ウォーキズムとキャンセルカルチャーの蔓延による苦境についてのメモ

どうも、自分の状況がいよいよ煮詰まってきているので、うまく書けるかどうかわからないが、できるだけ状況を整理してみようと思う。
コロナ禍や経済的な下降による不安な世情、そしてウォーキズムやポリコレの流行のため、それまでたとえばカトリックプロテスタントの二派くらいで何となく緩くまとまっていたのが、そうした緩さを許す余裕が無くなると共に、過激な新宗教に分裂して乱立するように、善悪価値観をきっぱりさせ、同時に他罰的でピリピリした空気になり、それについて行けない人たちはより注意深く黙り込んで保身を計るようになっている気がする。
もともと僕が自我形成した思春期というのは、校内暴力の全盛期。陰湿で酷いいじめや、その矢面に立つのが嫌でひたすら保身する酷薄さのようなものも学校の中には蔓延していた。そうした陰湿な集団的人間関係からとにかくおさらばしたくて、上京しフリーの文筆の道に進んだのだが、自分をかつて取り巻いていたような集団の中で、その陰湿さや野蛮に順応できない、かといってそれに逆らったり遠ざけたりするような言葉も力を持たなないかつての自分のような人々に、何らかの支えになるような価値観や生き方を用意することが、自分の大きな執筆動機の一つになっていた。それは今も、基本的に変わらない。
文筆の世界に入ると、いわゆる左翼的というのか、進歩派というのか、そうした集団の力学から自分はまったく無関係に独立しているかのように、きっぱりと正義を口にする人たちというのが、この世界の圧倒的多数派だった。いや、正確には、当時はまだバブル後の浮かれ気分が続いていた世相だったから、そんなことを考えるのは暗いし、もっと現実的にウケて儲けろというのが、もう一つの多数派だった。僕は、楽しく儲けるという動機は殆ど持っていなかったから、後者にはまったく馴染めず、かといって前者の左翼的正義というのも、子供の頃の自分が生きていたような生々しい集団の力学の中で現実的な救いになるものだとは、まったく信じることはできなかった。だから僕は、どちら寄りの現場でも、そうした集団に深く馴染むことができず、常に外様の単騎としてニッチな下積み仕事を細々とこなしつつ、ずっと自分のテーマを考え続けてきた。それは、あまり歓迎されることは無かったけれど、まあ中にはこういう変わり種もいてもいいかという程度にゆるされて、細々と断続的にだけれど、なんとか場所を維持してきた。
それがここにきて、それぞれの派閥の価値観が頑なになると共に、それに添わない僕のような存在が、まったく許されなくなってしまった。だから当然、経済的にも困窮する。困窮したって、世に添わないお前の自己責任だろうと(あるいは、どうしてお前はみんなと一緒に怒らないのか!というところか)、周囲は誰も冷たいものだ。けれど、こうした極端な同調を迫るような空気に逆らい、距離を取るために、何が善きことかを考え続けてきたのだから、そんな軽薄な極端さに従うわけにはいかない。それに、こういう時にどう考え自分を支えるかを、仲間や後輩に伝えることを目標にずっと力を尽くしてきたのだ。今こそ、それを役立てる時だとも思った。しかし、それはまったく拒否され黙殺されており、そればかりかプライベートな友人たちの殆ども失っている。読書や文化、思想になまじっか積極的な関心がある者ほど、左翼、リベラル的な正義に頑なで、結果それにはっきりと疑義を呈する者に対して当然のように容赦なく排他的になる。

しかし、これも当然というか、彼等が実際にそうした価値観に準拠して生きているわけではない。
今回、僕が軋轢を感じている、映画秘宝パワハラ体質などにも象徴的だが、集団的な力関係や陰湿さは、僕がかつて田舎の世間やいじめの教室で感じていた力学とまったく変わるところがない。しかし、そんな彼等はただ権力批判をしたり、ポリコレに準拠した言説をしているだけで、反体制やリベラルの代表のような顔をし、実際そう評価されてもいる。僕から見れば、彼等のあり方こそが、社会問題(世間問題か?)そのものなのだが。なのに、却って被害者(彼等にとって不都合な弱者)の方が黙殺され、圧力をかけられている始末だ。しかし、それに怒りを感じ、口にすると、僕の方が、リベラルやポリコレへの準拠を建て前としては正義としている世の大多数の人々から、迷惑がられたり、黙殺されたりしている。
あるいは僕が、ずっと組織や集団に属さず、ニッチな場所でなんとかやってこられてしまっていた為に、忘れてしまっていたのかもしれない。多くの組織や一般企業と同様に、僕らの文筆業界も、文化的世界とされるこの場所も、あの陰湿な世間や教室と、まったく変わりのない地続きだったということを。だから、ことを荒立てるようなことを言う僕は、あらゆる人にとって、目障りで迷惑だということを。
それに逆らって、人々を組織し、扇動し、彼等を糾弾することによって、人々の倫理が向上したり、社会が良くなったりするとは、僕はまったく信じていない。また無思慮で無責任な群集や、正義の看板を衣替えしただけの、新たな暴力と権力を再生産するだけだ。
僕の性格では、本当に難しく、ほとんど不可能なことに思えるが、あのいじめの教室と同じように、僕はもっともっと慎重に、巧妙にやっていかなければならないのだと思う。
どんな場所や立場であれ、こうした陰湿な世間に埋没する生き方そのものは、僕らの中から容易く消えることなど無いと自覚して、少しでも距離を取り自立し、かつそこで苦しむ人々を援助できるような生き方の模索を、一人一人に向けて書いていきたい。
しかし、僕のような無名でかつ何の権威も持たない者が素手で書き続けて、果たしてわずかでも読まれていくことが、本当に可能なのだろうか。今のところ友人、知人たち(では、もう無いのだろうな…)の無視、黙殺や、この場も含めた無反応が現実を示している。
正直、自信が揺らいでいるが、今はまだ何とか踏み留まっている。

 

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