癒着を破壊し合理を取ることは本当に正しいのか

維新が躍進したということは、多くの人が経済を合理的に優先する方向を望んでいるということ。
そこに対して、戦争や宗教の脅威を煽ることだけで対抗しようとしているのが、安易に過ぎだのだと思う。
統一教会自民党の癒着が事実だとしても、宗教に限らない無数の利権の提携の中の小さな一つだと考えるのが妥当で、そうした癒着や凭れあいの体質を、本当に僕等が否定できるのか、否定したいと本気で思っているのか、虚心に点検してみることが必要なのではないか。癒着を捨てて合理を取った場合の負の側面を直視することを含めて。
自分たちを本当に支配している(と同時に支えている)のは、そんな泡沫宗教などではなく、勤務先の企業との関係や、日常の人間関係なのではないか。それを自分はどう変えたいのか、或いは変えたくないのかを、建て前抜きにまず顧みるべきなのではないか。
或いは、自分たちの日常を、知らないうちに怪しい宗教が入り込んでおかしくない程危ういものだと考えているならば、何故そんなに日常が脆く危うくなっているのか、日常が包摂できていない不安を怪しいものに頼らず何によって支えていけるのかを考えるべきではないか。