やせ我慢しながら相哀れむ

可愛い女性とか小動物、社会が公認する善良な弱者に対しては優しくして気分がいいし、人の欲望に叶っているから世間の共感や評価を受けやすいのは事実だろう。真の弱者は外見や性格などが不自由で、気にかけても楽しくない、地味だったり嫌われ者だったりする人達で、援助しても世の評価を得られないどころか、「何故あんなヤツらを!?」と反発さえ受けかねない人々だったりもする。
いわゆる、社会や他者の同情、援助の得難い男性弱者というのもここに含まれそうだが、しかし男らしさという価値観の根幹には「やせ我慢の美学」といのが抜きがたく在る。これがイカンと言ってしまうと、マチズモを何とかだとか、「男らしさの終焉」などと喧伝している者と同じになりはしないか?物事には正負両面があって、その一方を否定すると他方も丸ごと成り立たなくなるということがままある。物事は正負より度合いが肝心だとは言え…。
だから、痩せ我慢の男らしさを矜持として生きつつ、「男はつらいよ」と同胞への信義や友情、思いやりを失わないよう、我々自身が互いを労りあって生きるよう努めるより無いのではないか。

 

追記。

そらっとぼけた綺麗事で保身ばかり図ってるヤツも嫌だが、「それを言っちゃあおしまいよ」が無くなって歯止め無く低きに流れてる連中も気色が悪い。先回りして卑下する事でその実自分を甘やかすと同時に、他者や異性にタカを括って値踏みする失礼なヤツが、軽蔑されるのは当たり前だ。
いじけた不幸な意識の持ち方が、一層自分を不幸にしているんだよ。