土曜ドラマ 監査法人

面白い。
もはや、あの『ハゲタカ』を超えてるんじゃないか。
しかし、今こうした「実録路線」をやれるのが、映画ではなく、当然民放でもなく、NHKだけってところが新自由主義状況の限界か。


最初は、塚本高史松下奈緒豊原功補といった出演陣の、ポリゴンかアニメ絵のようにツルツルした風貌と、いかにも学校優等生風の高慢な正義漢ぶりが、『ハゲタカ』以来のロボットアニメ風過剰演出と相まって、正直二番煎じのチープさを感じたりもしていたのだが、今となってはすべて計算ずくだったのだなと納得。


銀行、企業、監査法人の、三すくみの癒着。
無責任に企業に融資を薦めておいて、限界が来ると尻尾切り、を繰り返す大手銀行。
これにメスを入れ、健全化しようとする若手会計士と、新時代の波。
しかし、こうした日本的なもたれあいの中にも、将来を見越して企業の危機を支え、互いに共存していこうとする「日本的な良さ」も含まれていた。
同時に、健全な競争と合理主義は、結果的に強者達の独り勝ち状況を生み出した面も。


そして、ある時代に「当たり前」だったものが、新しい時代の基準に裁かれ断罪されていく。
ほとんど現代版「県警対組織暴力」と言ってもいい構図だ。


初めのうち、日本的な悪の象徴のように描かれていた大手銀行や旧来型の会計士が、国の方針転換であっさりと潰され、同時に滅んだものの肯定面がクローズアップされる。
ヌエのような癒着の壁にぶつかって苛立っていた新世代は、今度は殺伐とした新時代に苛立ち、空虚になる。
何が良くて、何が悪いとは簡単には割り切れない、という事実がクルクルと立場を変えながら、ドラマチックに強調されるので、観ているこちらはどの立場にも肩入れできず、不安定な無常観だけが残る。


ホリエモンらをモデルにしたと思しき、阿部サダヲ演じるベンチャー社長など、ちょっと哀れっぽく美化しすぎなんじゃないか、功利的で浅はかな開き直りで破壊に酔っていた部分の方が大きかったんじゃないかとも思うが、簡単に彼らに揺さぶられ、コンプレックス交じりに持ち上げた揚げ句、新状況も落ち着くと彼らに泥かぶせてあっさり過去へと葬り、同時に自分たちがそこでした選択も忘れ、反省や熟考の機会も同時に失っている現在の我々を考えると、単に悪役にするよりは、まだしもずっとマシかもしれない。


ただ、善悪の反転を極端に行き来し、「時代に翻弄された」という落とし方には、ちょっと引っかかるところもある。
どんな人間だって、時代や状況から自由ではあり得ないし、そのことに謙虚であろうとすることは何にも増して大切なことだと思う。ただ、そこで(たとえ曖昧にであれ)自分が何かを選んでいる(或いは、流されている)ことを見つめ、引き受けようとしなければ、「諸行無常」という結論は、曖昧な総懺悔にも繋がるんじゃないか。


新旧の対立を強調して、それぞれの立場に登場人物を割り振り、「時代に流され」「時代と戦う」姿を相対的に描くだけでなく、僕はむしろ、旧来の日本世間にも、新自由主義的な合理の中にも、変わらず人の欲も保身もあり、同時にそれを踏まえながらベターを目指す営為も分ちがたい形で存在することを淡々と、しかし力強く描くようなドラマを、求めたい気持ちがある。
新旧の二元論的な是非を問うだけでなく、時代によって右に行ったり左に行ったりしながら、悪を行いつつ善を思い、その都度何かを選び取る姿をどちら側の人間にも見たいし、無常よりもそんな人間のしぶとさや健気さを、先行き不透明で足もとを見失いそうな時だからこそ、今は観たい気分なのだ。
もっとはっきり言えば、何が幸福かを模索する試み(それは、変わり得ない不幸を直視し、それに耐えるための試みも含めて)をこそ、今は何よりも観たい。
勿論これは、挑発的な傑作であることを十二分に認めて、最大限の敬意を持った上での、ないものねだりなのだけれど。


ともかく、製作者達が、彼らなりの結論をどう落とすのか、今週末の最終回が楽しみだ。