8月の光 2

都市部ではもうずっと当たり前のことだと思うが、今回の伯母の葬儀は通夜から斎場を借りて行ったので、傍目にもかなり楽になったなと思う。
数年前、実家で親族の葬式を出した時には、経済的な都合もあって、自宅と近所の公民館を借りてやったから大変だった。
花や果物が何個くらいないと世間体が悪いとか、それを誰の店で買ってあげなきゃいけないとか、初七日を一度にやってしまうが当日葬儀との時間をどのくらいあけるかとか、挨拶周りは翌日の夜に終わらせるとか、地域の細かい風習や決まりごとが分からず、口を出す船頭ばかりが増えていく上に、親戚と近所の常識もずれていたりして煩雑で仕方が無かった。
子供も減り、商店街もほとんど消えかかっているので、ご近所との普段の行き来が少なくなっている上、自分の両親はもともとあまり地元に根付けていないこともあって、細かい事情がはっきりしない。
行き来が減って関係は形ばかりになっている割に、狭い町だから全員が顔見知りという状態なので、浮いた人間としては関係が薄い分却って気ばかり使って神経を尖らせ、そんな彼らの傍にいるだけで自分も酷く消耗した。
正直、とても純粋に故人を偲ぶどころじゃないし、多少金はかかっても、次に自分が誰かの葬式を出すような時は絶対に斎場でやろうと心に決めた。



父方の実家は瀬戸内の離島の出なので、こちらも10年ちょっと前の祖父の葬儀は自宅だったが、何年か前から一律に斎場を借りることになったらしい。こちらはより小さくて密な社会なので、却ってこうした一律の変化がスムーズな部分があるようにも見える。
田舎は概して結婚が早いので、久しぶりに会った年長の従兄弟の子供達が高校生や中学生になっていて、彼らを目の前にすると自分がここでだけ一遍に年を取ったようで落ち着かない。彼らは揃ってシャギーっぽく立てた髪に揉み上げを伸ばしたオダギリジョーのような風体だし、女の子はモロにギャル。その辺は今の子だなと思ったが、それがその場で浮いているかというとそんなことは全く無い。厚ぼったいまぶたに短髪で煙草をスパスパ吸っている昔の笠原和夫のような面構えのおじさんや、普段は手ぬぐいで頬かむりしてみかん畑に立っているだろう、日焼けしたおばさんたちは、「若い時はみんな色気づくもんだよ」ってふうで、まったく気に止める様子もない。
ここに混じるとあいかわらず、自分達の方が上品ぶって浮き上がっているように感じられる。かといって、今更表面だけ取り繕って田舎っぽいなれなれしさを装うのもわざとらしいので、浮き上がり方をそのまま受け入れるしかない。



そうしたおじさん、おばさん達が並んでいることもあって、斎場に流れるこれ見よがしに悲しげなピアノ曲や、司会者の余計なナレーションが尚更浮き上がり、空々しく聞こえて仕方がない。
喪主の叔父は亀田のオヤジのような風体の、押し出しが強くて声のでかい、近所の仕切り役のような人だが、斎場の段取りに緊張したのか、挨拶は公式的で棒読みっぽい不器用なものだった(その辺は都会の人の方が、ずっとこなれていてうまく感情を込めたスピーチをやる人が多いと思う)。



おばさん達の中の何人かが、「姉さんは可哀相じゃったのう。わしらもほんまにお世話になったのに、何もできんで...」「気を落とさんように頑張っての」と、父親の手を握って涙を流している。社交辞令っぽい空々しさはまったくなく、むしろ島を出てから長い父親の方が、うしろめたさと感情の温度差に戸惑ってぎこちなくなっている。
おばさんたちの言動のシンプルな力強さがまぶしい。



自分のような人間は、こうした濃密な世間の中に入ると、単純にその中の落ち零れと位置づけられてしまうので、子供の頃から何とか自分はそれとは別の場所、別の基準で生きていると意地を張り、アピールしようとしてきた。今でも実際に顔を合わせてしまえば先方はこちらをそう扱うから、結局今でもそうした緊張は無くならない。
ただ、そういう意識のある自分はまだましで、浮き上がったまま外の別の基準に沿うこともできないままで来た両親はもっとキツいと思う。状況の変転に対して受身に、懸命に適応し、かといって家や故郷を断ち切ることもしなかった結果、うしろめたいまま孤立し、しかし形だけは取り繕わなければならず、かといって今更彼らの中に入ることなど出来ない。
今からそうした意識を断ち切って、新しいどこかに属すことも現実的に難しい。
自分にも、それを用意するだけの甲斐性は、今のところ到底無い。
「誰にみられることもなく 誰に語ることもできず ただ忘れら去られるだけ」
玉砕することができず一時撤退し、けれど一度生き延びてしまうともう一度自ら死地に飛び込むことは出来ずに、ただ本部からの命令を待って日々を埋めていく『総員 玉砕せよ!』の現場士官たちを思い出す。