色川武大「一歩後退、ニ歩前進ーーの章」より

「ストリップというやつがあるね。はじめは日本では「額縁ショー」とかいって、裸の女の子が有名な絵画に似せたポーズで、三分間立っているだけだった。それでも人々はびっくりし昂奮して大入り満員だったね。でも、同じことをやっているとすぐにあきるからね。もうすこし刺激のつよいものを見たくなる。
それで見せるがわも、いろいろ考えて工夫するからね。一枚ずつ衣装を脱いでいくストリップティーズとか、大きな扇を二枚持って股関をかくして踊るファンダンスとか、アクロバティックにしたり、生きた蛇をからませてグロテスクにしたり、つまり進歩発達していったわけだね。
それでどこかで止まればいいけれども、どんな刺激だってくりかえしていればなれるから、次から次へと新工夫をしなければならない。そのうち容易なことでは見る方が満足しなくなってくるから、刺激の自転車操業みたいになっちゃうんだな。
ついには現在のように、ショーの限界をこえて、天狗ショーとか、生板ショーとか、行きつくところまで行ってしまう。それでもうこれ以上やることがなくなってしまって、終わりだ。
これは前回に記した進歩発達が原因して、滅びに至る図式だね。
ストリップの例は、典型的なワンサイクルで終わってしまう例なんだね。
ワンサイクルというのは、なんにでもいえるよ。生まれて、育って、花を咲かせて、衰えて、死ぬ。これ、ワンサイクルだね。昔流にいうと、起承転結(ことが起きて、これが展開し、転々とした末に、終わる)だね。(…)
とにかく、ワンサイクルで終わったんでは駄目なんだな。物事というのは自然のエネルギーにまかせると、あっというまに終わっちまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない。
人間なんて、もう衰退期に入っている生き物だから、進歩だけを考えたらあッというまに破滅だよ。
調子に乗って、十五戦十五勝なんて、狙っちゃ駄目だ。破滅をひきよせているようなものさ」
色川武大「一歩後退、ニ歩前進ーーの章」