深沢七郎×大江健三郎対談のメモと感想

深沢「なぁーんにも思想のない小説を書きたいなあ。恋をしていても、好きとかきらいとかを、とっちゃうと、どうなりますかねえ、思想をとると」
大江「イギリスの作家のユーモアにはそういう傾向のがあるようですね」
深沢「スカーッとしていいんじゃないかなあ。このごろの若い人、そんなとこあるんじゃないですか。
札幌にいたとき若い人が員数を合わせるのが、とってもよかった」
大江「といいますと」
深沢「デートするとき、こちらが一人なのに、向こうが二人のときってあるでしょ。そうすると、こっちのほうでもう一人探して数をそろえるわけですよ」
大江「サッカーの試合みたいですね」
深沢「「きょうは苦労しちゃったなあ、員数を合わせるのに…」って。だから名前なんかおぼえていないの、てんで。「おい、どこどこのバーの前で会った青いシャツのスケ」とかいってね。符合なんですね。これだけ進歩しているんですね。いつも同じことばかりいう人がいたけど、気ちがいみたいな、気の毒なような…。恋をしている人は、当人は楽しんでるんだろうけど、はたでみていると、熱病的というか、発病している感じですね」


大江「ところで、ご結婚はなさいませんか」
深沢「もう、もう…。子孫をふやすのはわずらいを残すばっかりでね」
大江「はあ」
深沢「いつか武田(泰淳)先生、政宗(白鳥)先生と三人で映画みたあと、僕が東京の人口は五十人でいいんじゃないですか、っていったら正宗先生、「少なすぎるよ」「じゃ、五百人ぐらいでは」…「太田道灌のころでもそれよりはるかに多かったよ」というようなことを話し合ったんですけど、五十人ぐらいだったら、のんびりして、いいんだけどなあ。タマシイをふやす人ばっかり多くて…」
大江「はあ」
深沢「この間も雑誌社の人が、こんどの戦争で世界中で四千万人も死んだんだよって話したから、たったそれだけだったかしら。(笑)二億か三億ぐらい減らさなきゃ減ったと思わないのにといったんですが」
大江「東京の人口が五十人じゃ、水道の管理なんかだけで手いっぱいでしょうね。(笑)」
深沢「そういう意味ではね。ウェスタン映画をみていて、ぼうーっとした大平原がでてくると、ここにも人間がいつか住みこむのかなァって思っちゃう。(笑)だいたいねえ、人間が減っちゃ困るという人は、悪魔ですよ、あくどい金もうけをする…とかね。だから、これからは、他人と話すときは「人間が減っちゃ困る」という人とは交際しないことにしてるんです。(笑)」
「「思想のない小説」論議大江健三郎×深沢七郎

今の世相や人々の発想と、深沢七郎の言葉は、本当に真逆だとあらためて思った。今は、みんな生きる意味とか、所与の権利を信じて疑わまいとして、失うまいと主張して、却ってギスギス窮屈になったりしらじらしくなったりしているけれど、深沢七郎は、そんなものは人間の都合でしかないおはなしだと、にべもなく突き放してしまう。これを軽薄な思想を嫌う彼の演技だったのでは?と疑う向きもあるが、挑発もいくらか混じっていたとしても、どこか心身や生き方の奥底から染み付いているものでないと、あんな人を食った迫力は生まれないだろう。
この世の意味とか価値とか、平等とか人権なんか無いという怖いむき出しを、明るくあけすけに語ってしまう。
今後の可能性にしがみつくのに必死だった若い頃は、冷水かけられるようでとにかく怖いし、自分との距離も甚だしいから、どこか括弧にくくって背伸びして読んでいたけれど、かなり(否応なく)人生にケリがついてきている今の年齢で読むと、彼の突き放しきった世界に、いつか自然に解放感を感じるようになっている。
水膨れの欲にしがみつき、小うるさくギスギスしている現在を突き放して風通しよくする解毒剤として、自分には実によく効いた。