ジャージーボーイズ


先週の日曜、新宿ピカデリーにてクリント・イーストウッド監督『ジャージー・ボーイズ』観た。本国では評価も動員も芳しくなかったみたいだけれど、公開して一週間とはいえ場内は満員。客層は老若男女まんべんなくといった感じ。


レイジング・ブル』とか、ちょっと昔のアメリカの貧民層を描いた映画が好きな僕には、好みど真ん中の映画だった。たまたま平和で育ちが良くて、だから優しい分暴力や下品さに狭量で、神経質な正義の為に逆に無自覚な差別にも囚われがちな僕らにとって、何か粗暴で愚かで意地らしい、人間の原型を見せてくれているような懐かしい気持ちになる。その中で平気で生き死にしているバイタリティに勝手に元気づけられたりもしている。
フランキー・ヴァリはじめ、『ジャージー〜』の登場人物からもこれを濃厚に感じたけど、陰惨さもバイタリティも前者のようにはこれ見よがしじゃない。
どちらが上とか下とか言いたくないけれど、育ちの悪さも、厄介な友達も、成功と好色も、家族愛もその崩壊も、みんなゴロンと「そこにあると」いった感じ。エピソードの断片を行間気にせずざっくり並べたような印象は前述のスコセッシにも通じるけれど、後味はずっと静か。しかし、枯れているというのも違う。


どちらかというと、青春の甘酸っぱさや、成功の高揚に裂かれた尺は少なく、下品で猥雑で寂しいトラブルが延々と続くのに、ラストのカーテンコールは、それを丸ごと祝福するように、彼らの曲そのままに明るい。無常とそれを生ききるタフさが解け合ったような不思議な後味。
イーストウッド、齢80を越えてこんなパワフルな映画を、とも驚くし、同時に徹底した成熟があってこその映画だとも思う。いずれにしても、彼のちょっと溜めの効いたヒロイズムが苦手という向きにも、この映画はお薦めです。
久しぶりにDVDが欲しくなった。



僕らの世代だと、『君の瞳に恋してる』ボーイズタウンギャングのバージョンで甘酸っぱい気持ちになってた。大好きだったドラマ『あまえないでョ!』の中でもよく流れたな…。


あと、こんなのも。