「モヤモヤ」を振りかざす人間が不寛容を生む

「もやもやする」というのが、他者や現実を批判する言葉として濫用されているけれど、現在の問題はむしろ「もやもや」に耐える胆力が極端に失われて、何かそれを裁く正解があるかの思い込みに簡単に閉じこもってしまうことだと思う。
小説や映画などへの参事が極端に「共感」に偏っていることも気になる。自分の人間観、世界観を揺さぶり脅かすような、簡単に理解できない、自分の言葉も通じない他者に出会う表現が少なくなり、また忌避されているのではないか。
あまりに、自分の感じ方や、自分のいる場所を疑うことを厭い過ぎているように思う。自分を可愛がり過ぎているように思う。

そんな、堪え性が無く、独善的な人間ばかりが溢れている世の中が、不寛容になるのは当然だろう。