スパイダーマン3


友人達と晩飯食った帰り、なんとなくみんなで観ることに...


多くのレビューで既にさんざん言われていることだけれど、悪党が3体も出てくることでそれぞれのエピソードが薄くなり、全体にごちゃごちゃと散漫な出来。
だけど、そうした出来不出来以上に気になったのは、ピーターとMJの関係の妙なナマナマしさ。


そもそも第一作での、理系オタクの朴念仁クンが、隣に住んでる幼馴染のいかにもなチアリーダー風ネエちゃんに憧れるって組み合わせ、純朴で冴えない主人公が突然超能力を手に入れて、最初は舞い上がってハメを外すものの、初老の優しく実直な伯父さん、伯母さんの元での育ちの良さにも助けられ、街のみんなの幸せを守るヒーローを志すという可愛らしくも清廉なストーリーと相まって、俺は好きだった。
「そこから先」を敢えて描かない、掘り下げないからこそ、原点の幸福でナイーブな輝きだけを切り取って、普遍的な魅力のある明るい青春映画、ヒーロー映画に成り得ていたと思う。


個人の手に余るような、大きく複雑な社会の広がりや、矛盾に満ちた人生の深遠といったものには取りあえず触れないからこその、僕らの街の庶民派ヒーローのさわやかさ。それと同様、MJとの恋愛のその後を描き続け、尚且つそこに明るいものを見出そうとすると、どうしたって無理が出てくる。
ぶっちゃけた話あの2人、リアルに考えれば続くわけがないでしょう?


MJの微妙にブサイクなルックスと女の煩悩全開の行動の生々しさは、ピーターの朴念仁ぶりがあってこそ、その憧れのウブなズレ加減とも相まって、いい塩梅のリアリティとおかしみを生んでいたけれど、その後もずっとヒロインで居続けるとなると、単に男の名声に目がくらんだふざけた女にしか見えなくなってくる。
名声を得たピーターが、調子こいて遊びまわり(といっても内容は可愛いもんなんだけど...)ブラックスパイダーマン化してしまうものの、結局は優しくマジメな己を取り戻し、自分の持ち場でやることやるってストーリーはいいんだが、帰るべき場所がMJだってことで、どうにも説得力が失われる。「どうしていまだにMJなのか?」ってところが描かれていない...というより、そもそも最初から無理があるから。
このアンバランスを何とかしようとすると、とにかくMJを不幸にするしかなくなってしまうし、友人のゴブリン君もその辺の煽りを食って、帳尻合わせになんとなく殺されてしまった感じだ(それをまた、9・11以降定番の「理解と許し」なんて大袈裟なテーマに無理矢理繋がれてもなあ... そういう大層な話はまず、自分の欲望をきっちり見定め背負うことができてからだろうよ...けどまあ、その辺の都合のいい意識と距離感の混乱が、結果的に現在ってものを体現して良くも悪くも生々しい)。


おかげでラストシーンの2人は、自業自得な煩悩の日々に振り回された末、「いろいろあったけど、お互いこの辺で手を打って、元の鞘に納まっとこうや」ってなすすけた疲労感が漂いまくってて、どうにも明朗青春ヒーロー映画の主人公カップルって感じじゃない。
もしまだ新作が作られるなら、次はキャストを一新して、1から仕切り直した方がいいと思った。