尾崎豊インタビュー「新作解説、ロッキンオン的批判への回答」(ロッキンオン86年2月号)

熱病の様相を帯び始めた尾崎ストーム。ステージを降りた「若きカリスマ」が自ら語った試行錯誤の全て。

自分の問題意識とか価値観を人にあてはめるのはやめたんです

尾崎豊自身が語る今回のアルバム、というので始めますか(笑)

「なるほど(笑)。えー、20才の誕生日に発売ということで今回はかなりあわてふためくものがありましたけど、まあいつものペースでやれましたね、気分的には」

●かなり速いペースでレコード出してるんだけど…。

「曲を作りたい、という気持ちが強いんで、作ろうと思ったら割とスラスラできちゃったんですよね。スタジオなんかに篭もっちゃったら曲ばっかり作ってる、というタイプじゃないかな。コンサートがあるから、そこで切り換えるわけですけど」

●3枚目という事で、これまでと違ったところはありますか?

「かなり積極的にレコーディングに口を出すようになりましたね。アレンジも自分でやったりしてるし」

●レコーディングに入る前には何かコンセプトはありました?

「まず僕の中でずっと「壊れた扉から」というイメージがあったんですね、どういうことかと言うと、学生じゃない、大人としての自分を見つけなきゃいけないと考え始めて。つまり扉を開けて一歩ふみ出さなきゃ、って思い始めたんです。で、今になってみると自分はすでにその扉を開いていた、一歩をふみ出していた、ということに気付いたんです。それでふりかえってその扉を見ると、それはもう壊れて街の中に埋もれている。そういうイメージがあったんです。手にしたと思うともうそれは失われていた、というか」

●そういうイメージはどこから出てきたのかな。何か体験があったとか?

「つまり、その扉というのは僕にとってはずっと夢のようなものだったんです。ところがそれを通り抜けると夢でも何でもなかった。おまけに扉は壊れていて元居た所にはもう戻れない、という実感があったんですね」

●なるほど。で、そういう認識を持っちゃった尾崎豊はこれからどうするわけですか?

「次の扉を見つけなくちゃいけない。あるいは作らなくちゃいけない。そういう気持ちですね」

●いつか扉がなくなってしまったら?

「うーん。あんまりそういう事は想像しませんね(笑)」

●若いですからね(笑)。えー、それでは一曲ずつ何かコメントしてもらえますか?

「じゃ、『誰かのクラクション」からいきますけど…これは愛が現実を超えたところにあって、それによって救われるというような気持ちがすごく強かった頃に作った曲なんです。今でも愛が大切だという気持ちはありますけど、その頃は漠然とした愛のイメージと、実際に自分にのしかかってくる現実とのジレンマをすごく強く感じていて、それを形にしたのがこの曲なんですよね」

●誰かのクラクションというのは誰かの悲鳴ってことなの?

「そうです。背負えるはずもない誰かの悲鳴をも背負ってしまったりとか、自分と置き換えてしまったりとか、そういうのが僕の生き方の中にずっとありましたね」

●例えばティーンエイジャーの自殺に関して、僕なんかは問題抱えてんのなら何で戦おうとしないんだろう、なんで自分を殺してしまうんだろうと単純に考えてしまうんですけど。

「僕も一時は自殺しようとそればっか考えてた時期があったんですよ、小学校5、6年かな。転校生でしてね、いじめられてたんですよ(笑)。それで、どうしてこいつら俺ばかりいじめるんだ、今日こそこいつら殺してやる、ってカバンにナイフ入れて学校行ったこともあったんですけど、やっぱり人を殺したり自殺したりする前にできる所まで生きてやろうと思ったんです。死ぬまでは生きてやろう、と…。最近でも、まあ自殺は考えないですけど色々かべに突き当たったりするんですよ。でも何かこの頃はもう自分の背負い込んだ問題意識とか価値観を人にあてはめて考えるのはやめたんです。つまり、何て言うかな、自分の価値観を0にしてそうして人と人とがつながり合って一つの社会を考えるようにしないと真実は見えて来ないんじゃないか、と。何が大切か、とかそういう事も全部捨て去って人と人とがつながり合う、というか…」

●これが気持ちいいんだからこれでいいんだ、みたいな?

「いや、それとは違いますね。つまり、より平和に、より幸せに、より愛情深く人と接するにはどうすればいいか、というと全てを受け入れる事なんじゃないかな、と考えるようになってきたんです。そんな中でもし、まちがいとかが目に入ったとしても、それをあからさまに「おまえそれは違うよ」ってつっかかっていくよりは、相手のふところに入ってわからせていく方がいいんじゃないかと考えるようになったんです。始めの頃は僕もすごくネガティヴな姿勢だったんですけど、だんだんポジティヴな生き方を見直すようになってきましたね」

●そういうふうに変ってきたきっかけは何だったの?

「僕自身がすごく罪悪感に悩まされて…」

●罪って、具体的には?

「やっぱりネガティヴに生きているといろんな悪業をやっちゃうんですよね…女をだましたりとか(笑)。それで、「何でこんな人を傷つける生き方をしなきゃいけないんだろう」って反省が湧いてきた、というか…」
「『失くした1/2』という曲、これは英語のタイトルがオルタナティヴ、つまり二者択一という意味なんですけど、人間が楽しく生きるか、つらい目をして生きるかどちらかを選ぶという場合、僕は楽しく生きる方を選ぶべきだと思うんです。今まで僕は苦しんでしまう生き方を打ち出してきたんだけれども、その苦しみというのは、それを乗り越えて幸せになるための強さを勝ちとるためのものでなければ意味がないんじゃないか、と思うんです。そういう事がこの曲を作っている時はずっと頭の中にありましたね」
「最初からポジティヴに生きてる人っていうのも多いと思うんですよ、でもそういう人って、本当はネガティヴにならなきゃいけないような場面でもそれをすり抜けちゃう人が多いと思うんです。だからそういう人には逆にネガティヴな面にもちゃんとかかわってほしい、という気持ちがありますね。あまり自分ばかり大切にしすぎるんじゃないか、という気がします。ひどい時にはポジティヴな者同志が自分達を守るために互いにつながったりとか…いじめなんかもそういうプロセスなんじゃないですか」

●すると尾崎豊はやはり被害者の立場から歌っている、という事かな?

「いや、今は被害者の立場からも加害者の立場からも物事を見ていますね」

●そういった被害者の立場の人達が、集まって、戦おうぜ、みたいな事にはならないのかな?

「ネガティヴな考えの人って自閉して隅っこで小さくなってる場合が多いですからね(笑)。僕みたいな出るクイになったネガティヴな人間は、他のネガティヴな人間からも敬遠されてしまって(笑)。だから僕みたいにネガティヴな人間がその事にちゃんとした意味を与えて打ち出していくと、「僕もそうなんだ」「私もそうなんだ」と言い始めて…だから僕がもしデビューしないで、こういったやり方をせずにネガティヴな人に出会ったとしたら、「話したくない」と言われたでしょうね」

『卒業』を作った時、同じ学校へ通ってた女の子に「あんたそんなに学校がつまんなかったの?」って…

●あなたの話を聞いていると、常に他人との関係、あるいは他人というフィルターを通して自己変革を行ってきたわけですよね。僕はそういう事が最もはっきりした形で出てくるのが恋愛においてだと思うんですが、そうするとあなたにとっての恋愛というのは常にヘビーな形でしか展開しないのではないかという気がするんですが。

「いやあ、ヘビーでしたね(笑)。でもそのおかげで今では良き思い出になってますけど(笑)」
「『卒業』という曲を作った時、同じ学校へ行ってた女の子に「あんたそんなに学校がつまんなかったの?」って言われて(笑)「うん、つまんなかったよ」って答えたんですけど(笑)…」

●とても同じ学校に通ってた人が歌だと思えなかったんだ…。

「そうなんです(笑)。「戸塚ヨットスクールの歌じゃないの?」とか(笑)。でもあれは、そういうヘビーな状況を乗り越えよう、というつもりで書いた歌なんですよね」

●ラブソングというと普通は相手と居る時のすばらしい時間とか光景とかを歌にするパターンが多いんだけど、あなたの場合、そういうのは曲作りの動機にはならないの?

「いや、結構なってるんじゃないかな」

●例えばどういう曲?

「……」

●ほら、考えてる!

「いや、どれをとって話そうかな、と(笑)。そうだなあ…、やっぱりヘビーなものの方が多いですね、自分を理解してくれなかった彼女の表情とかね…」

●やはりヘビーですね(笑)。で、次にできたのが…

「『米軍キャンプ』という歌です」

●これは都市を恨む歌、という感じなんだけど、この手の歌は他にもありますよね。

「そういう人間が多いんですよね、僕のまわりは(笑)」

●具体的に歌の対象になってる人がいるの?

「いますね」

●『フリーズ・ムーン』なんてかなりテーマがヘビーなんですが…

「これは日常茶飯事ですね」

●どういう所に住んでるんだ?という気がしますけど(笑)

「新宿とか、そういう所にもぐり込んじゃうんですよね(笑)。いや、本当にほとんど体験にもとづいた歌なんですよ。自分でも友達でもいろんな事件とか体験を経てきましたから…不幸なケースが多いんですけどね」

●そういう体験に出会った時に、あなたの発想はどういう方向に向かっていくの?

「まず、そのひとを慰めてあげたい、と思いますね。そして、そういう状況の中でロマンチストになりたいという気持ちもありますね」

●あなたの話を聞いていて、発想とかそこに至るプロセスがプリンスに似てるなと感じたんだけど、プリンスはどう思いますか?

「好きですね。映画を見て「あ、似てるな」と思いました」

●音楽的にはどう?

「好きですね。『パープル・レイン』が出た頃から聞き始めたんですけど、まずメロディーがいいなと思って歌詞を読んだら「これはすごい」と…それで次のアルバムが出て、これまたすごい…」

●ああいったラヴ&ピースみたいなのはどう思います?

「いやー、好きですね(笑)。でも僕はまだプリンスのようにメッセージをシンプルに打ち出して行くことはできないと思いますー「DIE・FOR・YOU」とか同じことはいいたいんだけど僕はそれを言うのはまだちょっと恐い…」

●散文的なプロセスを必要とするんだ?

「そうですね」

●あなたがもしプリンスの様に映画を作るとしたらどんなストーリーにしますか?

「やっぱり少年ヤクザが出て来て(笑)、新宿あたりが舞台になるでしょうね(笑)。何しろ僕らにとっては新宿はニューヨークなんですよ、その頃は。すっごく緊迫感がありましたね」

●どういう緊迫感なの?

「いや、ツッパッて背広とか着て行きたいんだけど、金とられないか、ってビクビクしてたりとか(笑)。交番からディスコの入口までピシューって走って行ったりして(笑)。何でああいう風だったのか今考えるとわからないですね、死ぬ事に対して本当に無頓着でしたからね」

 

全共闘じゃないですけど、ああいうパワーがまた生まれてもおかしくないですよね、今は。

●なるほどね。話は変わりますが代々木のライヴを見た時に、やたらMCが多いなと思ったんですが。

「しゃべりたかったんですよね」

●しゃべりたかった…はあ…あの何かステージの後ろでゴソゴソしてたけど何か読んでたの?

「あ!バレました?(笑)。いや長いMC考えて来て憶えられなかったんです(笑)。かっこいいフレーズ考えたんだけど結局憶えられなくて(笑)」

●(笑)どうしてそんなにしゃべりたかったのかな?

「うーん、今まで僕のコンサートはオーディエンスも僕も日常性を離れてやってたんですよね。でも今回のコンサートでは自分らしい自分を出そう、と思ったんです。そのためにちょっと多くを語りすぎてしまったという間違いは今考えるとあったと思うんですが、とにかく僕のコンサートから日常を引っ張っていく力を見つけ出してほしいと思い始めたんです」

●ウサ晴らしのためのコンサートじゃなくて明日の日常につながっていくもの、としてコンサートをやりたかったという事かな?

「その通りです」

●MCもさることながら内容自体も以前と大分変わったなと思ったんだけど、何かすごく客を信用し切っていたというか…

「さっきも言った様に僕がポジティヴな生き方を選んだ、という事でしょうね。全ての人とはいかないけど少なくとも自分に愛情を注いでくれる人は受け入れたい、コンサートに来てくれる人は全て受け入れたい、みたいな事が今回のコンサートでは僕の中にありましたね」

●それにしてもすごかったなあ、あのコンサートは。歓声というより悲鳴だったね…

「誰かのクラクションですよ(笑)…でも僕は悲鳴をあげてほしい、と思ってるんです。全共闘じゃないですけど、ああいうパワーがまた生まれてもおかしくないはずなんですよね、今は。まあ以前は集まって闘うことに意義があったんだけど今は自分が完成していく、強くなっていく事が重要だと思うんですよね。まあ未熟だから闘うんだろうけど少なくとも自分の中にある信念とか愛だけはちゃんとしっかり確立しておかないと結局自分に負けてしまうんじゃないか、という気がしますね」

●もしこれから先、そういった悲鳴をあげる人がいなくなったらどうしようとは思わないの?

「それは幸せな事だと思います。本当の意味で真実を見つけて離れていくのならやっぱり幸福な状況だ、と思いますね」

●そうなったら今度は自分の為に歌を歌う、という方向に行くのかな?

「そうですね、今はオーディエンスのために言葉を選んでますから、そうなったら自分のための言葉で歌うでしょうね」

●いや実はですね、ロッキンオンには尾崎豊に関する投稿が異常に多いんですよ。それで今回のコンサートの後にまたどっと来たんですけど、その中で3本選んだんですよ。ところがその内、2本がなぜか批判的な意見なんですよね。ま、読んでみて下さい(と、原稿を渡す)。

●どうですか?

「…うーん…まあ、この人達の視点から見れば、他人のために自分の命を投げ出したりする事とか、命をかけて人を愛する事が自滅的に見えるのかも知れないけど…例えば僕がこの人達と歩いていて強盗に襲われたりとかケンカ売られたりしたら、自分でとび込んでって戦うと思うんですよ、僕はそれが言いたかっただけなんですよ。つまり自分の愛する者のために命を投げ出す、という事が身近に、いろんな所にあるんだ、という事をね…」

(「ロッキンオン」86年2月号・インタビュー渋谷陽一)

「愛」「自由」というこなれない言葉で尾崎豊が訴えていたことは、一言で言うと互いの気持ちを大切にしよう、理解するよう努めよう、ということだったと思う。
けれど、突き詰めればその人の人生はその人しか生きられないのだし、そうした互いはこの地上に生きている以上生存競争の相手でもある。だから、人は相手の身になりきることは出来ないし、その気持ちになりきって理解することも、100%の味方になることも出来ない。かといって完全に敵というわけでもない。むしろ、隣人との利害関係を意識し、自分の都合を詳らかにすることの方が、しばしば不都合でしんどいものだ。
だから味方であり、理解者であるかのように振る舞うと欺瞞が付きまとうし、逆にそう意識しすぎると過度によそよそしくなってしまったり、利己を正当化し過ぎることにもなる。
尾崎は、無理解な社会、大人(という、実は広範囲で多様なもの)への反発、反抗を歌っていると受け止められ、強い支持と反発の両方を一身に集めることになった。「誰がいけないというわけでも無いけど人は皆わがままだ」「僕が僕である為に勝ち続けなきゃならない/正しいものは何なのかそれがこの胸にわかるまで」という姿勢でやってきて、ある程度胸にわだかまった思いを吐き出せたところで、自分が「勝ちすぎて」いるとも感じたのだろう。今度は自分が無理解な周囲を理解する番だと。
すると、理解されずに吠えている彼をリアルに感じて共感を寄せていたロックファンは、「優しさを口にすれば人はみな傷ついていく」よろしく、何様だ!と反発する。これは半分は妥当なことだったと思う。理解に説得力を与えること(理解出来なさを順当に噛み締めること)には、相応の年月と経験の積み重ねを要する。それでも、これで充分ということは無い。
けれど、闇雲な勢いで突っ走れた若い一時期を過ぎると、さりとて説得力を持つような経験もまだ無い、無力で中途半端な長い時間に耐えなければならない。それをこれまでと同じようにステージで晒していくというのは、なかなか苦しいことだっただろう。
また、それまで反抗するマイノリティに見えていたロックやロックファンも、豊かさが実現した消費個人主義によって、他者に理解を求めたり、理解しようとしたり(或いはその限界を噛み締めたり)といった苦痛や面倒抜きに、仮初めの自分を守り満喫できるようになってしまった。公平な相互理解を目指す尾崎の遠大な苦闘は、宙に浮く形になってしまった。
豊かさが揺らぐと同時に、仮初めの自己が脅かされつつある今、彼等はかつてと同じように、反体制のマイノリティのつもりで(或いはお客様である消費者として)、誰憚ることなく権利を主張している。自分が何かを譲り、リスクを負うことをひたすら嫌って。
でも本当は、こうした下り坂のギスギスした世相の中でこそ、相互理解への願い(そして、その限界を噛み締める為の苦闘)の必要が、思い出されなければならないのではないか。
それを願うことは、まず自分が譲り、助ける姿勢を実践することからしか始まらない。僕らは「みなわがまま」で、他者に期待する姿勢では、靡いてくれないつれない恋人に追いすがるような苦しさに捕らわれてしまうから。