可能性に呪縛され自由を失う

人間はある面確実に、性欲とか本能とか身体条件に縛られていて、如何ともし難くそれに振り回されながら生きている。
しかし同時に、本能や欲望の在り方が、他の動物のようにきっぱりとはしておらず、欲望に経験や想像力が作用して多様な個人差を生むから、面白いと同時に難しい。ブレや自由度が同時に、自己限定の覚悟や他者との共通了解を難しくもする。
自由度の限界の曖昧さが、生き方の難しさや、他者同志の理解を難しくしているマイナス部分も、よき共存の為には意識されることが必要だと思う。
性自認の問題の際限ない混乱や、自分や他者のマイナス条件に我慢出来ず、変えてしまえという気分の蔓延にもそれを感じる。諦念もまた、人を強く豊かに、自由にするという実感、認識を得にくくなっていることが、可能性に捕らわれすぎる不幸に人や社会を苛んでいると。

 

ニッチな喩えだが、(サイケデリックやロック革命の)進歩や意識変革に疲れ果て、多くの犠牲者も生んで、ザ・バンドのような在り方が逆に輝くということが、ロックという1音楽ジャンルの歴史にさえ起こる。こうした様々な過去にも学びたい。