そらぞらしく虚しい日々。質量の失われた日々。

吉祥寺のディスクユニオンへ散歩に行き、ウォーレン・ジヴォンの未知の1stアルバムの中古CDを1枚だけ購入。階下のアップリンクを覗くと、公開したばかりのシン・仮面ライダーに意外と人が入っていない。自分も、ウルトラマン仮面ライダーもたっぷりお世話になった世代なのだが、自分の中のブームの周期とかみ合わなかったのか、食指が動かない。
去年は、少し前までは想像出来なかったような酷い事件が立て続けに起こったし、水面下のネットでは人の内心の阿鼻叫喚が丸見えなのに、世の中の表面はポリコレだのコンプライアンスだのでツルッとしている。快楽も露悪も敷居が下がり手軽になり過ぎて、逆にすべてに擦れてしまったような、ハレもケも日常も非日常も無くなったような、空々しさを感じる。

新刊書店に並ぶ本のタイトルが、媚びたり押し付けがましかったり、どれもこれもネタツイートのようにわざとらしく、煩く淀んだ気持ちになる。

とはいえ、みんな本当は一回性の人生を生きているのだから、未知で新鮮な今を必死で生きている若い人に、シラケた気分を押し付けたくないのだが。
自分も、独自の関心を持続させ、深めたり広げたりしながら結構楽しく生きている。しかし、何だか肝心なことが足りないような、誤魔化しているような、ぼやけたまま過ぎてしまっているような空回りや虚しさが、何故か消えない。それが個人的な主観から出た感じ過ぎなのか、もっと普遍的なものだと考えるべきなのかも、俯瞰と内省が共にぼやけてよくわからない。