『ばらの坂道』ジョージ秋山


『ばらの坂道』を、とうとう読むことが出来た。
70年代初頭のジョージ秋山が『アシュラ』『銭ゲバ』と問題作を連発し、メタフィクション的な『告白』を最後に突然マンガ家を引退、失踪した数ヵ月後、発表された復帰作。
何としても読みたいと思いながら、現在では差別表現とされる単語が多用されている関係で復刊は困難と言われ、全3巻で最低でも2〜3万の古書価格。恥ずかしながら、なかなか手が出なかった。
大西祥平さんと青林工藝舎さんには本当に感謝。


遺伝性の狂気を持つ母と、優しいが気弱でだらしなく、妻子から逃げ他の女の元に去った父の間に生まれるという、大きな業と哀しみを背負った少年の物語。
彼は抱える哀しみの大きさ故に、「誰もが平等な理想の村を作る」という、大きな仕事を成し遂げようとする。
が、自分に纏わる人々の哀しみをやり過ごすことができず、達観して自分の仕事に打ち込むことができない。

こどもならだいてやるか
女ならキスをしてやるか
こじきなら金をめぐんでやるか


そんなものは愛でもなんでもありゃせん


かわいい女ならわしだってキスするぞい
こどもがかわいければだれだって抱くわいな


根本的な不平等。拭いようのない人の業。
答えの出ない問いかけ。
見つめれば見つめるだけ(付き合えば付き合うだけ)、人生が暗くなる。
だからこそ大人は、そうしたキリのない問いを「青臭い」と遠ざけて、保留する構えを覚えていく。
人の怖さを知っているからこそ、必死に繋がりを築いて、それを大切に生きて行く。
けれど、現在のような事態を迎えた時、誰もが本当にそれに向き合い乗り越えてきたわけでも、達観しているわけでもないことが露わになる。日常を支えていたものが不安定になると、それまでは「こういうもの」と呑みこんで、水面下に隠れていた各々の立場の差、欲や保身といったものが丸見えになって、後ろめたさや恥ずかしさ、それが反転した自己正当化や責任転嫁の暗闘にギスギスしたりもする。


突き詰めたところで解決はないから、真面目に向き合うだけではいつか必ず煮詰まる。
かといって、ここをスルーして語る希望は、本当はすべて欺瞞だ。
零れ落ちるものを「無いこと」にする共通の、暗黙の酷薄さに、平穏はいつも支えられている。
この、根本的な業から無傷な人間など、地上には一人もいない。


この世の理不尽な裂け目と、それを生み続ける人の業を暴き、怒りと哀しみを叩きつけた『アシュラ』『銭ゲバ』の後、本作はそれを越える宗教的な境地を目指し、描こうとするかと思いきや、あっさり挫折と無常を放り出す。
けれど、そこには人の根本的な孤独を受け止める優しさが滲む。
作品としての完成度とか、整合的な構成を捨てででも、とにかく直感と思いを刻みつけていくスピードと体力が羨ましい。
数本の連載を掛け持ちしていた超多忙の影響もあるのだろうけれど、勿体ぶった傑作意識皆無なために、作者の自意識を超えて、肝の部分が却ってストレートに伝わる。
小さな者たちの涙と美しさを描いた『花のよたろう』や、人のつまらなさ、愚かさをすべて呑み込もうとしたかの(当然、呑みこみきれる訳もないし、ケリもつかない)、後年の『捨てがたき人々』などの傑作群を、また読み返したくなった。


人間、辛い時には希望や善意を信じ、頼りたくなる。
限られた善意を信じ、出来る範囲で発揮することは、決して間違っていない。
けれど、度が過ぎた不幸を前にすると、人は遠ざかるし、期待は絶望や厭世に反転する。一見救いの無い作品だけれど、そこを受け止め見つめていることに救いがある。
「怒りを代行してくれるピカレスクヒーロー」「人肉食などのスキャンダラスな残酷」といった攻撃的で俗っぽい要素が薄く、それを超える意志や善意(の無常、儚さ)と言った、辛くて地味な営為がテーマだから、一般的な意味での刺激や面白さを求める読者への吸引力は、やや弱いかもしれないが、実は、今こそ読まれるべき作品だと思う。


外に悪を作り、自分を相対的な善に置くことに縋る安易な欺瞞を直視し、遠ざけて、根本的な孤独を引き受けながら、互いに向き合う強さを持つためにも。

あなたは愛すること 愛されることどちらがすきですか
わたしは両ほう わたしはよくばりかしら


わたしの場合 愛するのも愛されるのもすきではありません 
苦しむのがいやだから 苦しむのがつらいから


そうですわたしはなまけもの
そうですわたしはなまけもの


ばらの坂道 上 (ジョージ秋山捨てがたき選集 第 7)

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ばらの坂道(下) (ジョージ秋山捨てがたき選集第8巻)

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告白 (傑作未刊行作品集 (004))

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捨てがたき人々 (1) オンデマンド版 [コミック]

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