星野博美『銭湯の女神』『のりたまと煙突』


わずわらしさを厭わず様々な人や土地と付き合い、眺め、肌で感じたものを流さずに、時間をかけてつなぎとめる言葉。
行動にも思考にも、手間と時間を惜しまない自信に裏打ちされた、簡潔できっぱりとした文章。
同時代、それもほとんど同世代に、こんな書き手が存在することに、驚きと嬉しさを感じずにいられない。


以下、自分などが論評の言葉を加えるのがおこがましい、という思いを大前提に、今回は感想とも紹介とも言えないような、彼女の文章に反射されて浮かび上がった自分の立場(と言える程結構なものではないが…)と内心について、出来るだけ正直に書いてみたい。


面倒でも外に出ていって、積極的に社会や他人に関わらなければ、いい仕事にも友達にも出会えない。
勉強したり、練習したり、一つ一つのことに手間を惜しまない習慣をつけなければ、暮らしは楽しくも豊かにもならない。
けれども自分は小心ななまけ者で、そういう手間や面倒を最小限に、いかに端折って暮らすか(そのくせ、結果の方はいかに最大限に得るか)を、まず考えて生きてきた気がする。


世間一般の基準よりも、ずっと自分はだらしないと思うから、後ろめたさや恥ずかしさが常に付き纏う。
ところが気がつくと、いつのまにか世間が、自分の通った道を追いかけるように、だらしなく変わっていく。
だから、世間に生じる新しい問題が、ケガの巧妙のように他に先んじて見え、意識されてしまうところがある(ような気がする)。


長電話、テレビ漬け、サブカル漬け、モノへの執着、昼夜逆転、コンビニ依存、ネット依存、自意識過剰な自分語り、成熟を拒否した消費個人主義
街場の気楽な独り暮らしに憧れ、趣味に首まで耽溺し、心身ともに中毒してきた自分が、まっ先に望み、はまりこんだものだから、その時の後ろめたいような気分もなかなか消えない。
一度暮らしのタガが外れると、ずるずるとすべてにけじめが無くなり、何もかもが取り留めなく過ぎてしまうことの頼りなさ、寒々しさに心当たりがあるから、世の中が更にその先に進もうとするような変化を、ただ受け入れてしまうことを警戒もするし、新しい状況に無心に没入することが出来にくい。
どこかで「こんな暮らしは、まともではない特例だ」と自分を棚に上げて、世間のまともさに甘え、期待していたい。


他方、利便性に貪欲にまみれながら何かに夢中になっている人は、そのマイナスも込みで、何か豊かさを身に付けているという部分がある。
それを、一概に悪いとばかりは言えないし、人々の生活に根深く入り込んでいるだけに、外から単純には否定も断罪もできない。
ただ、世の中丸ごとの大きな趨勢である分、無意識、なし崩しに日常化してしまい、そこに自覚や葛藤が生まれにくく、負の側面が意識されないまま放置されてしまうことが多い。
そして、そうした環境が初めから「当たり前」な世代にとっては尚更、恥の自覚など生まれようがないだろう。それが怖い。
ただ、本来世間以上に自分が怠け者なのだから、何か言おうとする時、どうしても屈折した感情が混じる。


その辺り、星野さんは、ずっと深く状況に入り込んで熟考していて、立場が突き詰められ、言葉はすっきりとしている。
揺れと問題意識を維持しながら、能動的に流れにまみれ、渦中の人々との触れ合いながら、共感も違和感もたやすく流さず、時間をかけて考える。
そして、受け入れがたいものに対して、きっぱりと疑念を投げかけ、拒絶を表明する。
本当に尊敬すべき、素晴らしい仕事だと思う。


それが見上げるべき価値であることは間違いない。僕自身、そう思う。
けれど、それを誰もが(というより、まず自分が)目指すべきか?と考えた時、今度は逆の方向に躊躇してしまう。


人や物にまみれて生きるバイタリティは貴重だけれど、人にはキャパシティの違いがある。
それはそのまま幸福感、そして社会観、人間観の違いにもなる。
他者や社会との関わりをできるだけ淡く、最小限に、なるべく一人で(あるいは安心できる人と)静かに暮らしたい、という幸福もある。
外にはさまざまな問題もあるけれど、抵抗するのがしんどい。その力がない。
解決できないことを、意識しすぎると辛いから、自分の中でバランスを取って納得してしまいたい。
そういう生き方もある。
どんな生き方も一長一短があるように、当然そこには問題がある。
というよりも、これは単に小人の生き方であって、星野さんのような姿勢を心棒にした営為がなければ、社会は容易に淀んでしまうだろうとも思う。


けれど、同時にどこからか、世の中も自分も、そんなに容易く立派になれてたまるか、立派になってたまるかという邪念が、むくむくと湧いてくるのを抑えられない。
なんだか、キリの無い話でしんどいな、とも正直思う。
そして、だらしなくなかった昔にも、厳然と孤独も生き辛さもあった、という実感も一方にある。
負い目や恥の意識の欠けた人や、世間の在り方は嫌だし、ただ醜くはなりたくはない。
できる努力はしたいし、変われるものなら変えたい、変わりたい、変る時は変わらざるを得ないだろうとも、頭の半分では思う。
でも、最後の最後は「だらしなくてどこが悪い」とも思っていたい。


香港から帰って来た星野さんが、便利で綺麗で安全で、煩わしくなく暮らせるけれど、平坦過ぎて生きる目標や、自分の根とすべき差異が見いだせない、東京の風景への違和を語るのを読んで(『のりたまと煙突』所収「中央線の呪い」)、半分共感しつつもそう思った。
星野さんが大味だとか、そういうことでは全くなく、勝手にコンプレックスを刺激されつつ、やはり自分はぬけぬけと、ここへの煮え切らない愛着(愛憎)を語りたいと思った。


正直、近い世代でこんなに「五月蝿いこと」を書く人、それも頭でっかちな上から目線じゃなく、だらしない凡人にも共感を禁じ得ない、地に足の付いた言葉で自分を突き詰め語りかける人に、初めて出会った気がする。
意識すると生き辛くなる。けれど、意識することがタブーになり、目眩ましされたままでは息苦しい。便利な答えも解決もないことを、痛みとバランスの中で問い、考える続ける営為。それを、文学というのだと自分は思う。
星野さんに恥ずかしくない仕事を、少しでも投げ返せたらと思う。

銭湯の女神 (文春文庫)

銭湯の女神 (文春文庫)

のりたまと煙突 (文春文庫)

のりたまと煙突 (文春文庫)

ジャクソン・ブラウン&デヴィッド・リンドレー『LOVE IS STRANGE』


高校を出て、地元の県庁所在地に風呂なし四畳半の部屋を借り、フリーターやりながらバンドをやってた頃、キングビスケットレコードという、6、70年代ロックやソウル、ブルース、オールディーズポップスを中心にした品揃えの中古レコード屋によく通っていた。
店主のおじさん(といっても、今の自分よりも若かったはず…)はザ・バンドをこよなく愛するサザンロック、スワンプロックのファンで、大抵いつ行ってもうるさ方の常連客と話し込んでいた。
そんな客の一人に、たぶん若い頃激しい気持ちでロックにのめり込んで、楽な生き筋を踏み外したのだろう(と、20歳そこそこのヤングからは見えた)、小柄で細身な労務者風のおじさん(といってもおそらく30そこそこ…)がいた。
日々の疲れと不満と、ディープな音楽ファンとしての自負とを同時に漂わせ、険のある早口で自意識過剰気味に喋る彼は、おそらく背伸びして渋い音楽を勉強中の若造のことなど、目障りか端から眼中に無かったかのどちらかだっただろう。僕の方も偏屈で面倒くさい(それでいて平気で権威的なことが多い)苦労人や年長マニアは苦手だったので、直に口をきいたことは一度も無かったが、ある日彼が、ジャクソン・ブラウンについて熱く語っていたのが意外で、強く印象に残っている。
単純に自分の音楽的な無知も大きかったのだけれど、僕らの世代にとってジャクソン・ブラウンと言えば浜省、尾崎というイメージで、わざわざ渋い音楽、尖った音楽を探して聴こうとするような人間は、ナイーブでちょっと野暮ったそう…という先入観から、敬遠しがちだったと思う。
一時代前の流行りものでもあった西海岸サウンドには、さしたる思い入れの無さそうだった店主のおじさんもまた、どこか相槌が事務的だったような気がする。


僕は尾崎ファンだったので、彼が影響を度々口にした『孤独なランナー』を聴いてみたりしたが、どうも静かで落ち着き過ぎていて、食い足りない印象を持った。当時の自分は、ロックにもっと青春的な脆さや激しさを求めていて、こんなふうに静かに内省してばかりしていたら、自分のような自信のない人間は、煮詰まったまま身動き出来なくなってしまうと思った。もっとふっきれた、突き抜けた、悩むにしても攻撃的なくらい激しく突き詰めた表現で無ければ、気持ちが鼓舞されないと、あまり心に深く届かず遠ざかってしまった。
だから、地味でまともな普通の人(つまり適度な感傷に浸れるくらいに安定している人)の音楽に思えたジャクソン・ブラウンを、自分よりも遥かに疲れ、辛酸を舐めているように見える頑固者が、ほとんどしがみつくように大切に聴いていること(ヤングの目には、文字通り「日々を生きる支え」になっているようにさえ見えた)を、不思議に感じた。
それでもその時は、音楽マニアが、それまで取り零していたジャンルに新鮮さを求めて、多少大袈裟に入れ込んでいるのだろう、くらいにやり過ごしてしまい、あらためて聴き直してみるようなこともしなかった。


去年の発売から1年余り、ジャクソン・ブラウンとデヴィッド・リンドレーのアコースティックツアーのライブアルバムをよく聴いている。
特にディスク2の1曲目、セカンドアルバムのタイトル曲でもある「フォー・エヴリマン」が好きだ。
彼自身は「僕はドロップ・アウトしてしまおうかって考えたこともあったし、何もかも放り出してしまいたいって思ったことなんか、何度あったかわからないほどでね。「フォー・エヴリマン」はそんなことを歌った歌だ」なんて回想しているが、この曲はクロスビー、スティルス&ナッシュの「木の舟」へのアンサーソングでもあったらしい。核で汚れた世界から、新しい理想の地を求めて船出しようと歌うCSNに対して、「じゃあ、その船に乗れない、取り残された普通の人たちはどうなるんだ?」「ここで普通の人を待つ普通の人でいるよ」と。
ロック革命の時代の反動として、個人的、内省的な表現に傾斜した70年代のシンガソングライターらしい、とも括れるけれど、中でもジャクソン・ブラウンの朴訥な純情と、視線の低さは際立っていて、芸術的な尖鋭さ、或いは個的な洗練へと、表現を収斂させがちだった同時代の才気に富むSSW達の中でも、独特の間口の広さを感じる。
それでいて、優しく、暖かいだけではない、意思的な思索と問いかけを(多くの場合そこに解決はないとしても)しぶとく手放さない姿勢も好ましい。生真面目さゆえ、後にぐっと政治に傾斜して行き、80年代的な大味な音作りも手伝って曲に気持ちがフィットしにくくなり、そうした時期のアルバムは今もほとんど聴かないのだが、必要と感じたらそう動かずにはいられない彼の真摯さ、一徹さ自体は、個々の主張自体に同意できるできないにかかわらず、信頼に値すると感じられる。


万年青年のようにケレンの無い横顔は、長い月日の風雪に洗われ続けて来た。妻の自殺や親しい友人たちの早逝、誰もが豊かさに馴染み切って楽しさや格好良さを求め競い、空虚や退屈に自己憧着していく中で、彼の善意と内省がアウトオブデイトになった時代も長かった。それでも、その迷いや弱さを引き受けた、柔らかで凛とした声も、瑞々しいメロディも、深まりこそすれ決して損なわれることは無かった(彼のような人を見ていると、正しく信仰を持つことの「強さ」を、そこから遠い者として痛感する)。
ここ十年ほどは、活動のペースをぐっと押さえ、パーソナルな作風に回帰しているが、このライブアルバムでも愚直なまでの生真面目さは健在で、マイノリティの音楽に積極的に場を与えようと、ミスマッチやアンバランスを顧みず、ツアー先のスペインのミュージシャンを登場させ、多くの曲を共演しているのも印象的だった(多少の散漫さが、リラックスした自由な演奏の魅力も手伝って、いつもの彼のアルバムにない風通しの良さを生んでもいる)。そして何より、そうした真摯さと、柔らかい心を手放さず、迷いながらもしぶとく積み重ねて来た時間への静かな肯定を感じさせる、過去の彼自身の曲の再演が素晴らしい。
数年前の、ギター弾き語りによるセルフカバーライブ2枚も良かったけれど、アメリカ伝統音楽の豊饒さを丸ごと体現するような盟友デヴィッド・リンドレーのサポートによって、年輪を重ねた真摯さが転化した、現在の彼と曲の持つ柔らかく暖かい包容力が、より開かれた形で伝わってくる。


楽しく、心地良く、格好良いだけでは、取り残されたようで却って寂しくなる、という人をこそ楽しくさせてくれるアルバム。
あの常連のおじさんも、元気で聴いていてくれたらいいなと思う。



ラヴ・イズ・ストレンジ

ラヴ・イズ・ストレンジ

フォー・エヴリマン

フォー・エヴリマン

山田太一『空也上人がいた』


優柔不断な性質に加えて、普段から世の中との関係や縛りが淡い、無責任で個人的な生き方を選んできたから、いつだってそうだと言えばそうなのだが、今のように世の中に中途半端な危機感があると特に、周囲を気にして軽薄に格好の良いことを言い過ぎているのではないか、あるいは、克己発展の可能性としんどさに端から逃げを打って、臆病、怠惰に開き直っているのではないかと、無駄に逡巡ばかり繰り返している気がする。
こうしたことを吐露すること自体すでに言い訳がましいのだけれど、やはり、自分がどこから物を言っているのか、自己申告といえども一言明示しておかなければ、嘘っぽくて落ち着かないので仕方がない。


こんな時、「こうだ」と定義した途端に嘘になってしまいそうな、人の内心の揺れや微妙な襞を見つめながらも、くだけ過ぎず崩しすぎない、むしろ硬く引き締まった記述に収めて行こうとするような、山田太一の文章の独特の緊張感は、清々しく気持ちに響く。
取り留めのない内心や現実をそのままにせず、多少無理にでも形に収め、定着させようとすることで、却って生々しい揺れが意識されもする。
一方に振り切れて目を瞑ることが孕む独善や傲慢を戒めながら、他方で限度や厳しい選択を受け止めないことのだらしなさを恥じる。
選ぶことと疑うことを往復する絶え間ない緊張感に、共感し勇気づけられると共に、背筋が伸びる思いがする。


9年ぶりの、そして77歳になる著者本人によれば最後になるという小説は、20代の青年ヘルパー、40代の女性ケア・マネージャー、そして独居の80歳老人男性といった、現在の陽の当たりにくい市井の人々を描く、山田太一らしい視点による物語。いわゆる社会派的に、外部の問題をクローズアップし、外に敵や救いを見い出すのではなく、あくまで偶々ある条件を抱えて生きる人々の、個人的な交わりや葛藤のドラマとして差しだすやり方もまた、とても山田太一らしい。


構成のしっかりした、展開の意外性に驚くことが重要なタイプの小説なので、具体的な内容にはなるべく触れないようにしたいが、とにかく「こうでもあり、ああでもある」という人の本音や現実の諸相を、それぞれの人物の刻々の心境に託して、誤解や擦れ違いをドラマにしていく手際が素晴らしい。そしてそれが、単なる手段に終わっていない。
各々が、自分の本音や経験の中にあるマイナス材料を、よく分からない相手に投影し、勝手に怒ったり怯えたり、理解したつもりで錯覚していたりする。自分のような者ならば、交わることのない内心の思いや、現実の中の孤独な空回りを、取り留めのない苛立ちや淋しさとして、諦観と共に私小説的に綴ってしまいそうな話を、ある人間の少し突飛な(そして乱暴すれすれのお節介な)行動によって交わらせ、不安や葛藤を具体的にしていく。確かに多少強引かもしれないが、一方で「無い」とタカを括ってしまうことに、自己撞着の欺瞞は無いか? 一歩でも自分から踏み出そうとしていないだけなのではないか? という挑発を感じる。


弱く小さな人間の中にも確かに在る、「他人の運命に関与したい」という欲望を、山田太一は繰り返し描く。
そしてそれを、必ずしも「良いこと」だとは言わない。
むしろ、人が誰かに関与し、生きていくことが避けがたく孕む「罪」や「恥ずかしさ」や「痛み」をクローズアップする。
(だから、というか、この小説でも個人的な恋愛感情が、登場人物たちを動かす動機になり、各々の生身の欲望や、その限界を際立たせる)
どんなふうに生きようが生きまいが、必ず付きまとってくる、取り返しのつかなさや後悔を描く。

ツツジの花を摘む母子が異様だった。
女の子が今はもう花をむしるのにためらいがなく、笑い声をあげながら白い花、赤い花をどしどしむしりとって母の方へ投げていた。母は地面に落ちる花々を拾って買い物袋に入れながら、はしゃぐように笑っていた。笑い声が明るく高いので、吉崎さんもその方を見た。いいのか、あんなことをしていいのか、と私はすぐ思った。いくら溢れるように咲いているからといって公共の花じゃないか、と。
吉崎さんを見ると、笑顔だった。笑顔どころか、小さく声が漏れて笑っていた。まるで幼児の祖父のように。
え? 楽しいか? あんな非常識が可愛いか? 幼児がはしゃいで踊るように足踏みをした。それから両手を高くあげて怪獣のように花を襲った。両手がいくつかの花をむしりとると石でも投げるように母に向けてほうった。母はいくらもとばない花びらを両手ばらばらに掴もうとして地面に膝をついて笑った。
それからやっと私は全身で楽しんでいる女の子の可愛さが分かった。母親の喜びも素直に胸に届いた。同時に「公共の花」などと思った自分の貧しさにも気づいたが、同じくらいただ笑っている吉崎さんにも違和感があった。
幼児と一緒に、生きていることをただ肯定しているような老人の笑顔に、われながら不当だと思うような嫌悪が湧いた。
(P47〜48)


この場面を読んでいて、安吾の『桜の森の満開の下』を連想した。
山田太一安吾のようには、残酷を孕む人の(そしてこの世界の)生命力を、きっぱりと肯定ばかりはできない。
無邪気な欲望を眩しく見つめながら、取り留めの無さをおぞましくも思い、傲慢さに嫌悪も感じる。
そうした、グレーな気分を手放さない。
そして、自信よりも疑い、人生の可能性や快楽よりも、限界や哀しみをクローズアップし、意識させようとしているところがあると思う。
少し大袈裟な言葉を使えば、彼は現代の人々の心に「原罪」を意識させ、傷として刻みつけたいのではないか(と言うと、やはり少し大仰か。「掬い取って提示する」くらいのニュアンスだろうか…)。


有機的で濃密な共同体が失われ、それぞれが個人的に、淋しく生きている登場人物たちは、それでも自分の人生に負い目や後悔を抱えている。
山田太一は、それに良い悪いを言わないが、許し、解消し、ただ負担を軽くしようとはしない。
むしろ、痛みを浮かび上がらせ、意識させる。
各々は、固有の負い目に縛られた、自分の意識を通してしか他者や現実を見られないから、度々誤解しあうし、すれちがう。
けれど、小説はそうした孤独を、この世の無常、理不尽を、ただ絶望として投げ出すこともしない。
むしろ、負い目や後悔を隠し持っているからこそ、それぞれが孤独だからこそ、それを媒介にして、瞬間つながることが出来る。
原罪意識を軸にして、自分を律し、他者を許そうとする気持ちも持てる。
そんな人々が、他者に関わりたいと思い、生き続けること、孤独なまま共に歩こうとすることを肯定しようとする。
作者は、何よりそうした人々を好きだし、孤独や負い目への向き合い方、受け止め方(というほど、大袈裟な差し出し方は決してしないが)の中にこそ美しさを見いだし、幸福とはそういうものなのだと信じているのだと思う。


しかし、ここ何十年かの豊かになった日本においては、こうした価値観は旗色が悪かった。
人の無力も、世の無常も理不尽もわかってはいるが、そんな暗いことは目に入れたくない。意識したくない。
科学や社会制度の進歩によって、人生の不合理や人間関係の負の部分を小さくすることに希望を見ようとし、それでもいよいよ逃げられなくなるまでは、目をそむけていたい。
どうせ罪も罰もないならば、できるだけ好き勝手に、気ままに暮らしたい。
そして、出来れば最後まで逃げ切ってしまいたい。
若いうちほど、尚更そう思う。
そうでなければ、自分の欲望の正当さを理論武装する(あるいは、裏返った形で、ニヒリズムに立て籠もってしまう)。
表現にも快楽と、それを後ろ立て、後ろめたさを処理してくれる思想を求める。
自分自身、多かれ少なかれそうだったことを否定できない。
この小説を読んでいても、各々のしたことや後悔の内容が、決して些細だとは思わないが、それに対する痛みの持ち方は、随分慎ましくて生真面目なものだとは感じた(多くの人間は、もっとずうずうしいのではないかとも)。
比べて自分は、怠惰や臆病から、できたかもしれないことをやらなかったり、また、今よりずっと楽観的で恐いもの知らずだった(どうせみんなそうなんだとタカを括っていた)若い頃は、隣人を傷つけることを含め欲望を無造作にむさぼることに、ずっと楽観的に居直っていた(敬愛する或る作家が「人はずうずうしいか、おずおずとずうずうしいかのどちらかだ」という意味のことを書いていて、強く共感したことがあるが、本当は今だって、当時との違いなど程度問題でしかないと思う)。
齢を重ねて、人の人生や生き死にに直に関わるようなことがあっても、案外とずうずうしくすぐに日常に戻ってしまう。
せっかく出会えた、共感しあえる優しい隣人のことも、平気で値踏みし、高望みしてしまう。
けれど、ふと見てしまう昔の夢のように、思わぬ時に後悔に苛まれていることに気づいて、人の気持ちというのはケリもつかなければ自由にもならないなどと、時折普段の軽薄ぶりを棚に上げて嘆いたりもする。
そして、万事にまったくケリがつかないまま、世が移ろい、人が消え、記憶が薄れて、すべてが無に帰してしまう事を、今更、虚しくなったり恐ろしくなったりしている。
何か、生き方に筋や歯止めを持たなければ、すべてに意味が失われ、虚しくなる。すべてが無になる(無だとさえ意識しなくなる)。それは嫌だという寂しさだけは、呑み込みきれないでいる。
(だから、『ありふれた奇跡』で繰り返されていた、「人生ケリのつかないことの方が多いんだから、ケリのつくことはちゃんとつけておくの」というセリフが、やけに胸に刺さって辛かった)
そんな時、自責の意識を手放さず、それを手がかりに身を律しようとすることは、たとえそうしきれずとも、限界はあっても、(特に自分のように怠惰でいい加減な人間は、限界を意識することで、他者に寛容になろうとすることも含めて)人やこの世への共感や信頼の糸口として、とても儚く危ういものながら、それでも「これしかない」大切なものだとも思える。
自分が、この小説から受け取ったものは何より、そうした無為無常に対する、作者と登場人物たちのあくまで慎み深い受容と抵抗(ここでは、この二語は対義語じゃない)であり、そこに惹かれ、共感せずにはいられなかった。


空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

空也上人がいた (朝日新聞出版特別書き下ろし作品)

『ばらの坂道』ジョージ秋山


『ばらの坂道』を、とうとう読むことが出来た。
70年代初頭のジョージ秋山が『アシュラ』『銭ゲバ』と問題作を連発し、メタフィクション的な『告白』を最後に突然マンガ家を引退、失踪した数ヵ月後、発表された復帰作。
何としても読みたいと思いながら、現在では差別表現とされる単語が多用されている関係で復刊は困難と言われ、全3巻で最低でも2〜3万の古書価格。恥ずかしながら、なかなか手が出なかった。
大西祥平さんと青林工藝舎さんには本当に感謝。


遺伝性の狂気を持つ母と、優しいが気弱でだらしなく、妻子から逃げ他の女の元に去った父の間に生まれるという、大きな業と哀しみを背負った少年の物語。
彼は抱える哀しみの大きさ故に、「誰もが平等な理想の村を作る」という、大きな仕事を成し遂げようとする。
が、自分に纏わる人々の哀しみをやり過ごすことができず、達観して自分の仕事に打ち込むことができない。

こどもならだいてやるか
女ならキスをしてやるか
こじきなら金をめぐんでやるか


そんなものは愛でもなんでもありゃせん


かわいい女ならわしだってキスするぞい
こどもがかわいければだれだって抱くわいな


根本的な不平等。拭いようのない人の業。
答えの出ない問いかけ。
見つめれば見つめるだけ(付き合えば付き合うだけ)、人生が暗くなる。
だからこそ大人は、そうしたキリのない問いを「青臭い」と遠ざけて、保留する構えを覚えていく。
人の怖さを知っているからこそ、必死に繋がりを築いて、それを大切に生きて行く。
けれど、現在のような事態を迎えた時、誰もが本当にそれに向き合い乗り越えてきたわけでも、達観しているわけでもないことが露わになる。日常を支えていたものが不安定になると、それまでは「こういうもの」と呑みこんで、水面下に隠れていた各々の立場の差、欲や保身といったものが丸見えになって、後ろめたさや恥ずかしさ、それが反転した自己正当化や責任転嫁の暗闘にギスギスしたりもする。


突き詰めたところで解決はないから、真面目に向き合うだけではいつか必ず煮詰まる。
かといって、ここをスルーして語る希望は、本当はすべて欺瞞だ。
零れ落ちるものを「無いこと」にする共通の、暗黙の酷薄さに、平穏はいつも支えられている。
この、根本的な業から無傷な人間など、地上には一人もいない。


この世の理不尽な裂け目と、それを生み続ける人の業を暴き、怒りと哀しみを叩きつけた『アシュラ』『銭ゲバ』の後、本作はそれを越える宗教的な境地を目指し、描こうとするかと思いきや、あっさり挫折と無常を放り出す。
けれど、そこには人の根本的な孤独を受け止める優しさが滲む。
作品としての完成度とか、整合的な構成を捨てででも、とにかく直感と思いを刻みつけていくスピードと体力が羨ましい。
数本の連載を掛け持ちしていた超多忙の影響もあるのだろうけれど、勿体ぶった傑作意識皆無なために、作者の自意識を超えて、肝の部分が却ってストレートに伝わる。
小さな者たちの涙と美しさを描いた『花のよたろう』や、人のつまらなさ、愚かさをすべて呑み込もうとしたかの(当然、呑みこみきれる訳もないし、ケリもつかない)、後年の『捨てがたき人々』などの傑作群を、また読み返したくなった。


人間、辛い時には希望や善意を信じ、頼りたくなる。
限られた善意を信じ、出来る範囲で発揮することは、決して間違っていない。
けれど、度が過ぎた不幸を前にすると、人は遠ざかるし、期待は絶望や厭世に反転する。一見救いの無い作品だけれど、そこを受け止め見つめていることに救いがある。
「怒りを代行してくれるピカレスクヒーロー」「人肉食などのスキャンダラスな残酷」といった攻撃的で俗っぽい要素が薄く、それを超える意志や善意(の無常、儚さ)と言った、辛くて地味な営為がテーマだから、一般的な意味での刺激や面白さを求める読者への吸引力は、やや弱いかもしれないが、実は、今こそ読まれるべき作品だと思う。


外に悪を作り、自分を相対的な善に置くことに縋る安易な欺瞞を直視し、遠ざけて、根本的な孤独を引き受けながら、互いに向き合う強さを持つためにも。

あなたは愛すること 愛されることどちらがすきですか
わたしは両ほう わたしはよくばりかしら


わたしの場合 愛するのも愛されるのもすきではありません 
苦しむのがいやだから 苦しむのがつらいから


そうですわたしはなまけもの
そうですわたしはなまけもの


ばらの坂道 上 (ジョージ秋山捨てがたき選集 第 7)

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ばらの坂道(下) (ジョージ秋山捨てがたき選集第8巻)

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告白 (傑作未刊行作品集 (004))

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捨てがたき人々 (1) オンデマンド版 [コミック]

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出崎監督、本当にありがとうございました。


無常も理不尽も、どんな運命も笑って受け止め、最後まで戦う男のリリシズム。ダンディズム。
戴いたものの御恩は計り知れません。
今、まさにこれからが、それを受け取ってきた僕らが試される時だと思っています。
シッポを立てろ!




前回の日記の補足と反省、そして高円寺デモについて


僕は、どちらかというと保守的な人間(政治的に保守というよりも、単に性根が古いタイプの人間)だから、政治的な主義主張の内容以上に、それを主張する上での振舞い方が気になる。
そして、その振舞い方こそが、思想であり文化だと思っている。
どれだけ立派なことを言っていようが、その人の口調や表情、振舞いを醜いと感じれば、信頼する気持ちにはなれない。
だから、普段の人間関係も、仕事で書く文章も(あるいは、こうしてプライベートで書くものも含めて)、そこへのこだわりが軸になる。
先日の、いきものがかり・水野さんへの悪罵に対する批判も、原発の是非以前に、自分と意見が異なる者、あるいは物の感じ方や行動の仕方に距離のある物を「敵」と見做し、矮小にレッテリングした上で、容赦なく悪罵を投げつける態度を、醜い振舞いだと思ったから書いた。
そうした卑怯な振舞いを、「自分は正しい側にいるのだから」「相手は(無自覚にも)それを邪魔しているのだから」と、正義感や被害者意識にかこつけて正当化してしまっている様子に、更に強い違和感を持った。


こうした僕の怒りに対して、差し迫った原発の危険や、被災者たちの痛みの前では小さなことではないか、優先順位を間違っているのではないかという批判を知人から貰った。
彼は地震の後、自治体が壊滅した地域への物資輸送が滞っているという情報を得ると、すぐに自前のトラックで被災地に向かった善意と行動力の人だ。原発に関しても、反対の手段を云々するよりもまず行動だと、積極的にデモにも参加し、それだけではなく自分たちの立場を代表するにする足る人物を模索したり、脱原発後の社会の在り方を真剣に考えたりもしている。気真面目さと繊細さ故に、正直付いていけない性急さを感じる部分も多々あるが、正義感と行動力を見上げるように尊敬している。
けれど、それでも尚、僕はこうした多くの反原発派の振舞いを、「大事の前の小事」「取るに足りないこと」とは思わないし、看過できない。こうした振舞い方を容認する人物や運動を、到底信頼することは出来ない。
原発の問題との向き合い方が足りない水野さんにも問題はあるのではないか」と、彼らの言動を許してしまうことは、「苛められる者にも原因はある」と平気でうそぶける者の態度と、本質的に何も変わらないと思う。
そういう「正義」や「集団」が、一時的にでも力を持つことは恐ろしいし、そんな形で「正義を実現した」と錯覚している群衆を、僕はどうにもしんどいと思う。
(一見まったく別の話だが、同様の理由で、このところよく目にする、自分の贅沢にいちいち「経済を廻すために敢えて…」と、前置きせずに居られない人々の貧乏臭さにはうんざりする。「自粛」とか「風評被害」といった卑怯な言い方で、個人に責任を押し付けるお上やマスコミのやり口と一緒。悪徳ひとつスマートに引き受けられないヘタレに、贅沢の味は分不相応だよ)


今、ネット等で政府や東電への悪罵を他のすべてに優先し、1オクターブ上ずった声と口調で叫んだり、同調しない者を脅し回っているような人達の多くに、僕は好感が持てない。とても信頼しようという気持ちになれない。
そして、原発に関する事情を調べようとすると、すぐにそうした悪罵やマイナスの感情の群れにぶつかることに、正直疲れ、うんざりしている。
ただ、そんなふうにヒートアップしているのは、実のところネット世論の一部やデモの現場だけで、世の中全般を見た時に、まだ趨勢が反原発脱原発にはっきり傾いているとは、到底言えないのが現状だと思う。
その中で僕自身、声の大きな人達への嫌悪感に巻き込まれて、多少バランスを欠いた物言いになってしまったのではないかと、少し反省している。
多くの人たちにとっては、僕の彼らへの批判、反論も、一部の「主義者」同志の、良く分からない内輪揉めのように映ってしまってはいなかったかと。


声高に反原発を言う人たちの多くが、現状を「差し迫った事態」だと言う。
けれど、本当に難しいのは、原発周辺に暮らす人たち以外にとって、現状はまだまったく「差し迫って」はいないという点だと思う。
放射能は漠然と不安だけれど、少なくとも「焦って立ちあがる」というところまでは行っていない。
そして、ほとんどの人々にとって、本当に差し迫った事態というのは、具体的に生活が立ち行くかなくなること、もっとはっきり言えば、「食うに困る」ということだ。
確かに、放射能は怖い。ただ、そのリスクがまだ、はっきりと日本全体を脅かすものではないのなら、できるだけ今の暮らし方を守りたいし、脅かされたくないというのが本音なのではないか。
自分が見る限りの印象でしかないけれど、原発を無くすことによって経済が極端に縮小する=貧乏になるなら、安全性を上げながら現状維持が良い、と積極的に明言はしないまでも、「それは無理だよ、社会がそれを許さない」という思い方で納得している人が、まだまだ多数だと思う。


これに対して、「放射能に汚染された日本は海外から差別される」「原子力に依存する日本は、国際世論の信用を失う」という脅し方も短期的には有効だろうが、それこそ差し迫った賃金や雇用の不安を前にすると、吹き飛んでしまう種類の恫喝、扇動でしかないとも思う。
敢えて言えば、「東京湾原発を作ってもいい」という石原都知事の言葉に、「道義的な説得力」の上でさえ負けていると思う。
だから、脱原発がリアリティを持つかどうかはひとえに、「貧乏になったとしても幸福な生き方」を、いかに説得力を持って示せるかにかかっていると僕は思う。
本当は、原発の是非以前にそう思っている。ひたすら効率を追う経済システムと砂粒の個による消費によって、なし崩しに拡大していく「イケイケどんどん」な社会ではなく、敢えてある程度の不便や貧乏を受け入れて、仕事や生活の場の共同性を立て直していく生き方、社会の在り方を選びたい。
自分がそうした社会の、現場の繋がりの中の当事者だと思えなければ、隣人を救うことを、不便や貧乏に耐えてでも優先しようという気持ちは起こりようがない。自分の孤独な生き方を超えるためにも、便利に依存し過ぎた暮らし方を見直していきたい。
大衆ではなく、庶民として生きたい。
生活者としての自分は、そこをこそまず最初に考えたいし、広義の文学者と自覚している自分の仕事では、そこに纏わる小さな葛藤や感情を、良いも悪いも余さず(時にはそうした持論を裏切り、覆すことも恐れず)書き尽くしていきたいと思う。


勿論、ネットでの意見表明とかデモといった方法を、自分はまったく否定しない。
(今のところ、そうした自分の仕事や暮らしをこそ、最優先にしたいと思うだけで)
けれど、そこでも少し気になっていることがある。
自分の古巣である高円寺での、素人の乱による反原発デモに、高円寺に住む自分の友人、知人の少なくない者が怒っている。
彼らは、僕のような頑固な保守的人間ではないし、デモの趣旨に反対しているわけでも決してない。むしろ、文化的放埓には自他ともに寛容で、原発には反対、そしてほとんどが先の選挙では脱原発を明言していた小池あきら氏に投票していた人たちだ。


まず彼らは、主催者である素人の乱の、これまでの高円寺での振舞いを快く思っていない。
デモの申請だけをしておいて、警備の中、たった数人で行進して警察を挑発してみたり、白昼商店街や住宅街の中で爆音の音楽を流したりといったことに疑問と反感を持っており、今回のデモもそういった主催者の悪ふざけ(と、彼らは受け取っている)に、事情を知らない多くの人たちが巻き込まれてしまったと感じている。
「選挙に行ってる場合じゃない」というスローガンも、この印象に油を注いでしまった。
主催者が本気で反原発を目指すつもりがあるのかどうかに疑問を持ち、また、ならば何故デモを政府官庁や東電本社前等ではなく、高円寺の街場で行うのかを訝っている。
そして何より、事前に商店街や、ほとんどの高円寺住民に事情を知らされることもなく、説得や挨拶もなくデモが行われ、爆音が鳴らされ、仕事や日常がストップし、深夜に及ぶ馬鹿騒ぎが続いたことに、本当に腹を立てている。


これは、僕のごく限られた知人の声に過ぎないけれど、地元において決して少数の声では無いと、正直感じている。
しかしマスメディアでは報じられないし、ネット等ではともすれば「原発の危険が差し迫り、現地の人々を傷つけている時に、デモに立ち上がった人々を迷惑がるエゴイスト」といった声が、いわゆるリベラルで情報感度の高い人々から発せられている。
しかし、地元のリアリティを無視して、そうした広がり方をする世論を、僕は軽薄で怖いと思う。常識で考えて、デモで原発がすぐに止まるとも思えない。そして上に書いたように、高円寺の人たちにとって、それはまだ仕事や暮らしを犠牲にする程差し迫ったことじゃない。
地元を説得し、妥協点を示す努力ひとつできないような姿勢では(そしてそれを、曖昧な正義に煽られた人々の声で、押し流してしまうようでは)、運動も社会変革も、一過性で脆弱なムーブメントに終わってしまうのではないか。


素人の乱は、調度僕が高円寺を出た頃、入れ替わるようにして活動を活発にして行った。
だから、僕は彼らのことを直には知らないし、好意も悪意も持っていない。
メディアを通した彼らの印象では、かつての寺山修司のように、世間の常識を異化する事、つまりはた迷惑なハプニングを仕掛けること、みんなを居心地悪くさせることそれ自体が、手段ではなく目的である人たちじゃないかと感じた。
今回の反原発デモも、もしかしたらその延長で行われているのかもしれない(少なくとも、高円寺の知人たちは、そういう認識を持っている)。
それ自体は彼らの自由ではあるが、そうした「アナーキーな振舞い」が、究極的な政治目標そのものだという姿勢を滲ませたまま「反原発」デモを行った場合、目的が曖昧に拡散されて、焦点を結ばなくなるのではないかという危惧を持つ。
「反原発」「脱原発」という共通の目的以外、各々の動機や主義主張は様々でいい。そして共通の目的のために手を結ぶためには、他の主張を抑え、意識して焦点を絞り込み、それを分かりやすくアピールする必要があると思う。


そして、どうしても高円寺でデモを行うと言うのであれば、地元の暮らしを大切に、協調と妥協点を探って欲しい。
そこをないがしろにする運動を、やはり僕は信頼できない。
「やつらは普通にデモをすれば古臭いと言い、サウンドデモをやれば迷惑だと言うような連中」だとか、「迷惑というなら阿波踊りだって迷惑だ」なんて発言も散見されたけれど、これは、政治的な主張で他者を説得しようとすることを、趣味や自己表現が許容されることと同次元に考える甘過ぎる態度だと思う。
そこで、安易に自分たちを正義の被害者にしてはいけない。
簡単に批判者を「敵」「やつら」と認定して、安直に憎悪のはけ口にする様な幼稚な振舞いに落ち込んで欲しくない。
相手に配慮し、伝える努力をしようという、自省、礼節、思いやりを保って欲しい。
(あるいは、もし「反原発」が彼らにとって二義的なものに過ぎないならば、寺山的パフォーマーにとっては、僕の言い分は甚だ見当違いかもしれないが…)


最後に、これだけは信用して欲しいのだけれど、僕にはデモに反対したり、妨害したりしたいという意図は全くない。
こうした歌舞伎者連中に対して、「気に入らないから出て行け」という態度は、まったく高円寺らしくないとも思う(同時に、趣味、信条の上で嫌い、批判することも、まったく自由だと思う)。
ただ、街場のコミュニティがちゃんと生きていて、かつ「移民」の街である「我が第二の故郷」高円寺に、たかがデモ程度のことで、冷たい相互不信が蔓延ることを寂しく思うだけだ。
本当に、頼むよ。


●寺山の親友山田太一の手による、テラヤマ的人物を山崎努が怪演、山田ドラマ的小市民家庭と激突する『早春スケッチブック