鮎川さんのことを中心に、個人的めんたいビート体験の話(Twitterでの会話から)

うちの実家は本当に田舎だったので、中学や高校でバンドやってる連中はみんな当時流行ってたジャパメタ好きで。メタルって様式とテクニックを追求するジャンルだから、カウンターカルチャーとかアングラな気分とははっきり切れてるんですよね。それで、パンクやニューウエイヴは田舎の中高生にはまったく届いていなかった。
鮎川さんは、85年頃に桑田佳祐が企画したメリークリスマスショーに登場されていて、初めてギターを聴きました。桑田に「鮎川さんはストーンズスタイル」と言われていたのでちょっと注目して。それ以前にもスネイクマンショーでレモンティー聴いてたはずなんですが、自分の中にまだ文脈が無くてまったく反応できていませんでした。
高校生の頃、一気に日本のロックのメジャー化が始まって、メタル小僧たちはみんなBOΦWYに鞍替え。僕はストーンズ好きだったので、スライダーズやレッドウォーリアーズを聴いていました。
で、卒業後街場に出てバンドやろうとした時に、出会った2、3歳上の友達に、めんたいビート好きが多かったんです。中で僕はヤンキーっぽいのに棒っきれみたいなうら淋しい独特の詩心を感じるルースターズ(初期の2枚と、末期にロックンロール回帰した数枚)と、陣内のC調なキャラクターも音もポップなロッカーズが好きでした。モッズとARBは、非体育会系だった文系不良少年としては、九州男児っぽい硬派なところが当時はちょっと苦手で。でも、山善さんくらい突き抜けて崩れた感じだとシンパシーが湧いてくるのが不思議ですね…。
シナロケは山口冨士夫ちゃんを招いてのライブ盤が最初で、それから遡ってサンハウスも聴きました。サンハウスはキクさんのロック的なダンディズムを感じる詞世界も良かったです。でも、鮎川さんは一貫して、ポップでお洒落な人だなと。シナロケの音もそうですが、硬質だけど一貫して意味性や思想と無縁でひたすらスタイリッシュなのが独特だなと。だから、ロックに胸に刺さる情感や爆発的な解放感を求めてしまう自分のようなダサ坊は大はまりはしなかったけど、スタイルと初期衝動が一貫しているシンプルなロックンロールが好きで普通に楽しく聴いていました。本当に、あんなにポップでスタンスの軽い硬派ロッカーって、日本のロックに唯一無二だったと思います。
論という感じではなく、個人的な記憶の話に終始してすみません。

追記。
今はあまり語られなくなっているけれど、バンドブームの時大量に登場したビートパンク勢の多くがルーツとしていたのが、RCと並んでめんたいビート勢だった。ニューミュージック、シティーポップ的な進化と洗練一辺倒になっていたメジャーな若者音楽に対して、パンクをその強い主張以前に、シンプルなロックンロールのリバイバルと捉えた博多、北九州のバンド達の在り方が、更に当時風の平熱の日常感覚の中で焼き直されたとも言えるかもしれない。
ただ、中でシナロケは、フォロワーもカバーバンドも極端に少なかった気がする。やはり、鮎川さんのポップでスタイリッシュでかつ硬派な個性が、青い若者の衝動とじかには結びつきにくい、すぐれて独特のものだったことを示している気がする。