ミュージックトマトの思い出(その2)

鬼頭径五

https://m.youtube.com/watch?v=DMNMJjs73XA&feature=youtu.be
エレファントカシマシと同時期にソニーからデビューした人。ミュージックトマトでやたらにこの曲のPVがヘビロテされていて、いったい何者なんだ?と、友達と曲ではなくお名前について、失礼な冗談を言い合っていた覚えがある。
当時はまだ、一気にメジャー化した日本のロックがどういう方向に進むか予想がつかず、こうした極端にオールドファッションな強面ロッカー然とした人も含め、とにかく数を打つという感じで売り出されていた。
今のロック史の通念を当てはめて一人一人を見ると、後の人には不思議に映るかもしれない。
質とは別のところで、こうして埋もれてしまった系譜も多いのだ。

宮原学
https://m.youtube.com/watch?v=HnTrbd3Zxqo&feature=youtu.be
当時大人気だったブライアン・アダムス風のこの曲でデビュー。ルックスの良さも手伝って、ポスト尾崎的な売り出しをされている雰囲気もあったけれど、彼自身はメッセージ云々にはまるで関心の無いアメリカンロック好き。付与されたイメージに逆らうように、髪を延ばしてハードロッカー然とした見た目に変貌、曲調もどんどんヘヴィに。しかし、バンドブームとの板挟みで割を喰った感大で、はまりどころが難しく可哀想な感じがしていた。
メジャーなロックも文系的にマニアックになる一方、屈折の無い爽やかなイケメンには受難の時代だった気もする。

パール
https://m.youtube.com/watch?v=_rUgiNEMMNU&feature=youtu.be
バンド名はジャニスだけれど、直接にはカルメンマキ&OZの影響が大だと思う。後のブランキー黒夢に連なるような、東海地方のロッカーらしいはすっぱでちょっと湿ったツッパリが匂う音とキャラクターだけれど、これも結果的にはバンドブームの平熱な日常性に逆行してしまって不運だったと思う。もともと女性4人編成だったのが、デビューのためテクニックの安定したギターとベースをレコード会社にあてがわれた(当時はよくあった)事情も、バンドとしての一体感をやや削いでしまうことになっただろう。後に、落ち着いた年齢になってからソロとして小ブレイクしたけれど、こうした地の色は薄まってしまい、ファンで無くとも残念に思った。

ストリートビーツ
https://m.youtube.com/watch?v=6XY40Wq94ZU&feature=youtu.be
名古屋ロッカー達に通じるツッパった頑なさが特徴的だけど、実際は広島出身のビートバンド。メジャーデビュー直前にベースだった寺岡呼人が、同様の状況にあったジュンスカイウォーカーズに移籍。後にゆずのプロデューサーとして成功する彼のキャラクターを思えば適切、賢明な選択だっただろう。しかし、デビュー後程なく大ブレイクするジュンスカと対称的に、こうしたザ・モッズ系統のセンチメンタルと反抗心を受け継ぐ人達は、この辺りを境に一気に古くなった(良し悪しとは別に)。
この曲、正直というか赤裸々というか、先の見えないプータロー暮らしだった自分にはかなり切実に響く内容でインパクトはあったのだが、しかし乗れなかった。自分の好みばかりではなく、弱者の弱音は恰好悪かったバブル前夜の空気の中での感じ方もあったと思うし、好きでやってるロックなんだから、こういうことは他人の知ったことじゃないだろう?弱音では無く魅力で説得しなきゃ駄目だろう?というプライドも作用していた。同様に恋人との別れを歌ったレッドウォーリアーズの「バースデイソング」を聴いて、四畳半暮らしをしてる貧乏ロッカーの作った歌が、こんなにロマンティックだとは!と、音楽の力に魅了されていたこともある。不遇も貧乏も構わないが、しみったれは嫌だ。この気持ちは今も変わらない。