臆病な怠け者たちの傷つきました戦争

とあるバンドのライブ画像を見て、彼等を鏡に現在の人や世の中がほとほと嫌になってしまうような、うんざりした気持ちになっている。
無名のアマチュアバンドだし、特定の誰かを攻撃したいわけでは無いから、名前は伏せたい。
彼等のような人たちにぶつかる度にいつも困ってしまうのは、日陰の可哀想な立場にあるらしいのに、どうにも自分には可愛気が無く思えて、同情より嫌悪感が先に立ってしまうことだ。
彼等は、自分では少数派で不遇で不器用で、他者や世の中に抑圧されていると思っているようだし、実際その通りでもあるのだろうけれど、一方僕の目には、今の世の中に彼のような人は物凄くありふれていて、むしろ多数になっているんじゃないかとも見える。
自分たち以外の世間一般、人間一般に向けて、捨て台詞のように被害者意識を吐き捨てるけれど、本当は彼等は一方的な被害者でも少数派でもなく、同じような不遇や不満を感じている者同士で、遠巻きに互いを嫌いあっているんじゃないか。
もしそうではなく、具体的に嫌だと思っている対象がいるのなら、相手に届くように表現する努力をするべきなんじゃないか。
彼等は実は、言葉も理屈も知識も音も充分に器用で巧みな、或る意味でとても恵まれた若者だと思う。そして、結構屈託なく普通に見えるお客さんたちが、彼等の捨て台詞のように閉じた曲を聴いて、笑ったり「最高!」なんて声が飛んだりしている。これも僕には解せない。当たり前に生きている人ならば、あんなネガティブな世界観、人間観を、偉そうに歌われたら、何とか日々の生活の耐えて生きていることを、ひとり合点でバカにされているような無礼に腹が立って当たり前だろう。少なくとも僕自身は本当にうんざりし、腹が立っている。
だから、周りの友達はちゃんと怒って、彼にそれを伝えるべきじゃないかとも思う。彼と声を合わせて歌ってる場合じゃないだろう!?と思う。
僕は若い知り合いがいないから本当のところはわかっていないかもしれないけれど、少なくともネットなどにはこういう言葉が、ごくありきたりに溢れかえっている。
昔ならば、イケイケな羽振りよく横暴な連中の方が目立っていて、地味で日陰にいる者がこういう捨て台詞を吐いても、まあ仕方ないかなとも思えた。今ももしそうならば、むしろ彼等の力になりたいと思う。しかし僕には、彼等のような立場や態度に対して、今の世の中の理解や共感が足りていないとはまったく思えないのだ。そうではなく、彼ら自身が、隣人である互いを面倒に思い拒絶して、捨て台詞を吐き合っているだけなのではないか。だから、彼等一人一人は一向に大切にされないし、救われない。
少なくとも、こういうネガティブな言いっぱなしは、既に飽和状態なのだから、もっと自分の気持ちや、不満な相手を深く知り、掘り下げて鮮明にしないと、いったいわざわざ何のために歌っているのかわからないじゃないか。それとも実のところは、ぬるま湯の内輪にそこそこ満足してしまっているのか。そのままでは、ただ不愉快に埋没して、構成要素として加わっているだけなんじゃないか?それでいいのか?と思う。
面倒に聞こえるかもしれないけれど、面倒をひたすら嫌って消そうとして、便利に慣れすぎて何にも耐えられなり、それが為に不幸に耐える自力を失って、不幸な意識に苛まれて、相手の目を見ずに苦情や皮肉ばかりぶつけあっているのが、今という時代なんじゃないか?と思う。
少なくとも、人畜無害な被害者のつもりの君の言葉と音に、通り魔に合ったように不愉快に感じている人間が、現にここに1人いるぞ!と伝えたい。

それにしてもロックは、いつの間にこんな、いじけたしみったれの吹き溜まりのような、恰好悪いものになってしまったのかと、浦島太郎のような気持ちだ。