値段の付かないかけがえない体験を

「スタンドに車をおいて、私は歩いて買物をする。八百屋にいると、遅々として動かぬ車の列から男が三人降りてきて「めんどくさい。ここでぶどう買ったって同じだ。五箱くれ」といっている。「ここで買って東京へ帰ろう。いつになったら勝沼まで行けるか判りゃしないぜ。まだ遠そうだぜ。夜になってぶどう狩りしたって面白くもねえ」「東京のキャバレーに行くか。ウルワシか?千姫御殿か?」「千姫御殿にぶどうが下がってたぞ」。そんなことを言いながら車に戻って行く。食堂の前でとまってしまっているマイクロバスの窓からは、手を出していなりずしを買っている。
車の列の間を歩くと息苦しいので、横町の道を選んで歩く。畑の間に小さな駄菓子屋がある。ブリキの金魚三個八十円、ビー玉百個百円、ロケット風船十円、しゃぼん玉二十円。ブリキの金魚は、ずっと昔からの売れ残りらしく、一個は二十円にまけてくれる。少し錆びている。いまは、プラスチックの玩具ばかりになったから、ブリキの金魚は売れなかったのだろう。背中に、藻だの、ほかの魚だの、水の流れだの、金魚の棲んでいる世界のすべてがごちゃごちゃと描きこんである。いつ見ても気が遠くなるような面白さだ。懐かしい」
武田百合子富士日記

コレクター的な(カタログ的価格に還元されてしまう)価値観とは対局、無縁の、値段の付かない幸福。
僕も、地図を持たない迷子の散歩のように、体験としての読書を楽しみ続けていきたい。