藤沢映子「尾崎豊・賛否両論!生身の19歳。「彼」についてのある考察。」(パチパチ85年6月号)

ニューヨーク、52ndストリート、7thアベニュー、紀伊国屋ブックショップ。尾崎豊はパチパチNo.5を立ち読みしている。
そのころ編集部には、日本各地の書店でパチパチNo.5を手にした人たちから、何十通という手紙が届いていた。私個人宛のものから「尾崎豊係」(そんな係ホントはないのデス)と書かれたものまで、4月10日現在でとうとう100通を超える数の手紙。もちろん、しっかりすべて読んでいる。なかにはカセットに意見を録音したものまであった。
賛否両論。いずれにも、尾崎の歌を愛するが由に勢いあまって書かずにはいられなかった心情がほとばしっていた。
結論から先にいうと、私は生身の尾崎豊と彼の作品、ステージが大好きだ。ただ、巷で浮遊していた「尾崎豊」が嫌いになりかけていただけである。
だから、思いっ切り彼のだらしない部分や人間味ある部分を書きつらねてみた。もし、彼が巷のいう「新世代のオピニオン・リーダー」で「悩めるディーンの救世主」で、聖人君子でストイックな人間だとしたら、もうとっくに歌なんかやめてお坊さんになっている。それとも、イエス・キリストのような生き方をしているはず。それができないから、歌が生まれているんだと思う。

手紙その1
「私は17歳の彼が好きです。今回の記事で裏切られたって気がしました。NYに行ったり、車乗り回したり。ひとり暮らし始めたり。JUNの服を着たりする尾崎なんて見たくない。勝手に偶像作ってるっていわれても仕方ないけど、大好きな人がどんどん変わってっちゃうのなんていやだ!」(17歳)
尾崎がお金を手にすることはいけないことなのかな?悪いことして得るモノならいざ知らず、彼は、私たちが原稿を書いてお金を得ること、朝9時半から6時まで力仕事をやって日当を得ることなどとまったく同じ、正当なお金を手にする権利がある。そして、フツーの男の子と同様に、免許を取れば、女の子のひとりでも助手席に乗せてドライブしてみたいと思う。彼女の前では、男がレストランのお金くらい払いたいと思う。たったそれだけがいけないのかな?17歳でいて欲しい人のために、ずっと学校のこと歌っていくことが必要なのかな?17歳の尾崎の支持が高いからって、自分にウソついて…。ひょっとしたらそのほうがレコード売れて、お金持ちになるかもしれない。そんなウソのために?彼がお金のために歌うのなら、もっとうまくたち回ってるよ。オピニオン・リーダーのことばにのっかって、カリスマになって、うまく私生活隠して、ウンともうけて、そのお金で事業始めればいいんだから。
ひとり暮らしってどう?
「周りの人には、お前だらしないからダメだっていわれたんですよね」
家具とかそろえたの?
「なんにもない。机もなくて、詞書くのに困ったから事務所に泊まり込んで曲作ったりしてた。ウチ、ヒドイんですよぉ。シャワー浴びようとして、「あー疲れたァ」ってちょっとシャワーの取手のところに腕かけたら、シャワーの口がパカッて取れちゃったの。だから今はホースから水が出てるのと同じ状態でシャワー浴びてます。(笑)
あと、バスルームのドアをロックしたまま外から閉めてしまったの。ほら、取手のまん中を押すと閉まるヤツね。それでとなりんちにわざわざ行ったんだよね」
どーしてとなりに行くわけ?となりの人がカギ持ってるの?
「いや、持ってるんじゃないかなあって。(一同爆笑)結局、ドアをドライバーでこじあけて、今だにドアはこわれてます」
ちゃんと家帰ってる?
「ボク、昔から家に帰らなきゃいけないっていう意識ないんです。路上で寝ても部屋で寝ても同じだって、家に帰らないで、駅の階段で寝てたんです。よく落ちなかったなと思うけど(笑)」
まるで浮浪者だね。
「自分の根城って意識ないんです。なにもなくなっても未練がないというか、流されるというのじゃなく。ものに固執しないですね。小さい頃からそう。あまり物を欲しがらなかったから」

手紙その2
「今回の記事、とても悲しかったです。あなたのこと許せません。前までホメるだけホメておいて、その結果が今回の記事なのですか。「だらしなくて矛盾だらけで、チンピラでどうしようもない尾崎」あなた自身はどうなのですか?あなたはそんなにすばらしい人なのですか?あなたのような人が尾崎クンを嫌おうが私には関係ないけど、「まだ出発したばかりのシンガーソング・ライター」が騒がれてはいけないのですか?あなたたち記者の人が私たちよりも大げさに騒ぎたててしまったクセに。「スゴイ」と書いて読者にも「スゴイ」と思わせておいて、今度は「キライ」と書いて、読者にもきらわせるつもりですか。尾崎クンは変わっちゃいけないのですか?車を買っちゃいけないのですか?業界ズレするなというのですか?それならあなたはどうなんです?」(17歳)
ごもっとも、私なんかちっとも偉くない。偉くもない人間が、公共の誌面で人のこととやかくいうのはホントは間違ってるかもしれない。でも、私は生身の尾崎豊と、彼の作品、ステージが好きだから、だらしない彼にガッカリして去っていく人がいてもかまわないと思った。浮遊している「尾崎豊」のイメージとともに去っていけばいいと。尾崎は変わるべきだし変わりつつある。車を買ってもいいじゃない。25歳の友人のようにカラに閉じ込めたくはない。ホント、あなたのいう通り。

手紙その3
十七歳の地図のなかの叫びを、彼が在学中にやっていたら、彼自身もいってたように誰にも受け入れられなかった。単なる「反逆」とか「社会適応能力ゼロ」とかいうことばにしかおきかえられなかったんじゃないかと思う。逆に、わかってもらえない悲しみにせっぱつまってたからこそ、ああいう歌は生まれたんだと思う。少なくとも先生たちなんかにはヒンシュクかってたと思う。なのに、一歩シンガーっていわれるようになると、こんなにも大絶賛浴びるのはなぜ?
尾崎豊を知ってから、ずっと私、恐れていたことがある。「十七歳の地図」の彼がカリスマになってしまって、彼の中でおこれ出来事が、彼の中の変化が許されなくなってしまうこと。ー中略ー尾崎君がやたらとクローズアップされ、多くの高校生が盛り上がっているのを見ていると、ほとんどの人が自分では認められない自分の弱さを、ていのいい形で弁解してもらっている、というか偽りの強さでしかないものを本物だと確信して代弁してもらっているつもりでいるように見えて仕方ないんです。やさしさっていうものが、傷のなめあいや、なれあいにはきちがえられて、尾崎自身に救いを求めているように思えて仕方ないんです。
ほんとに勝手な憶測だけど、尾崎君本人にもそういう危機感と、自分のおかれている立場とに少なからず葛藤しているんじゃないかなって感じる。もしそうであっても、私には支えてあげる力もない。こんなこといってたね。「現実ニ勝ルモノハ何モナイト思ウンデス」わかってる。わかってるからこそ、私はこの現実に混乱してしまう。だって今の私に何ができるというんだろう。「本当の尾崎を理解する」なんてこと、自己満足や気休めにすぎなくなってしまう。彼の人生で、彼の生き方の問題なのに…。バチバチ読んだとき、しばらくなみだが止まりませんでした。すごく生意気かもしれないけれど、「ありがとう」っていいたかった。あの記事に抗議がくるようならもうおしまい…」(17歳)
結局、彼女の危惧する抗議の手紙はゼロに等しかった。マスコミに踊らされているのは、やはりマスコミなのかもしれない。

手紙その4
「カッコ悪いとこ見せられて、「ああ、だから尾崎がいるんだ、彼の歌に危なっかしいとこがあるんだ、たがら私は好きなんだ」って思ったんです。カッコ悪さのなかに、尾崎のカッコ良さがどうしてなのか解ったような気がします」
骨折中、松葉ヅエを放っぽり出してお酒飲んで、酔いつぶれて、六本木の公衆便所に気づいたら寝ていた尾崎。
ギブスをはずす日、病院に行ったら、足の裏のギブスの石膏がほとんどなくなっていて、先生にこっぴどく怒られた尾崎。
入院先でインタビュー中。通りがかった看護婦さんに「こらっ、食事食べないの?」といわれた彼。「今、ほら、仕事中だから、あとで…」といってマズイ病院の食事からのがれようとする。それをみすかされて、いせいのいい看護婦さんにボカッと頭を殴られた。「イテェッ!」と首をすくめてニガ笑い。かと思うと、去っていく看護婦さんの後ろ姿に「イエーイ!後ろ姿がステキッ!!」とヤジを送った尾崎。
骨折中にまつわるエピソードだけでもこんなにある。チンピラでやたらトッポイ。手を離すと糸の切れたタコみたいにフワフワとどこかへ飛んでいって、いったい何をしでかしているやらワカラナクナル。そしてやたらムチャクャな痕跡だけがその通過したあとに残っている。
「もう、どーしようもないヤツだよ」
私たちはこういいながら、彼の痕跡を知るたびにゾクゾクする。だって、こんなヤツこれまで見たことないから。とんでもないバカか、ものさしで計れないほどの天才なのか…。

 

手紙その5
「尾崎がメジャーになっていく。業界ズレしていく。何か間違ってると思うんです。メジャーでニコニコ手を振る彼の姿なんか見たくない」(18歳)

いったい何をしてメジャーといいマイナーというのか、よくこのことばを使う私にも分からないことが多い。もし、テレビのランキング歌番組に出ることがメジャーだとしたら、ファンでもない人から、ただ茶の間に顔が知られてるユーメイ人だからといってサインせがまれるのがメジャーだとしたら、明らかに彼はマイナー。レコードが売れている人をメジャーというなら、アルバム『回帰線』がアルバム・チャートの1位に輝いた彼は、まぎれもなくメジャー。
聞いてもらえなくてもいいなんて思ってレコードを出す、曲作る人っていやしない。
「3枚目までは、わき目もふらずガツガツして作っていっていいと思うんだ。周りの評価とか売れる売れないってことを気にしている余裕もないし、そのあと、もっとゆったりした気持ちで曲が聞けて、そこから誰か聞いた人がインスパイヤされる、そんな歌がいちばん必要だと思うんです。これは、今思ってることだから変わっていくかもしれないけどね(といったのはNYへ行く直前のこと。もちろんアルバムが1位になるなんて知る由もないときのこと)ただ、ゆったりしたっていっても、それが変に今の芸能界に染まった売れ線とかじゃなく、芸能界を意識しない売れ線ってあると思うんです。ブルース・スプリングスティーンとか、ビリー・ジョエルとか、ジャクソン・ブラウンとかっていう人たちって、自分のやりたいようにいい作品を作って、それが受け入れられてるでしょ?でも、僕らって、きっとどこかある部分で、売れ線というのに対する目みたいなのは持ってると思うんです。そして、そこで悩んでる人が多いと思うんです。だけど、日本では、わりと自分のやりたいことはこうだから、受け入れられなくてもオレたちはこれでいいんだ、みたいなのあるでしょ?売れ線で悩むなんて、そんなのカンケーねえぜっていうのがカッコいいみたいなものがあるでしょ?でも、ホントはそうじゃないと思う。自分達のスタイルをいかに伝えていくかとか、そういうことでもっと悩むべきだと思うんです。それがないから、自分達のやりたいようにやっているのにどうして分かってくれないんだって、どんどんマイナーなほうに走っていってしまう。ボクはそうなりたくない。ただ、今の既成のあるものを利用して、その中で地位を築いてやりたいことをやるっていうのは、ボクは、先が見えるような気がするんですね。そういうやり方はとりたくない。ボクはやっぱり作り出していくってことをしていきたいから。既成のところでやれっていわれるのはもうそれだけで抵抗のある人間だから…」

こんな彼のことばにひとつだけつけ加えるとすれば、アルバム1位のメジャーとブームとは違う、ということ。
3月下旬、彼はNYから無事帰ってきた。
おそらく、帰ってきた彼は、これまで以上に取材にナーバスになっていくだろう。以前だったら、2時間も必死になって相手に伝えたと思ったことが、たった5センチ四方の記事にしかならなくても、「ま、こんなものか」と思えた。必死になって話したことがまるで違う解釈のされ方をして記事になっても、それは、自分と相手の価値観の違いだとほったらかしにもしておけた。
「自分の発した信号が、たとえどんなに小さなものでも、それは自分の表現するものへの責任となって返ってくるんですよね。これは取材だけにとどまらず、ステージでも、レコード作りの末端まで」
彼は、すべてにほったらかしにできないことに気づいた。
語ることが歌を補足することだといっていたこともあった。
でも、もう彼は、多くを語ろうとしないかもしれない。「伝える」作業を「作る」彼は、ブームでなくメジャーのなかでどうやっていくべきか、新たな闘いが始まっている。
5月6日、立川市民会館を皮切りに、8月4日まで36本のツアーが始まろうとしている。

(バチバチ85年6月号)

https://bakuhatugoro.hatenadiary.org/entry/2023/01/08/171933
での藤沢さんの「最近、「尾崎豊」が嫌いになっている」発言への反響特集。手紙その3の彼女に非常に共感する。十代の尾崎は良いファンを持っていた。「そうしたい」と思っていることと、「実際にどうしているか」ということには、非常に大きな距離がある。そして、この距離への無自覚、これを曖昧にして自惚れていることによる人や社会の欺瞞は、情報化や匿名的言論が広がった現在の方が更に深まっているから。大方に不愉快がられようと、何度でも繰り返し言い続ける必要のある指摘だ。
「車に乗るのは悪いことなのか?」「自己主張をする歌で人気が出て、大金を得ることは、正当と言えるのか?」
こういうことは、実際にそれが社会的に成立していて、ちゃんと商売にもなり、法にも触れないならば「そういうものだ」と思って深くは問わないのが、当時も今も大多数の常識だろう(商業主義をまるごと疑うようなカウンターカルチャーの気風も、近過去の流行の反動で完全に廃れて、一般的で無かった)。
しかし、ただ現実に器用に適応すればそれでいいのか?と問う歌で出発した尾崎は、その問いを、まっさらな若さ故の、一時の不安定な熱情として、常識の範疇でやり過ごしてしまうことをしなかった。貧富の格差は正当なことなのか?この国にたまたま生まれた自分たちは、その豊かさをただ享受していていいのか?将来に保険をかけた納得よりも、純な熱情で今を生ききるべきではないのか?
とはいえ、そうした自分の中の多面性をどう考えたらいいか判断する引き出しも、現実に社会にはたらきかける力も無い。現に豊かさを楽しみ、それに馴染んで生きている自分もいる。社会や人間関係に理不尽を感じたり、そこに対する道徳や倫理が曖昧であることへの苛立ちも持っている。それ以前に、太く短く生ききるか、じっくり堅実に社会と向き合うか、どちらにもハラの決まらない自分への恥ずかしさもある。
自分は何にどこまで力を尽くすべきなのか?倫理をどこに定め、どこまでの主張なら責任を持てるのか?現在持てる責任の範囲に納得していいのか?もっと努力し、主張もすべきなのか?それとも、人それぞれの事情を理解して、寛容に諦め納得するべきなのか。
敢えて問うていけば、いちいちのことに簡単に答えは出ない。結局、ともかく生きて、時間と経験を重ねる中で、こうしか生きられない自分の身幅を痛感していくより無いのだ。それだって、社会の条件も、そこで生きる人の感覚も変わっていくから、意識すればするほど葛藤はずっと付きまとう。
それは、思想家でも活動家でも何でも無い1ミュージシャンが、引き受けるべき領分なのか?ロックやカウンターカルチャーへの遠い趣味的憧憬こそあっても、ロックファンも音楽業界も、それを真に受けて引き受け、身を持って生きるような姿勢も感覚も持ってはいなかった。それは、藤沢さんはじめ、尾崎の周辺の人々だって、残念ながらそこは同じだった。この記事も、あくまでプロのシンガーソングライターの範疇で、どうすべきかという枠内の話に留まっている。
それは当時の(おそらく今も大多数の人々にとっては)常識的な感覚で、責められるような事では到底無い。さらに、時代は豊かさがもたらした趣味と消費に自足するミーイズムに向かい、尾崎の社会や生き方丸ごとへの問いは、趣味の世界に安定したロックファンたちの共感を失っていく。そうしたまだ「今」しか知らい若過ぎたロックの世界のを超えたところで、根本から人間を見つめ考え続けている先達との出会いがもし彼にあったなら…と、ついないものねだりの「タラレバ」を思ってしまう。たとえば井上陽水阿佐田哲也と出会ったように。