警戒すべきは瀕死の土着性などではなく観念的集団の暴走

今、一見にわかに右傾化(実は左傾化も)が目立つようになっているのは、旧来の家族とか、いわゆる体育会系とか会社世間の縦社会と云われるような土着的な共同性が強まったり復活したりしているからなどでなく、寧ろ逆だと思う。
消費やサービスを媒介に、贈与五州や共同作業で繋がるリアルな共同体が失われ、人々が砂粒のような独りになったところに、経済不安がやってきた。それを更なる合理主義で乗り切ろうとする一方、これによって更に破壊される人の共同性を、政府が目くらましのように宣伝する空疎なナショナリズムや、裏表の人々の内心が伴わない急進的なウォーキズムによる、いずれにせよ観念的心理的な結束が代替している。日常の中の実や留保を伴わないこうした繋がりは、容易に全体的主義的な様相を見せる。現在、真に警戒すべきなのは、瀕死の土着性などではなく、こうした不安な根無し草たちの観念性の暴走ではないのか。