伊丹万作『戦争責任者の問題』 福田恆存『私の幸福論』所収「自由について」(15日追記)


伊丹万作『戦争責任者の問題』
http://anond.hatelabo.jp/20110413222428

「だまされた」と平気でいうひとたちは戦争中はまだ子供で自分が確立されていなかつたから「だまされた」のであり、今日は、自分が確立できたから、その「だまされた」という事実に気づいたというのでしょう。そして「だまされた」自分は自由でなかつたが、それに気づいたいまの自分は自由に眼ざめているとでもいうのでしよう。そんなことはありません。そういうひとたちは、自分というものに、また自由というものに、この二つの新しい幻影にだまされはじめただけのことです。


こうして「だまされた」をくりかえしていたのでは、私たちは、生涯、永久に自分の宿命に到達できません。顧みて悔いのない生活はできません。さきにもいつたとおり、私たちの欲しているのは、いわゆる幸福で不自由のない生活ではなく、不幸でも、悲しくとも、とにかく顧みて悔いのない生涯ということでありましよう。あとで顧みて、いくらでも書きかえのきくような一生を送りたくないものです。


もちろん過去のあやまちを認め、これをただすのはいい。なるほど部分的には、そういうことも起こりましよう。しかし根本的には、私たちは私たち自身の過去を否定してはなりません。どんな失敗をしても、どんな悪事を働いてもいいから、それが自分の本質とかかわりがない偶然のもの、あるいは他から強いられてやつたもので、本来の自分の意志ではないというような顔をしないこと、自分の過去を自分の宿命として認めること、それが真の意味の自由を身につける第一歩です。自分の過去を否定し、それをまちがいだつたといつて憚らぬのは、結局、自分の出発点を失うことになり、未来の自分も葬り去ることになります。宿命を認めないことは、自由を棄てることになります。


自由と宿命の関係は大変難しいもので、私には、多くのひとが思いちがいをしているとしか考えられません。今日、自由平等を強調するひとたちは、やりようによつては、人間にはなんでもできると思いこんでいる。十九世紀の末、一度、行きづまりに陥った自然科学も、最近では原子力の利用によつてふたたび活気づき、それに社会科学の発達が結びついて、人々は人間の未来を前途洋洋たるもののようにおもいがちです。が、これは明かに錯覚です。自由には限界があるばかりでなく、その限界がなければ、私たちは自分が自由であると感じる喜びさえ、もちえないのです。この限界をとりはずしてしまうと、自由は自由ではなくなり、苦痛となります。無際限の自由は、じつは自由そのものによつて、邪魔者とさえなるのです。


私たちは出発点においても、終着点においても、宿命を必要とします。いいかえれば、はじめから宿命を負つて生れて来たのであり、最後には宿命の前に屈服するのだと覚悟して、はじめて、私たちはその限界内で、自由を享受し、のびのびと生きることができるのです。そうしないで、いたずらに自由を求めてばかりいると、落ちつきのない生活を送らねばならなくなります。みんな神経衰弱に陥つてしまいます。神経衰弱、あるいは現代の流行語でいえばノイローゼというのは、自分を操る術を失うことです。なんでも操れる自由をものにしようとしたため、自分自身が操れなくなるという奇妙な結果に陥るのです。
福田恆存『私の幸福論』所収「自由について」より

伊丹万作エッセイ集 (ちくま学芸文庫)

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私の幸福論 (ちくま文庫)

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斉藤和義「ずっとウソだった」に対する、いきものがかり・水野良樹さんの意見について

まぁ、びくびくして言えないのもなんか違う気がするしな。昨日はそれでもんもんとしていたけど。俺は斉藤和義さんの音楽が大好きだけど、「ずっとウソだった」は大嫌いだよ。


自分の主張を保身することなく自分の方法論でまっすぐに発信するという行為に対する賞賛と、主張そのものに対する是非は、別に議論されるべきことなんじゃないかなと、僕は感じているんです。その混同は、いたずらに”正義”を生むだけなんじゃないかなと。すみません、まだ整理できていません。


(1)そもそも僕は音楽に政治的な主張、姿勢(斉藤さんの場合は、怒りでしたが)を直接的に乗せることについて、とても懐疑的な人間です。


(2)いや、もちろんそもそもある一定の範囲の音楽が、政治的な主張とともに成り立ってきたというのは頭では理解していますし、自分が作った曲も、すごく広範な視点で見れば、それらと同類の恣意性を放ってしまうということからは逃れられません。


(3)「お前は愛だ、恋だを歌っていろ」と言われましたが、愛だ、恋だを歌っていても、愛の意味付け、恋の意味付けには、遠巻きには関与してしまうわけで、それは、政治という言葉が持つ一面的なイメージとは違うかもしれませんが、世の意識に関与するという意味で、政治的なことです。


(4)本来、自分が身を懸けるポップミュージックとは、あらゆるものに対する世の価値意識に、直接、間接を問わず、意識的、無意識的を問わず、影響を与える宿命性を帯びていると、僕自身は感じていますし、そこを信じて「愛だ、恋だ」をつくっていたりもします。


(5)そのことは自認しつつも、かといってすべてあきらめて、自分の主義主張をマジックで太字で書くように音楽に乗せるかというと、そういうことでもなくて、つまりは1か0かの話ではなく、どこに立ち位置をとるかということだと感じています。


(6)音楽にあからさまに主義主張を乗せることが、本来複雑な因子が絡み合って構成されている問題を、むやみに単純化する危険性について危惧している。歌詞というスキームで言えば、限られた字数で伝えられることでどうしても生まれる誤解曲解が音楽の特性ゆえに作者の意思に反して広範化してしまう。


(7)それらが、おおざっぱに言えば、僕が”そこ”に踏み込みたくないなぁと感じている理由(言い訳)のいくつかです。それを弱虫だ!と言われれば「その通りかな」とも思いますが「主義主張のない人間だ」と言われると「うーん、そうか?」と思います。


(8)そんな風な人間が、斉藤さんの「ずっとウソだった」という曲と、それを受けての現象を見て感じて直感的に思って放った言葉が「大嫌い」だったわけです。軽卒きわまりないと言われればその通りです。


(9)またこれは狭い範囲の世界での話ですが、己の何倍も長い年月、身を表現の世界におかれている方に対して(先輩後輩なんて表現の世界で関係ない!というお叱りも受けましょうがそれとは別に)敬意を欠き、未熟な自分の立場をわきまえぬ奢った不遜な言葉であったことは、大変反省しております。


(10)身を顧みず、自分の怒りを表現された行動に対しては、強い敬意を持っています。また、その行動そのものを押しつぶそうとするものがあるとするならば、僕は、音楽という方法論をとるかは別として、斉藤さんと同様に、怒りを表明します。有り体に言えば言論弾圧は、最も嫌うものです。


(11)ただ、あの曲と、あの曲を受けての諸手を挙げた賞賛の嵐が、専門家でも意見の分かれるような高度で複雑な因子が絡む問題を、単純化してしまう危険性が垣間見えたこと、そしてそれを指摘する者への(語弊はありますが)逆圧力のようなものを感じたこと。


(12)それが、ぼくが「大嫌い」と非常に子供臭い、感情的な発言を発してしまった、背景の大きな部分です。しかし「大嫌い」という曖昧な発言が、自分が危惧していた物事の単純化を助けることについて、配慮が足りませんでした。この部分は情けないとしか言いようがないです。お詫びします。


(13)また、青臭いと言われることかもしれませんが大事なこととして、僕は単純に「ずっと好きだった」が大好きでした。斉藤さんのライブを見させて頂いたことも何度もありますし、実際にお会いしたときのお人柄も素晴らしい方でした。たぶん斉藤さんは僕のこと覚えてないと思いますけど(笑)


(14)単なるいちファンとして(お前なんかファンじゃねぇと言われればそれも謹んで甘受)斉藤さんがあのような行動に出なければならなかったことは、切ないな、悲しいな、と感じたことは偽らざるところですし、それを「好きだ」と表明するのも違う気がするというのも本音です。
(あ、ちゃんと、書き加えますが、もちろん、あのような行動をとる斉藤さんこそ(主張内容の是非は別にしても)好きなんだ、あれこそ自分の思う”斉藤和義”だ!という方も、大勢にいらっしゃる(むしろ大多数な)わけで、そこは否定するうんぬんの話ではありません。)


(15)むしろ無関心を通すこともできたわけで、それは斉藤さんに失礼かなと思ったのも、素直な気持ちのなかにはあります。ただ仮にも音楽を生業としているものとして、そういう気持ちだけを理由にすることもできません。音楽を生業としているからこそ、前述した理由も提示しなければなりません。


(16)以上が、だいたい、自分の頭で整理して、考えてみたことです。文章のつたなさゆえ、説明しきれていないこともあるでしょうし、単純に考察が甘いところもあるでしょう。リプライはすべて読ませて頂いております。ご批判、お叱りは、たくさんおありでしょう。謹んで読ませて頂きます。


(17)「音楽家ならば、音楽で返せ」とのお言葉もありましたが、前述しているような理由で、結果的には返すことになるでしょうが、斉藤さんのような方法論で返すことは、僕は致しません。それを”逃げ”と言われるのは、ご批判もありましょうが、「違う」と思うのが、僕の今です。


(18)まぁ、こんなにぐだぐだと語る奴は野暮だな、というお言葉。他人の表現について、うだうだと語る奴は野暮だな、というお言葉。は、まさしくその通りだと思います。返す言葉もありません。野暮です。野暮ものがかりの水野です。


(19)ですが、この未曾有の震災のなか、音楽をつくるものが、自分の音楽をどのようなかたちで捉えるか(もしくは使うか)を問いかけられている今、斉藤和義さんの行動に対して無関心であることはできませんし、それを「大嫌い」と言った自分の背景について自分で考え直さないわけにはいきません。


(20)そのうえで、うだうだ語るのが必要だなと思って、僕は、うだうだと語っています。まとまりが、つかなくなってまいりましたが、そんな感じです。長くなりすぎてしまいました。


http://togetter.com/li/122633

上に引用したのは、いきものがかりのメンバー水野良樹さんによる、斉藤和義「ずっとウソだった」に対する違和と、その理由を説明するツイートです。
意見の相違する相手への礼節と配慮が行き届き、しかしあくまで正直、誠実な立場表明だと思う。
自分はこれまでいきものがかりを、昨今のステレオタイプなJポップのひとつくらいにしか見ていなかった(むしろ「ゲゲゲの女房」の主題歌など、人生の無常や暗部に光を当てたドラマの襞を押し流される気がして、やや逆恨み的に嫌っていた)ので、正直、丁寧に重ねられた言葉と気骨ある態度に驚き、意外に感じました。不明を恥じます。


彼が最初のつぶやきをして以来、反原発の人や斉藤和義ファンによる揶揄、悪罵の酷さは、目に余るものがあった。
そして、水野さんがこれだけの言葉を重ねて尚、「音楽から政治を排除している」「日常の中の政治性に無自覚」といった大声で押し流そうとする態度が散見される。


僕は、辛辣、狭量な批判を、有事における危急の行動として無闇に正当化してしまうことを、今、何よりも気をつけるべきだと考えてきました。
慌てたり不安定になったりしている人や、他人を脅してここぞとばかりに持論を押し付けようとする者の悪罵に感化されて、こちらまでミイラ獲りがミイラになる不毛は避けたい。
けれど、こうした「個」を引き受けた柔らかい声が、1オクターブ上ずった集団の声(それは、大声の悪罵や脅しだけでなく、冷静客観をを装って、その実物事を暴力的に割り切ることを促し、正当化するような言動も含む)に踏みつぶされてしまうことには、我慢ならないと思った。
「今、この時期にこの発言は、敵(原発推進派)を利することになる=無自覚に原発推進に加担している=おまえは政治的に原発推進派だ!」という三段論法。
これは、かつて旧弊な左翼が乱用していた、個々人が恥じながらも持たざるを得ない保身を、暴力的に押し流そうとするやり方そのものじゃないか。


誰の中にもある分裂や、保身の後ろめたさへの攻撃を、問答無用の「公の正論」ぽく粉飾してごり押しする、自分の欲望(と、他者のそれとの落差)を棚に上げた卑怯な振舞い。
こうした自称リベラリスト達の言動は、比喩でも何でもなく、ストレートに「ファシズム」(あるいは「スターリニズム」)と呼ばれるべきものだと思う。
戦争中、「この非国民め!」と他人の髪型にまでケチつけて回った連中や、あさま山荘連合赤軍の醜態と何も変わらない(知らない若い人は、検索してみてください)。
こんな乱暴な振舞いで脅しておいて、「日本人は政治をケガレだとタブー視している!」と平気でうそぶける、傲慢と無神経が我慢ならない。


「おまえは現地の人々の苦しさを考えないのか!」という恫喝もそう。
平和の中では隠れているけれど、様々な立場を一つにまとめる「政治」というのは、根本的に暴力的なものだし、利害対立が露わになる怖くて切実なことだからこそ、多くの人は日常みだりに口にしない。
勿論、多くの人の命や社会生活の維持に関わるような危急の場合には、それが必要悪である自覚を持った上で、特例であることを警戒しながら、行動に移さなければならないこともあるだろう。
けれど、現在危急の行動は、避難や放射能のチェックや被災者の救援や原発の冷却であって、他のすべてに優先して反原発を叫ぶことじゃない。
そしてこうした態度の問題が、震災や原発事故の重大さに比べて、些細な問題でしかないとはまったく思わない。
被災地と東京以西では、この状況の感じ方に大きな落差があるし、もっと言えば、被災地の人同士、それ以外の人同士の間にも、無数の立場や感じ方がある。それにどう向き合っていくかが、これから大きな課題になる(更に言えば、それは決して今回の震災に限ったことじゃない。こうした理不尽な運命とその不平等は、常にどこにもある。今はそれが数の問題で可視化しただけであり、厳しく言えば、今更のようにそれに驚くということは、今までそれを見つめることを怠っていたということではないか)。


自分も、地元に多大な危険とリスクを背負わせる原発は、今後無くしていく方向に梶を取るべきという意見だし、それを契機に惰性的な経済拡大路線から一歩引き、貧乏を受け入れた上でコミュニティの再建と生活の知恵でやっていくべきだと思っている。
けれど、それこそ各々の生活がある以上、いきなりゼロかイチかを選択できるようなことじゃない。
そしてその時、震災以降正義を言いたてる人々に散見されがちな、「目的のために手段を選ばず」という姿勢に、到底同調できない。
生きる手段である刻々の姿勢は、ただ未来の目標への過程ではなく、そのまま「人や社会の価値」そのものだと考える。
敢えて極論を言えば、簡単に「自省」を吹き飛ばすことを正当化し、安易に扇動したり扇動に乗ったり、敵や悪を設定する事で迷いや葛藤を押し流してしまうくらいなら、「自省」を貫いた結果滅びたとしても、それを自分たちの限界として引き受ける方が美しいと思う。

「頭のいい人はたんと反省するがいい。僕は馬鹿だから反省しない」小林秀雄


断わっておくと、これは斉藤和義さんや歌そのものではなく、水野さんを卑怯な悪罵で中傷、恫喝した人々への批判です。
正直、「ずっとウソだった」自体には、良い悪い以前に、まったく心の針が触れなかった。
ただ、「自分をどこに置いているのか」「誰に向かって物を言ってるのか」わからない軽薄さが好きになれなかった。
好意的に見れば、極端に敷居を下げた単純さに徹して、確信犯でプロパガンタしたかったのかなとも思ったけれど、その是非をことさら口にする程の力も感じなかった。
そして個人的には、政治的な歌を歌うにしても、今回の水野さんの言葉のように、たとえ重く、鬱陶しくなったとしても、分裂や葛藤を引き受けるやり方の方が好きだ。
ただ、今回の斉藤さんや、例えばかつての清志郎タイマーズ)のような、無責任な軽みを引き受けた「毒舌の道化、幇間」のような芸能はあって良いと思う(斉藤さんに対する「代案もないくせに」といった揶揄も散見されたけれど、音楽家(或いは芸人)に対して、野簿の極みとしか言いようが無い物言いだと思った)。
ただ、それがどう受け入れられるかという計算やバランス感覚を含めて、評価や批判もなされてしかるべきだし、今回の水野さんのような「扇動の結果」に対するものを含めての嫌悪もあって当たり前だと思う。


こうして発言をブログに記録し、話題にすることで、おそらく議論に拘泥することは本意でないだろう水野さんには、或いは却って迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、今回の彼の態度は広く知られ、賞賛されるべきものだと思うし、彼に対する多くの人々の態度のまずさも自覚され、深く戒められるべきものだと考え、野暮を書き連ねてみました。

『二十四の瞳』(54年 監督 木下恵介)

いつものことではあるけれど、優柔不断で筆が遅いため、やり残しの宿題を気にするようにずっと心に引っかかっているうちに、目の前のことに集中できない時間が重なって、どんどん現実と意識がずれていく。
淀むのが嫌で、無理に押さえ込んで目の前のことにのめり込もうとすると、無意識に澱が溜まって、イライラが止まらなくなったりする。
結局何をしていても、こんなことをしている場合かと落ち着かず、実を結ばない。


地震の直後、変に浮き足立たずに日常を保ち、できるだけ普段通りのテンションの言動を維持したいと思った。
読者としての自分を考えても、有事に際して急に大袈裟な物言いで安っぽく反省を始めたり、露骨なポーズで目立とうとするタイプの作家は好きじゃない。むしろ、何があろうと我は我と、淡々と引き受けられるだけの自己限定の説得力を、今まで自分が少しでも重ねてこられたかが試される機会だと思った。
自分がここでいくら深刻がってみたところで、被災地で本当に辛い思いをしている人たちの、何の力になれるわけでもない。
放射能は不気味だけれど、地方にリスクを押し付けて(少なくとも暗に黙認して)、良いだけ豊かさと享楽に浸りきってきた自分たちが、突然声高に原発を批判するのはおこがましいという気持ちも大きい。
志ん生関東大震災の時、身の危険よりも何よりも酒瓶が割れるのを心配し、主人の逃げ出した酒屋で一人飲みまくっていたという話が好きで、自分もそんな極楽とんぼであれたらと思ったけれど、肝の小さな凡才にはとても無理で、せめて、お互い落ち着かない者同志、なるべく柔らかく振舞いたいと思った。


ただそれも、誰もが不安や被災地への心配を、多かれ少なかれ共有しているという無言の前提あってこそのツッパリで…。
計画停電の発表に右往左往し、節電を張り切り過ぎて風邪をひき、繰り返し放送される被災地の惨状に居たたまれなくなって募金や物資送付を焦っている時は、無力感の中にも、多少なりともみんなで危機を共有している(しようとしている)という錯覚なり気休めの中に居ることができていた。
まだまだ生々しい「喪失」と「茫然自失」の中で時が止まっている被災地と、そろそろ地震原発一色の日々に飽きて、自粛ムードへの反動が見え始めている関東以西の温度差が、徐々に目立ち始めると、別の不安定さが浮かび上がってくる。
「被災地の復興のためにも経済を廻せ」というけれど、自分の楽しみを全肯定しながら、被災地に対しても善であると信じられる(信じようとする)ことに、何とも言えない虫の良さを感じて居心地が悪い。
「頑張ろう」とか「私にできることはこれくらい(自分の頑張ってる姿で勇気づけること、とか)だけど…」といった言葉を耳にする時の、なんだかおこがましいような違和感がだんだん強くなってくる。


ツイッターで、津波放射能に見舞われた被災地から、東京に避難されている方のつぶやきを見かけた。
目の前で親しい人々もろとも、自分の町が丸ごと消えてしまったショックと、すっかり日常に戻っている東京での自分の現実がうまく繋がらず、申し訳ないと苦しまれていた。
こんなに遠くで放射能を怖がったりしている東京の僕らの呑気さへの呪詛を、そんなことを思ってしまう自己嫌悪と共に、苦しくつぶやかれたりもしていた。
結局、何年も何十年もかけて、ゆっくり記憶が薄らいでいくことを(そのことに苛立ちや後ろめたさを感じながら)、待つしかない種類の痛みだと思う。周囲が、必要以上に感傷的になっても、被災地の復興が早まるわけではないし、こんな痛みを共有することなど到底できない。ただ、「自分にできること」と安易に納得するよりも、何もできない無為無力を噛みしめることの方が重要な気がしている。
彼らと自分の距離を自覚しながら、それでも敢えて当たり前に声をかけ、出来得る限りの助力をし、付き合っていく意思を努めて表し続けるしかないと思う。


復興に向けての「頑張ろう!」にしても、例えば原発を止めるならば、かなりの経済の縮小を覚悟していかなければならない(自分の生活を無傷のまま守りながら、それを主張する事に対する、直感的な抵抗も拭えない)。その中で、貧困や格差は、今まで以上に大きくなりそうな予感もある。貧しさへの怯えや不便へのストレスからバランスを崩し、安易な頼りやはけ口を求めない強さと、「みんなでやっていく」心構えを作らなければと思う。




前置きが随分長くなってしまったが、そんな気分の中、震災以降どうも映画を観ていて集中できない。
特に70年代あたり以降から現在までの映画を、観る気になれない。
自粛とかそういうつもりは無いし、まして、個々の映画の価値や意味を丸ごと疑っているわけじゃない。
震災直後は、CSの予約録画が停電で飛ぶことをいじましく心配したり、被災地の若い人の、好きなアニメの最終回を見られなくて残念がってるつぶやきを目にして、勝手に共感したり、少し救われたような気持ちになったりもしていた。
辛い時、不安な時こそ、一瞬現実を忘れさせてくれる、娯楽の持つ力を再認識させられる光景にも出会った。
ただ、日が経つにつれて、「何かが足りない」という違和感が大きくなってくる。


ふと、山田太一が戦後のホームドラマの流れを論じる文章の中で、昭和27年の黒澤明『生きる』、28年の小津安二郎東京物語』、木下恵介『日本の悲劇』を、「共に子どもに親が見捨てられる物語」として並べていたことを思い出した。

戦前戦中の「国」と「家」の桎梏から解きはなたれた日本人が、活力の根拠地にしたのは、結局のところ「個」の発展であり、「個」以外のところへ軸が動くこと―つまり「個」の内面を抑えて「親孝行」というような規範に従うことには、強い警戒心があった。そして「個」の内面に従ったら、それほど親を愛していなかったということであり、生活の余裕のなさからそれが見苦しく露わになったことは不幸だが、その「個」の質は、戦争中に出征する息子を、どこまでも追い続けた母の「個」と、それほど遠いわけではないと思う。
だからといって、子どもたちの「エゴ」をただ肯定はできないが、その「エゴ」は、立場をかえれば親たちも持っているものであり、親たちだって戦後は「個」に集中するより他に、よりどころはなかったともいえるのではないだろうか?
上記三作品(「生きる」「東京物語」「日本の悲劇」)は、時には意図的な領域を超えて、露わになった「エゴ」の悲哀が映像に鮮やかに刻まれた傑作であった。
そして、日本人は当面の「エゴ」に従う以上の内発的活力を持たぬまま、働き口のある都市への集中化や住宅事情というような外在的な理由もあって、親を(つまり当面、エゴが必要としていないものを)切り捨てて行く。
(『逃げていく街』所収「残像のフィルム」)


また同時に、この三本を同時に観ると、同じ状況に対するそれぞれの作家の個性と態度の違いも、くっきりと浮かび上がってくる。
「無為に生きることは死んでいるのと同じだ」と言い切り、主人公の意志と行動を讃える『生きる』。
声高に状況を批判することはせず、「無常」に黙って耐える人々の哀感の方に意識してスポットを当て、控えめに、まさに日本的な調和の美しさの中に描いて見せた『東京物語』。
そして、戦後の貧困の中の荒みと、アメリカ流民主主義、個人主義が急激に浸透する思想的混乱の中で、自分の不幸の理由も分からず翻弄される人々の、やり場のない怒り、悲しみを露わにする『日本の悲劇』。
そしてその後、豊かさに向けて遮二無二走り続けた日本は、黒澤的な(つまり、欧米的な)姿勢を選び、美徳としていった。
半面、後者二つ、特に小津のような意識的な「保守」「ノスタルジー」ですらない、木下恵介の「涙」は捨てられ、忘れられて、いつのまにか豊かになった日本人の気持ちにそぐわなくなっていった。
勿論、戦後のそうした前進への意志と必死の営為を、単純に否定など出来るわけが無い。
自分にしても、特に若い頃は、戦って勝ち取るものの価値(あるいは、裏腹の挫折の哀しみ)といった、能動的、個人的なドラマが描かれないこれらの古い邦画を、退屈に感じていた。特に『二十四の瞳』は、ただ、天から降りかかった運命に泣くだけの話に思えて、安易で古臭く感じていた。
その割に高峰秀子演ずる大石先生が、特別いい人でも立派でもなく、むしろ愚痴っぽく、泣いてばかりいることを、何だかしみったれてるなと思ったりもした。


ところが、先週NHKBSで立て続けに放送された『東京物語』、それに木下の『二十四の瞳』は、違和や温度差をまったく感じさせることなく、今の自分の心境に驚く程ストレートに響いた。
特に『二十四の瞳』の、以前観た時との印象の違いの大きさに驚いた。
ありのままの、小さな人々の営みが、変わることの無い(そして今となっては失われてしまった)風景の中でゆったりと続いていく、以前はただ退屈に感じた見せ方が、今はまさに「これしかない」と思える。
敗戦から9年。ようやく差し迫った貧困が少し落ち着き、辛い過去を振り返る余裕が生まれた人々に、控えめな描写と静かなテンポ、そして懐かしい唱歌の調べが静かに沁み込んだように。


現在の状況に対して、「日本人は戦争や原発事故を、天災のように受け取っている」という揶揄の言葉をどこかで目にしたが、『二十四の瞳』も「感傷ばかりで日本人の加害者性が描かれていない」という批判にしばしば晒されてきた。
この批判には、自分も一理あると思う。我執を醜いと感じがちで、何かを粘って考え、意思を持つということがが苦手なことは、確かに僕らの弱点ではある。
そのことが、個々の責任を曖昧に、雰囲気に埋没して誤魔化し、逃げてしまう、後ろ向きな態度に繋がりがちなところも確かにある。
けれど、大石先生が家族や子どもたちに降りかかる運命を前に、ほとんど気休めくらいにしか何もできず、ただ涙を流したように、現実の根源的な理不尽と無情は、本当は今だって変わらない(豊かさの中で陰に隠れ、後回しになっていただけで)。
未来を切り開こうとする意志の力は大切だが、明るさを求め、信じようとするあまり、それを「無いこと」にしてしまうことも、それはそれで、謙虚さを失った傲慢な(そして、結果的に非寛容な)悪しき信仰のようになってしまっているところがあるように思える。
「ぶれない」とか「揺るぎない自分」とか、勇ましい言葉がどこか独りよがりな軽々しさで氾濫していることに、自省を欠いた誤魔化しを感じることも多い。
「それでも生きて行く」というよりも、「どうしようもない」「生きて行くしかない」状況の中、諦観を捨てると共に、共感の道筋を失ってしまった僕たちは、互いが繋がる方法を失くして、うそ寒く、上滑りになってしまっているところが無いだろうか。

何かもどかしさがあります。日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受け止めることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものに対していつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝きはじめ、今まで目を向けなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています。
山田太一による弔辞より抜粋)


僕には、それが今だという気がしてならない。


「弱い者」「辛い思いをしている者」の存在を杖にして、他人を恫喝、糾弾するようなことは慎まければならない。自分などにそんな資格があるはずもない。
「無傷な立ち場」というものは、あり得ない。叩いて埃の出ない人など居ない。
辛い時、人間の善意を期待し過ぎて、反動で厭世的になり過ぎたり、自他の中の根本的なエゴを認められなくなったりすることは、重々自省しなければならないとも思う。
ただ、「気にしない」方に開き直る個人主義、合理主義も、不人情を正当化するイデオロギーみたいで抵抗がある。
付き合いも、感傷も、自分たちには大切な人生の一部だ。



「美しい島の愛の物語」というコピーは誤り。「無常と諦念と涙の物語」が正解。

二十四の瞳』ラストシーン。晴れの日も嵐の日も、ただ毎日島の道を、自転車で通い続ける大石先生。

木下恵介『陸軍』のラストシーン。出征していく息子に追いすがる田中絹代

震災後感じたネットの問題点 「慌てて買い溜めちゃった」と呟けない空気こそ、最もまずい「同調圧力」なのでは?


地震津波、そして原発事故から3週間あまりが過ぎた。
地震直後の周囲の様子や報道、自分の行動や心の動きなどを記録しておきたいと思うのだけれど、命にかかわる緊急事態なのかそうでもないのか、もっと心配すべきなのか逆に心配し過ぎなのか、状況が二転三転し、情報や提言も錯綜している状態が続き、なかなか纏まらない。
また、多くの人が哀しみや不安の中に居る時、自分のそうした不安定な気持ちを、みだりに表に出すことは控えたいとも思い、まとまった日記はUPしなかった。ツイッターでも、そうした呟きは極力抑えて、普段より3割増しくらい柔らかめの言動を心がけようと思った。
ただ、もう少し状況が落ち着いたら、この間の自分の揺れや心の動きを、極力正直に記録しておきたいと思った。経験値を超えた事態の中で、何かを素早く判断すること(あるいは、慎重に判断を保留すること)が自分にとって、或いは誰にとっても本当に難しいことを、今も痛感している最中だ。


こんな不安定な状況の中にあっても、日々出会い、或いは目にする人たちの振舞いは、自分には概ね立派なものと感じられた。
喧しく言われた買い占め騒動にしても、少なくとも自分は、そこまで極端な買い占めをほとんど目にしていない。
確かに地震の翌日は、水や保存食などを買うために、自分も朝からスーパーに駆け付けた。輪番停電が発表された直後も、スーパーやドラッグストアのレジには長い行列ができていた。
ただ、並んでいる人たちの様子に、それほど殺気立った印象や、他を露骨に押しのけるような利己的な印象を自分は持たなかった。


テレビでは、数日にわたって繰り返し被災地の惨状が映し出されている。原発事故と放射能の状況は、専門家や知識人の間でも見解が大きく分かれ、何を信じていいのか解らない。
未曾有の事態の中での混乱に寛容になろうと努めながらも、新聞やテレビ(特にNHK以外の民放)などマスコミの言動には、怒りと落胆を感じざるを得ないものがあまりにも多かった(特にほとんどショック映像のように津波の来襲場面と、被災者の苦難をワイドショー的な扇情手法で繰り返すばかりで、今、どこに何が必要なのかを整理し、伝える努力を放棄しているようにしか見えない。あまつさえ、司会者やコメンテーター自身が慌ててデマをばらまき、フォローも無いという様子が散見された。このことは、当事者、受け手共にしっかりと記憶し、問題点を直視すべきだと思う)。
そんな中、首相が悲壮な表情で未曾有の国難を訴え、余震が続く中輪番停電が発表された時には、自分たちが経験したことの無いような大変なことが起こっているのだという強い実感を持った。


そんな状況で、買い物の傾向が多少傾いたり、いつもより何割か多くのものを買い込んでしまうことは、少なくとも自分は無理からぬことだと感じるし、事実、多くの人はそのことを互いに了解していたとも思う。
そしてレジ前の列では、見ず知らずの人同士が普段ないくらい親しく、不安を語り合い、互いを心配しあっていた。
東京の買い占めの為に被災地に物資が届かないといった報道もあったが、何故卸しの段階でコントロールしようとしないのかが、自分には解せなかった。少し強い言い方をすれば、政府や流通への批判を逸らそうとする、消費者への自己責任の押しつけじゃないかと思った。
そんな先回りをしなくても、多くの人は、こんな時だからこそ普通に、当たり前に振舞い、(半ば無意識に)そのことによって他者も、自分自身も支えようとしているように僕には見えた。
テレビで浴びるように繰り返し被災地の惨状を見続けていた人たちは、停電も物不足も、「被災地の辛さを思えば何でもない」と、誰もが自然に感じていると思えた。率先して節電し、義援金や物資を送ろうとした。
病気の方やお年寄りなど、苦しい思いをされた方も多いから、ある意味不謹慎な言い方に成ってしまうかもしれないが、東京も多少なりとも揺れに慌て、輪番停電の不自由や危機感を感じたことは、被災地を「遠くの不幸」として片づけない想像力を持つ上では、むしろ幸運だったと自分は思う。


半面、インターネット、特にツイッターを見るのは、正直強い苦痛を伴った。
地震当日、多くの人たちが帰宅難民になっている様子が呟かれ、施設や店舗を解放し、受入準備をしているとのツイートが散見された。そのうち夜になると、被災地と連絡が付かない家族が情報を求める声や、孤立した避難民の状況を知らせ情報拡散を求めるツイートなども目立ってきた。たった2、300のフォローしかない自分が未確認情報を拡散したところで何になるのかという疑問や迷いを抱えたまま、それでもリツイートせずにはいられなかった。
すると今度は、情報を見かけたら拡散するのではなく、警察に連絡して欲しいとのツイート。けれど、そうした未確認情報を、危急の事態の中で手一杯であるはずの警察に連絡して良いものか判断がつかない…。
デマに惑わされるなと簡単に言うけれど、肝心なことこそ確認しようがないことがほとんどであると痛感した。
特に、日々職場で決まった顔ぶれと顔を合わすということのない自由業で、かつ友人の多くが暮らす高円寺や下北といった単身者の町を離れ、郊外で独りテレビとネットに向き合うしかなかった自分には、この状況は正直かなりこたえた。
ネット環境を持たない単身者のお年寄りは、輪番停電や買い占めの情報が錯綜した時など、町内会といった直接の繋がりや連絡手段が衰えている今、更に辛い思いをされただろうと思う。


原発放射能に対する判断は更に分からない。分からない以上、政府や専門家を信じて、淡々と暮らすしかないと思うが、専門家や有識者の見解がバラバラなので、何を信じていいのかわからない。野菜や水についてもそうだ。「大本営発表を安易に信じて危機感が足りない」という声と「風評を信じて安易に惑わされる利己的な臆病者め」という相反する煽りが乱れ飛ぶが、結局本当のところは判断のしようがない。
「(当面)危険は無い」「しかし気をつけて」という、明言に付随する責任を避ける指示(「自粛」の「要請」って、本当におかしな言葉だ)に対しては、やや警戒心を強くしながら(つまり、被災地近くの野菜をなるべく避けながら)、日常を維持するという選択以外は、結局なかなか取れない(金や人のしがらみに縛られず、自由自在にどこにでも逃げ出せる、特殊な自由人でも無い限りは)。
勿論、確率の低いリスクに過剰に怯えず、買い占めもせず、そうした野菜等を積極的に引き受ける態度の方が、よりまともで尊いことは間違いないだろう。だが、危険や不便を引き受け(或いは家族を巻き込んで)まともさを貫くには、並みで無い意志と覚悟が必要で、安易に、そして脅迫的に他者に迫れることではないとも思う。
或いはどちらの方向にしろ、どんなに賢く妥当なことが言われていたとしても、「ここぞとばかり」「それみたことか」といった傲慢なエゴが透けて見えると、むしろ「あんたに振り回されるくらいなら愚かなままでいい」という気持ちになってしまう。


こうした不安が続く中、少し状況が落ち着いてくると、政府や東電は勿論、それ以上に愚かな誰かの言動や世間(あるいは日本人)一般を貶めることで、自身の相対的な正しさを主張するような振舞いが目立つようになった。
普段からネット、特にツイッターはその性質上、モノローグともダイアローグともつかない、宛先曖昧な当て擦りがどうしても多くなりがちだけれど、こういう時に目にするとどうしても心が冷える。
中でも目立ったのはやはり、「買い占め」に対する批判と、先制防御的な「自粛」批判(あるいは嫌悪)だったと思う。
買い占めについては上にも書いたように、日常が大きく揺らいでいる不安と、現に流通が滞りがちな状況の中では無理からぬ範囲のものだったと思うし、極端なものもほとんど見なかった。ただ、平日昼間に買い物をする自由業の自分には見えていたそうした現場が、例えば、夜半にしか買い物に行けない、仕事を持った単身者(つまり、ネットのヘビーユーザー達)から見えにくかったことは確かだと思う。仕事帰りに立ち寄ったスーパーの棚が突然カラになっていれば、驚きも怒りもするだろうし、その状況を思いごと呟くうちに、不信と風評が増幅されてしまった。


「自粛」批判についても、自分の交際や観測の範囲が偏っているのかもしれないが、(緊急の節電等を除けば)自粛を呼びかける声よりも、先制防御のような自粛批判のツイートの方が何倍も、何十倍も多かった(石原都知事というわかりやすい負のアイコンのために、更に助長されているところもあるだろう)。
この背景には、震災の被害と原発の是非の論議の中で経済が縮小し、消費個人主義が揺るがされてしまうのではないかという怯えが、暗に大きく作用していると自分は見る(文系知識人や予備軍の、厭世的、終末的な気分への傾斜や、ヒステリックな体制批判にもその影が濃いと思う)。
勿論、恥を忍んで言えば、被災地の人々の哀しみや窮状以上に、今後の仕事や生活を心配し始めている。
経済的な影響が、これから徐々に被災地以外にも広がっていく中で、不便への嫌悪と貧しさへの恐怖から復興に向けた熱気も昂っていくだろう。一方、反原発含めて「今までのイケイケどんどんに戻そうとすることが果たして正しいことなのか? 欲と利便性の追求がループになってる状況を見直すべきではないのか?」という立場もある。双方の衝突は激しくなり、世相の混乱は避けられないだろう。
被災地の苦しみを忘れず、同時に自分の中に抱える矛盾や微妙さを押し流してしまわないよう、安全な場所(或いは中途半端な場所)にいる自分の心の動きや、目にした状況を整理して、一度気構えを作りなおす必要を感じた。


知識人などの発言では、「弱者による脅迫」を遠ざけようとするあまり、エキセントリックを嫌い、情念をタブー視しすぎる傾向に普段は反発を感じていた、糸井重里さんや内田樹さんといった人たちの、冷静さと柔らかさを第一に優先しようとする言動に共感することが多かった。
また、都市部のセンスエリートである自己の「感覚」に対する相対化が欠けているのではと、やはり半分の違和感を持ち続けていた中野翠さんの、サンデー毎日の連載での「コンセントリック(同心的)もエキセントリック(偏心的)も一長一短」だが、「今は日本人の同調力のいい部分を生かすべき時だと思っている」という言葉にも、強く共感した。
また、自分たちにとって当たり前の振舞いが、外国の人たちから驚きを持って賞賛されたことも、弱っている時だからこそ嬉しかった。
だからこそ、意思の持続が苦手で、雰囲気に同調しやすいという負の側面を忘れず、自分の都合を全体の都合であるかのように粉飾して、曖昧にごり押すようなことは、重々避けたいと思う。
自他の正直な立場や思いを押し流さないように気をつけて、互いに許し合い、助け合いたい。


知識人や、いわゆる情報強者と言われる人たちの多くは、「分かっている」ことを競い過ぎて(また、自分の誤謬の責任を回避しようとし過ぎて)、「分からないことを前にどう振舞うか」を置き去りにして来た傲慢の負の側面として、不信感をばらまき、混乱を助長させてしまっていた。
ネットの情報の速さと量も、被災地などでは大きな力を発揮したようだけれど、少なくとも東京に居た自分の主観を言えば、振りまわされることばかりが多く、テレビや新聞で最小限の情報を得た場合と、判断と行動は結局大差無かった気がする。きりのないことに対してどこまで粘るか、或いはケリをつけるべきか、判断すること自体の困難に加えて、マイナスの感情に触れ続ける負荷があまりにも大きかった。


もしかしたら、日常目にした静かに気遣い合う人々も、ネットの中で弱さを晒し、姑息な自己主張を繰り返す人々も、実は同一人物ということもあるかもしれない。
普段でもネットというのは、互いの内心が常時丸見えになってしまうから、時々直に会う分にはスルーできる違和が、殊更目立って関係を悪くしてしまう部分があるから、実状よりも強く負の部分を受け取り過ぎているのかもしれない。
或いは、どうしても目立ってしまうそうした振る舞いの影で、敢えて一歩引いて黙っている優しい人たちの方が、本当はずっと多いのかもしれない。
切実な状況と、その中での対立の中で、今後そうした優しいものが、なし崩しに押しつぶされてしまうことがないよう、祈るような気持ちでいる。

武田泰淳の回想する関東大震災の一面

関東大震災の日、大揺れや、揺れ返しや、小刻みの振動が続いたあと、寺の周辺の家々からは、思いがけないほど、沢山の大人や子供があらわれてきた。いつもは姿を見せぬ老人や病人が、はじめて陽の光を受けたようによろめき出てきたり、戸板にかつがれて、眼をつむったまま出てきた。同一の災害のもとに、皆が親しげにしていた。八百屋さんは急に気前がよくなり、店の品物を分かち与えた。誰でもが自分より少しでも気の毒な人を手助けしようとした。口を利いたこともない大人たちは、まるで百年の知己のように語り合った。感じのわるい奴、なじめない奴、よそよそしい奴だったはずの「近所の住民」が、キリスト教的な愛に結ばれた、よき隣人として心が通じ合える。映画「日本沈没」で、ただ一つ不満なのは、突如として発生する災害にさいしては、人間同士が突如として親愛の念を抱き、それを身を持って示すこともあり得ることが描かれていないことである。

武田泰淳『目まいのする散歩』所収「あぶない散歩」より


昨日今日、これに類する光景に、直接、間接にあちこちで触れた。
正誤の情報が錯綜したり、状況把握や対処の上での混乱や衝突を見かけたりもするけれど、根っこのところでは誰もが隣人に良かれと思って動き、多くの人々が粛々と冷静を保って日常を維持している。
被害の少ない地域の人間の呑気な感慨でしかないかもしれないけれど、皆なかなか大したものじゃないかと、ちょっと嬉しくなる。
一瞬の、ごく限られた善意でしかないかもしれないけれど、そうできるうちはこの気分で行きたいね。


目まいのする散歩 (中公文庫)

目まいのする散歩 (中公文庫)

山田太一『遠まわりの雨』

bakuhatugoro2011-02-27



昨年3月に放映された山田太一最新の単発ドラマ『遠まわりの雨』を観た。


蒲田で町工場を経営している岸谷五朗夏川結衣の夫婦。
岸谷は手仕事で金属を自在に加工できる、ヘラ絞りの優秀な職人だが、製造業の衰退で工場はギリギリの経営状態。
そんな時、海外から発注を受ける。これで何とか持ち直すかもしれない。
しかし、喜んだ矢先、岸谷は脳卒中で倒れてしまう。


切羽詰まった夏川は、20年前この工場で岸谷と共に職人をしていた渡辺謙に助けを求める。
彼はかつて岸谷以上の腕を持ち、夏川が結婚する前彼女の恋人でもあった。そこに岸谷が割り込んだ。
結局夏川は、工場の跡取りだった岸谷を選び、渡辺は黙って工場を去った。
渡辺は前橋に移り、へら絞りを続けていたが会社が倒産。お情けで系列のホームセンターに雇われ、慣れない販売をしている。
彼の虚しさを反映してか、家庭も冷えている。
一度は「そんな余裕ない」と断るが、後日、彼は蒲田にやって来る。


夏川と渡辺は、何度か焼けぼっくいに火がつきそうになる。
無理を押して来てくれた彼への感謝の気持ちなのか、それとも互いに下心もあったのか。
本人の中でも不分明。あるいは、どちらでもある。
そんな、どうとでも転がる曖昧さを、いつもギリギリの所で押しとどめるのは、渡辺が口にする「それじゃあ、あんまりだ」。


渡辺と岸谷の再会のシーンが良かった。
旧友であり、仕事でも恋でもライバルだった二人を、ドロドロとさせようとすれば、いくらでもそう描ける。
意地も緊張も無いわけがないし、背景にそれはしっかりと匂わせてもある。
けれど再会した彼らは、拘りない笑顔で笑いあう。


ところが彼は結局、頼りにされていた職人仕事でさえ、若い工員のコンピューター作業に負けてしまう。


腕利きでありながら職を失い、意に染まない生き方をしている渡辺謙をはじめ、良くも悪くもフラットに緩んだ世界で、立ち場と共に誇りや生き甲斐を失っている登場人物たち。
自分を律する支えとなるだけの背景と甲斐を失っている彼だが、だからといって、そんな現在を全否定してしまうほど子供ではないし、冷えているとはいえ、守るべき家族との暮らしも引きずっている。


山田太一は、そうした彼らの揺らぎや欲望を否定して、耐える「古風な男の子」を、ヒロイックに(或いは悲劇的に)描くことはしない。
彼らを、欲望や揺らぎを抱える、弱く生々しい人間として描き、けれどそれを剥きだしにしたり、ずるずると崩れて行く彼らを描くこともしない。
意気地が無いと自分を笑いながら、それでも「それじゃあ、あんまりだ」と、踏みとどまる。


そんな二人に(或いは、同様の現在を生きる視聴者に)、最後の最後、山田太一はささやかな「劇的瞬間」をプレゼントする(そして、これこそが、山田太一が信じ、人生を賭けて追ってきた、ささやかな「ドラマの力」だろう)。
渡辺謙は、それが「今だけ(の演技)」であることを知りつつ、感極まって夏川に「行くな!」と叫ぶ。
見事に演じきり、夏川もそれを涙を流しながら受け止め、二人は劇的な瞬間を完成させる。
(すべてが終わって「今だけだ」と呟く渡辺に、「いい大人が、しょっちゅうやられちゃたまらないよ!」とつっこむ、駅員の柳沢慎吾ちゃんも良い)
渡辺謙には具体的な何ものも残らなかったけれど、ラストシーンの彼は微笑んでいる。

山田太一は、一貫して日常を描きながら、それを逸脱し揺さぶる個人的欲望と、その結果決して幸福になれるわけでもない彼らの右往左往を見つめ、受け止めてきた。その間、日常はどんどん散文的になり、自由(或いはだらしなさ)は拡大し、彼らはどんどん淋しげになった。
彼はそのことに良い、悪いを言わない。「これが現実だ」と主張もしない。
進行形の現在を生きる彼らが孕む危うさと、恥ずかしい揺れに踏み込みながら、それを最後は肯定する。
けれど、それはただ「ありのままに」現実をなぞり、「なし崩しに」受け入れると言うことでもない。
彼は常に「何が良いことなのか」を考え続けることを軸にした書き手であり、同時にその正しさを常に疑い、相対化し続け、そこで起こる葛藤そのものをドラマの軸に置いてきた。
それは常に不安定で頼りなかったけれど、良くも悪くも「オヤジ」に成りきることなく、粘り強くこの姿勢に拘り続けた振れ幅が、彼の深みと説得力になっている。
何か(例えば大きな体験的実感や、自我形成期に刻まれた思想)を認識の足がかりにしなければ生きていけないことを認めつつ、無意識にそれに開き直ってしまうことを疑い続ける(疑いきれるものではないという自覚も、一方に持ちながら)。曖昧や不確かを見つめるけれど、かといって決して厭世的にもならず、ニヒリズムを結論にもしない。
こういう書き手は、実は希有だと思う。


この作品は、「頼りなく生々しい不安定」を引き受け、肯定してきた彼が、内なる「昔の男の子」がギリギリのところで控えめに発する「それじゃああんまりだ」を軸に、そのキャリアの最後に彼なりに示した現在の『東京物語』なのではないか?と思った。
日常がいつでも逸脱し、簡単に崩せてしまうものになった、今だからこそ。

山田太一ドラマスペシャル 遠まわりの雨 [DVD]

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