歩兵のように

「自分たちは歩兵のような消耗品だ」
世の中の多くの人はいつも、気持ちの深いところではそれをわかっていて、意識の底に沈めて、無事な今日をそれなりに生きてるんだと思う。
自分のように、変にこだわってしまうちょっとおかしな奴以外は。

 

目の前の不正や理不尽を我慢ならなくて、変えたいと夢見ると、望みの高さだけ軋轢が増して生き難くなる。望みが叶ったとしても、楽な状態に慣れてそれが当たり前になってしまうと、結果生きる力は弱まって、根源的な不幸に耐える力が失われてしまう。だから、望むことが良いことだと言うのは無責任な気がするし、かといって望なと言うのも酷だと思う。結局、行ったり来たりを繰り返しながら、なるべく負を少なくし、終末を先延ばしするようバランスを気にしてやっていくより無い。
こういうことに迷って、疲れて、身動き出来ないような気持ちになると、『笛吹川』を読み返したくなる。