権威好きのお利口バカは手に負えない

「1990年代には「オルタナティブ」という価値指針が音楽シーンを席巻していた。そこでは、前時代のニューウエイヴの価値相対主義的音楽観が更に拡大され、同時期に隆盛していたレア・グルーヴ・ムーブメントなどとも歩を揃えるように、神話的もしくは歴史的語り口が先鋭的な音楽受容文化から閉め出されていった(一部メディアでは伝承芸的に今も生き残っているが)。そして、私自身はというと、そういった「オルタナティブ」な価値観への変遷に身を浸しつつ、「新しいものでも古いものでも今という視点で聴いてみたい」という相対主義的意識から、いわゆる現在でいう「ルーツ ・ロック」を積極的に聴き始めたのだった。(…)その頃には、ハッキリいって「○○なんてダサいロックの象徴」とされていた(おそらく今現在でもそういう認識は少数派では無いと思う)。かくいうわたしも、「ロック神話時代に好き放題を(…)」という刷り込みから逃れがたく(…)」


いったいどこから物を言っているのかわからない、心底臆病で小狡い文章だと思う(便利に槍玉に上げられているアーティストにあまりにも失礼だと思うので、あえて名前は上げない)。こういう自称先鋭的な価値相対主義者の決定的に駄目なところは、肝心の「現在」と「自分」への懐疑を全く欠いていること。それにまったく無自覚に、ひたすら流行思潮に従順に、そこからハズれた物や価値に対して偉そうに、冷淡になれる。しかし、流行が変わればまた従順に「気付く」ことを繰り返す。
ただロックや若者文化が老いて消費個人主義に呑み込まれ、客は自由を勝ち取ったり、いかに生きるかを能動的に考える必要も気概も無くしたただのオタクの群れになっただけのことなのに。
長い長い豊かさに膿んだこうした退廃の時代が終わり、消費にタダ乗りしていい気になっていた虚弱な大人子供たちは、今またご都合な政治的正義や規範へと便利に、安直に寄りかかっている。そして決して独りを生き考えられない彼等は、今度も己を省みることは無いだろう。
権威だけが好きなお利口バカは、本当に手に負えない。