自分の仕事では、なんと言っても


Jポップ批評の尾崎特集が大きかった。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040418#p1
本当に短期間の突貫作業だったけど、完成度はともかく、あの時点で出来ることは精一杯やったつもり。自分にとってもこれまでの中間総括というか、これでひとつ区切りついた感じです。
尾崎については、性急な無防備さで若さや甘さもむき出しにしたその表現の質や、時代や状況に人一倍愚直に翻弄された彼の資質もあって、敢えて思い出したり語ったりするのが(当時切実に反応したような性質の者には尚更)シンドイけれど、その恥ずかしさや背景も含めて丸ごと、極力公平に相対化し掘り下げたつもりです(左向きだらけの当時の映画業界内で孤立を恐れず、戦争映画描き続けた笠原和夫のように、なんていったらいくらなんでも僭越だけど、そういう矜持を持って臨んだつもり)。
未だ、はてな界隈などでは、10年1日の「反抗」って切り口で揶揄するばかり(つまりいつまでたっても、俯瞰して「わかったつもり」になるって意味じゃなく、本当の意味で他者や世界の広がりに厳粛になることのないヤツラなんだな。口では他人の自意識やナルシズムを批判してるけど、それは他人の権利主張がいやって事だけで、実はこいつらもまったく同じ穴のムジナ。エクスキューズがイジコイし偉そうなだけ、却って目障りなくらいだ...)で、テメエのセコさや煮え切らなさを口拭おうとするハンパなセイガクやエセインテリばかりだし、はっきり言ってこの号もそのテの書き手が並んじゃってるけれど、是非、俺の記事だけでいいから読んでみてください。
あの頃の自分達が対象化できずに苦しんでいた状況や、尾崎の問題点や限界も含めて、書き手の都合で「為にする」ようなやり方じゃなく、ちゃんと向き合い掘り下げた、ほとんどはじめてのものだと思うから。
僭越を言えば、同時代の、そして業界内での妙な処世の力学が関係なくなった数十年後、あの時代、あの状況を、それぞれがどんなふうに、どんな気持ちで生きていたかが、同時代の狭い思惑を超えて、確かに伝わって欲しいと祈る。


参考

http://www.axcx.com/~sato/senbikiya/j-pop/yn02.htm


http://www.axcx.com/~sato/senbikiya/j-pop/yn01.html