個人も社会も曖昧にぼやけている

人の動機には、まず直接に深く関係した他者や現場への感情が大きく作用するものだと思うが、ネットでの関係や世論、感情との二重生活になっているから、どちらをどの程度本当と考えたらいいかの判断が誰にもつきにくい。互いに影を落としあっているはすの、個人と社会の両方がどんどん曖昧にぼやけているから、僕自身も、しょっちゅうよくわからなくなっている。
足場や拠り所を強く持って生きたいが、見えていない気配が多過ぎで錯覚するのが怖くなる。錯覚でも、それが自分が深く体重をかけ、支えてきたものだという、思い切りや断念がなかなか付かない。