サルマタの山と学校の机の中

友達と『男おいどん』の話をしていて、「おいどんはあんなに貧乏しているのに、どうしてサルマタ(縞パン)を洗わず百枚以上も溜め込んでしまうのか、お金が勿体ないと子供の頃から不思議だった」と大変尤もな感想を聞き、当たり前のように共感していた自分に慣れすぎていた気がして、ちょっと考えてしまった。
男やもめに蛆が湧くとはよくいうけれど、ずっと独り暮らししていても、小ざっぱり片付いた生活をしている人もいる。
子供の頃、小学校の机の中をプリント類や、乾いてカパカパになった給食パンの食べ残しやらでゴミ溜めのようにしてしまう癖が、どうしても治らなくて困っていた。点数の悪いテストの答案を親に見せたくなくて、机に隠していたことから始まった癖のように思っていたが、それだけでは他のプリント類やパンまで何もかも溜め込んでしまうのか、自分でも説明がつかない。それに、特にテストなどの隠し事があるとも思えない級友の中にも、同様の癖のある子が何人かいた。何度も教師から叱られて、意地の悪いクラスメイトに見せしめのように机をひっくり返されたり、酷く恥ずかしい思いを繰り返しても、自分でもだらしなさに苛立っていても、どうしても治らない。理由を考えればいろいろこじつけは出来るだろうし、今時なら適当な病名も付くのかもしれないが、それに納得してしまうのも、何となく安易で怪しい気がする。
うじうじと長い時間をかけて、ともかくどうにもだらしなくむらっ気で、片付かない性分なんだなと納得してしまっている。