とかくこの世は住みにくい。お互い様だ。

合理性を追求すると、時間が出来たり仕事が楽になったりするけれど、そのかわり人の生きていく力は衰弱する。
便利を求めて、手間や時間のかわりに、企業のサービスをお金で買うようになると、楽ではあるが自分が自分の暮らしの主人では無くなって、他人に預けた部分が危なっかしく不安になる。
では、何もかも自分で手間をかけて生きればいいかというと、それではよそとの競争に負けてしまってうまくないという場合もある。
世の中の行き詰まりというのは、大抵こういう形でやって来るので、合理的になり過ぎて行き詰まったら、少し人力に戻して、体力や生き甲斐を取り戻す、というふうにバランスを取っていくよりない。
どこかに世の中を牛耳って悪くしているヤツがいて、それをやっつけるなり改心させるなりして劇的に物事を解決させたいという思いがあると、それはなんだか騙されているような、つまらないことのように思えるけれど、人間は群れて競争せずにはいられない生き物である以上、そこで勝ち抜いておいしくやりたいという気持ちをただ咎めるわけにもいかない。狡くて悪い人間がいたとして、それがどう悪いか理路を示すことは出来ても、悪人すべてを改心させたり消し去ったりすることは出来ない。制度や社会を変えれば、人間が変わるということにもならない。
言うことを聞かない者を自分の正義に本当に従わせようとすれば、専制とか人民裁判とかに訴えて、乱暴なことをするしかなくなる。

だとしたら、そうした条件とか限界を見据えて、その中でどう生きたいか、どう工夫するかを考えるしかない。
「とかくこの世は住みにくい」のは、相身互いなのだ。