日本有数のギタリストの死

bakuhatugoro2005-01-17



いつも、どうしようもないダメ者を愛で、甘やかすような文章ばっかり書いてると見られがちなのだけれど、実のところ俺自身がモノホンのダメ人間を許容できるような太っ腹かといえば、まったくそうじゃない。
むしろ、根が生真面目で、そのくせ頑固に自己完結できない方なので、いつも半端に理解を示しては振り回され、手痛い目に合った揚げ句疎遠に... なんて悪循環を繰り返してきた気がする。


人間、年と共に丸くなると一般に言われるけれど、俺の場合、むしろどんどんこらえ性がなくなり、また半端な目端と諦念のために、そういった連中との付き合いが、どんどん薄くなってきているようにも思う。


この12日、ペリカンオーバードライブ(元ポテトチップス、セイリンシューズ、マモル&デイビス、エラーズ)のギタリスト、コジーこと小島史郎が亡くなった。享年40歳。


彼は、俺が今まで会って来たロクデナシの中でも、はっきり言って極めつけだった。
長年の高円寺暮らし。
夕方から飲み始め、翌日の昼過ぎまで飲み続ける、なんてことが何日も続くのが全然珍しくないヤツだった。彼と付き合いが濃かった頃は、早朝にベロベロに酔った彼から何度も呼び出しの電話がかかって来て叩き起こされ、無理やりに付き合わされた。
本当に、最低限の肉体労働以外の時間はほとんど酒を飲み、その合間たまにリハに出かけ、ライブをやるような暮らしぶりだった(死因自体は肺ガンで、不摂生が直接の原因ってわけじゃないが...)。


シャイな性質のあまり、物事を直視してストレートに話すような会話がまったくできない男で、そのくせ酷い寂しがり屋の甘えん坊だった。
普段気が小さくて、うまく人とつき合えない分、酒を飲むと極端に人に甘えた。自分を受け入れてくれる人間に際限なく甘え、絡んだ。
寂しがり屋なくせに、セルフデモンストレーションするずうずうしさがまったく欠けた男だったので、不器用に屈託している分強烈に嫉妬深かった。
女出入りやトラブルも頻繁で、コンディションを悪くするとよく姿をくらましたりしていた。今は決まった家もなく、先日倒れるまでの数ヶ月も、親しい友人達さえ消息を誰も知らないようなありさまだった。


暴力的な性質ではまったくなかったけれど、とにかく、何かに意識的になるということが嫌いで、自己相対化や反省というものとまったく無縁の人間だったから、自堕落な逃避を繰り返しては、周囲とのトラブルや絶縁が耐えなかった。


逆に俺自身は、一々のことを意識、納得し、意味や目標を定めなければいられない(諦念にしろ、破綻にしろ、無意味にしろ、線を引こうとすることから際立ってくるものだと思っている)、とりとめのないことに耐えられない、逆の意味で面倒くさいヤツだから、お互い最後まで、どう付き合っていいかわからないままだった、というのが正直なところだったような気がする。


だらしのない無責任や、取り留めのない自堕落をずるずると許容してくれる(半面、踏み込みあうことなく馴れ合っている分、誰もがトラブルに対する判断も責任も放棄し、水面下のエゴや力関係をなしくずしのまま放置してるような)懲りない周囲の人間関係も含めて、だんだん苛立ちが募っていき、いつか疎遠になっていった。
俺に限らず、最終的に「いま、ここ」に飽き足らず、「明日」を必要とし、求めている人間は、彼らから徐々に離れていった。


こうしていろいろ並べていくと、彼を知らない人は、ありがちな中央線ブルースオヤジ、ハードロックオヤジを想像してしまいそうだが、さにあらず。音楽的にはもの凄く洗練されたヤツだった。
ポテトチップスのギタリストとして、グレイトリッチーズ、theピーズといったバンドブーム末期のバカロック勢の一員としての活動や、ブルース色の濃いセイリンシューズでの活動が知られているから、ブルース、ロックンロールのギタリストというイメージが強いけれど、彼本来の持ち味は、もっとセンシティブで柔らかいものだったように思う。
会うといつもカーティスやマーヴィン・ゲイアル・グリーンあたりの、ソウルミュージックの話ばかりしていた印象が俺にはあるし、いつも適当な借り物のギターばかり使ってるくせに(ストラトミュージックマンの印象が強い。レスポールは絶対使わない。)、どんなハコのどんなアンプを使っても、柔らかいのにふくらみと音圧を感じさせる、あの音を平気で出していた。


そんな彼の指向や気質が本当に全開になっていたのは、やはりペリカンオーバードライブでの活動だったと思う。彼同様、まったくセルフデモンストレーションってものができない、シャイでセンシティブで自堕落なダメ人間たちの集まりだから、最後まで活動が広く知られることは無かったけど、飄々と涼しげで、ナイーブで、だけどリズムは素晴らしく跳ねている、「黒人音楽としてのロックンロール」の筋がどこかしっかり通った、本当に良いバンドだ(ベタな例えだけど、いちばん印象近いのは、佇まいというかバンドとしての在り方はフェイセズ、音はニック・ロウデイヴ・エドモンズがやってたロックパイルかな...)。
例えば、theピーズのように、判りやすく屈託を刻み、表現するような、音楽以前に特定の層に引っかかりやすいような打ち出しは無いけれど、別の意味で、マイナーポエットがさりげなく表現された、小春日和のように気持ちのいい曲をやる。


知人としての身びいきとか誇張でもなんでもなく、また死による感傷でもなく、単純な事実として彼はこの世代、このジャンル有数の、日本を代表するギタリストだった。
シーンの一線を退いて10年、ほとんどの人には急な知らせであったにも関わらず、昨日、一昨日の彼の葬儀には、二日で300人もの人たちが駆けつけた。
彼の迷惑を被って疎遠になったり、絶縁したりした(俺のような)連中も、みんな集まった。
マモルも、もりくんも、はるも、アビさんも、ウガンダも、シンイチロウもいた。


どうして彼が生きているうちに...とは、思わない。
俺自身、彼が生き返ろうが、時間を戻そうが、うまくやっていく自信はまったくない。
彼やバンドが無名だったのも、甘い自堕落ゆえの自業自得だとはっきり思う。
けれど、そんな彼、そしてあのダメな仲間たちからじゃなければ、あの曲、あの世界と空気は生まれようがなかったとも思っている。


音楽に対する自信と頑固さから活動のフィールドを狭め、屈託の中(そしてアルコール!)で音楽への情熱もくすませてしまっていたけれど、コジー自身、実はまったく後悔していないだろう。
ただ、このまま仲間たちと永遠に、ゆるゆると自堕落に、叶えるつもりも無い夢を語ったりしながらやっていたかっただけだろうと思う。
まったく腹立たしいことだが、俺はこのロクデナシ共のやる音楽が嫌いになれない。
そして、それがまだ、充分に世に鳴り響いていないことだけは、とても残念に思う。


ヤツラの為にか、世の為人の為にかは、かなり微妙だけれど(笑)


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