実感もしていない伝聞を一大事だと思い込まされる倒錯

男女差別だとか性暴力だとか、ここ数年俄かに社会的第一義の大問題のように騒がれているけれど、自分の視界に入る人間関係の中で、男女差別が自分達の間から内発的に深刻に意識されたり、誰かが性暴力に苦しんだりといった話をほぼ見たことも聞いたことも無い。企業内部での扱いや雇用においての男女の格差は確かにあるし、慎重に是正されていくべきだと思うけれど、日常自分(たち)が、男だからとか女だからとか、男らしさとか女らしさとかを、そんなにいちいち気にしたり問題にしながら生きていない。ただ気の合う男女、気の合わない男女がいるだけというのが正直な感覚だ。男女間のトラブルがあるとしても、それは恋人とか夫婦の間での個別の問題で、簡単に部外者が口を挟んで良い悪いとは言いにくいことが殆どだ。唯一もう長い間、世の中に喧伝されるまでもなくずっと気にかかったり悩んだりしていることは、各々の生き方が個人的になり、プライベートへのこだわりが大きくなると共に、恋愛や結婚のハードルがいつの間にか上がっていて、意識して独りでいるわけではないのに、日々忙しく働いているうちに、特に大人しく人間関係にあまり積極的て無い人が、なんとなく恋愛や結婚からあぶれて、放置されていること。それが、経済的な地盤沈下による生活の不安で、さらに助長されていることだ。こんな状態で、男女の在り方が僕等自身の生活や意識の外から勝手に問題にされ、煽られて、男女の間が構えすぎてぎこちなくなったり、不仲になったりして良いことは何も無い。お上やマスコミがどう騒いだり指図しようと、僕等自身にその実感があったわけではないのに、上から喧伝されることに煽られて自分達まで問題があるかのように思い込んでしまうことは、はっきり馬鹿馬鹿しい倒錯だと思う。自分たちが問題を感じていないなら、誰がなんと言おうが気にせずに当たり前にやっていくべきだし、そんなものに煽られて自分やパートナーの在り方が怪しく思えてきているとしたら、それはあまりにもろく情けない関係じゃないかと思う。そして、経済不安やコロナに乗じて、そんなことを煽るのは、もともと平地に乱を起こしたかった人たちだと思う。そうした人たちの、自分の動機や立場を明確にせずに、社会不安に乗じて弱った人々にどさくさ紛れに問題を押し付けようとするやり方は卑怯だと思う。
勿論、多数が問題を抱えていないからといって、個々に深刻な問題を抱えている人はたくさんいるだろう。現に問題だと感じていることは、他の一般がどうであろうと主張されていいし、それは、彼等の外部の社会とまったく無関係だともまた言えないだろう。だとしたら、どれだけ関係があるのか、援助の必要があるのか、責任を持って関わることができるのかが、冷静に検討されるべきだろう。
いずれにせよ、まだ曖昧な現実を、既に明確な方向があるかのように思い込んだり、喧伝したりするのはとても危険なことだ。

 

追記。
これは、たとえばほんの近過去に、恋愛をしていなければ人間じゃないように云われ、みんなでそう思い込んでいた状態と裏表のようなものだと思う。共に広告や喧伝されるイメージに踊らされて、自分を見失い距離を取れなくなっている状態だから。
恋愛だって、しようと思ってするものではなく、その時が来れば落ちてしまうような不如意なものであって、自分の中に感情も必要も無い時に焦ることは無いのだ。