記憶の行間と武田百合子さん

「ゴミを棄てる人におねがい。ビニールプラスチックは月曜だけ。火木土は台所のゴミです。きまりを守らぬ人は出すべからず。ビニール袋に入れて出してはいけない!!それから、エスを出した人、至急持ち帰る事!!」あんまり腹を立てたので、イをエとお国訛り通りに書いてしまったのだ。赤いマジックインキで書いたベニア板が、うちの前の坂の途中、ごみ置場に貼ってある。貼ってある下には、肘掛椅子が雨にあたってふくらみきっている。そこを左に曲がった路地は、靴墨のようにいつも地面が湿り気を帯びている。路地の住人が、めいめい好き勝手に植えた沈丁花あじさい、たちあおい、ひまわりが代る代る開く。毎年同じ場所に、大男三人位うずくまったほどの嵩にひろがって咲くおしろい花の茂みの下には、夏の夜、あちこちから猫が集まってきて涼む。人がきかかると、近まの闇へさっと四散し、通り過ぎるのを窺い待つ」
武田百合子「四季私の赤坂」


上京してから、散歩中見かける小さな家々の軒先や窓辺に、緑の鉢植えが並べられているのを楽しく眺めるようになった。地元は田舎で、周囲ぐるりが山や田んぼばかりで、自然や緑を良いなんて思ったこともなかった。むしろ緑に閉じ込められているような息苦しさしか無かった。都会のモダンに開けた開放感の中で、公園や家々の小さな緑を、初めて魅力的な彩りと感じた。
当時は、6、70年代に建てられた、いい感じに古びたモダンなデザインの小さなアパートやマンションがあちこちに残っていて、若い人たちが毎日お祭りのように暮らしている気配が感じられた。当時の自分はとにかく金が無く、もう少し楽になったらそんな世界に混じりたいと憧れていた。実際に混じってしまうと、生活の重量の不足に、おそらくは齟齬や違和も感じたろうと思うが、散歩の途中に眺めて憧れているのは楽しかった。
今ほどゴミ出しなどに五月蝿くなくて、建て物の前にガラクタ類が置きっぱなしになっていたりしたが、それもまた雑然とした賑やかさを感じさせた。
なかなか思い出すことのないそんな日常の行間の風景や気分が、武田百合子さんの文章を読んでいると、ふと鮮明に浮かび上がってくる。