいてる)鎌田哲哉のブックレット『LEFT ALONE 構想と批判』http://www.juryoku.org/03annai.htmlを取り寄せて読む。
 元々現代思想の類には全く興味の持てない俺も、彼については以前から、色川武大阿佐田哲也エッセイズ1の解説や、同時代論客の主体と発言の間にある処世や誤魔化しへの容赦ない批判、そして書き手として、また自身の主催する雑誌『重力』の、経済的活動基盤と自身の発言の関係といったことをオープンにし、引き受ける、徹底した態度に対して興味をひかれていた。
 そして予想にたがわず、そのような「面倒くささ」を引き受けることを厭わず、一つ一つのことを突き詰めることによって得た自信と勇気に裏打ちされた、下記のような迫力のある文章にぶつかった。

 たとえば、宅間が襲撃した池田小の児童に限らない。お受験のエスカレーターに乗り始めた小学生の殆どは、直ちに宅間のような存在を見下し、鼻にもかけない習俗を身につけるだろう。僅かに裕福な家庭に生まれた偶然を自分の手柄だと錯覚し、「天は人の上に人を造らず」という原則を平気で踏みにじってゆくだろう。時々(なぜレッテルを貼るんだ。ボクタチは一人一人違うんだ)と口を尖らせるガキが現われるとしても、それ自体が自分の下らない悩みを大袈裟に意味づける、自意識過剰の典型例でしかないだろう。こういう満腹ガキどもを平手打ちに張り飛ばし、人生がいつも自分の思い通りになるわけではないのを徹底的にわからせること、それが我々の永遠の課題であるのは確かだ。―だが他方で、宅間の暴力が、弱い人間がその怨恨をさらに弱いものにぶつけることで何かをなした気になる程度のものでしかなかったこと、彼が行動だけでなく、動機やモチーフのレベルでもそのようにしか考えていなかったこと。それもまた、「LEFT ALONE」が引用する宅間の書簡を一瞥するだけで明らかなことではなかったか。


 宅間に教えられるまでもない。子供が無垢や無実でないのは、何より魯迅が明らかにしたことだ。我々は生み落とされた途端につねに何ごとかに加担し続けており、だからこそ「人間を食ったことのない子供はまだいるのか」(魯迅狂人日記」)と彼は問うほかなかった。にもかかわらず、彼は「子供を救え」と続けて書く。それは、我々の批評や芸術が対抗暴力である限り、それらが根本的な転倒をもたらさねばならないからだ。いかに宅間に共感しようと、またいかに時間がかかろうと、彼が落ち込んだ「ドレイ」根性を断ち切り、何かを打倒するつもりが当の何かそのものに化してゆく悪循環だけは断ち切らねばならないからだ。


 殺すな、と陳腐な説教をしているのではない。殺すなら、せめて大人からだ。殺すのが困難で労力も時間も必要なモッブと、モッブを利用し他人の歯や眼を平然と傷つけながら、自分が批判されると都合よく寛容を主張する、そういうゴロツキどもから最初に殺す。少くとも、私はそうする。
『途中退場者の感想』


 俺は「天は人の上に人を造らず」という原則を信じていない、最初のところで彼とは立場の違う人間だけれど、それでも「我々は生み落とされた途端につねに何ごとかに加担し続けて」いることを堂々と直視し、引き受けて、その上でそれを器用に誤魔化そうとするあらゆるものに対する怒りを漲らせる、彼の思いと姿勢には深く共感する。
 自分が存在する限り背負わざるを得ない暴力性を誤魔化したまま、平和だけを口にする者は、往々にして持たざる者によって自分がおびやかされることを恐れ、きれいごとによって隠微に排除しようとしている既得権者(あるいは志願者)だ。
 暴力を自覚し引き受けることで、少しでも公平であろうとする意思。それは、「みんなやってること」「人間そういうものだ」とさっさと開き直り、自己正当化してしまいたい大多数にとって、ただただ面倒くさいものだろう。そして、彼の戦いは勝ち目の無い、ある意味不幸への道のりと言えるだろう。
 だから俺は、生まれ持った不利、不平等にいたずらにこだわらず逆らわず受け入れて、気にせず生きていこうとするような姿勢を否定しないし、日常においてはむしろ積極的に支持する。それが「宿命論」「シニシズム」と、いい気な連中に批判されようと。
 けれど同時に、たとえそのことで不幸を背負うことになっても、自分の暴力とエゴを合理化、正当化した馴れ合いの中で、不幸の存在を排除しようとする連中の欺瞞には誤魔化されないし、決して与しないぞと思う。


参考
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20041004