贅沢病のお客さん達の不幸

反米か親米かとか、グローバリズムの支持、不支持というのは、本当は多くの庶民がそのこと自体を選んでいるわけではないと思う。一人一人が何より嫌で避けるのは、「自分が」事を荒立てたり、浮き上がったりしてしまうことだから。現状を維持したい、失いたくないという気持ちは強いけれど、(特に自分の所属する)世間の顔色や、時流の潮目を伺うという形でしか動けない。現に、日本社会においては、これが最も実際的な適応の仕方だし、リアルに損得にも繋がっているのも事実だから。誰も理念や自主的倫理で生きてはいない。
特に今は世間のあり方が抽象的になっているから、メディア内の空中戦で空気を操るイメージ戦争の様相になるし、軽薄にもなるし、自信なくますます優柔不断にもなる。

今、人々の水面下(ネットでの政治や道徳についての言説など)が阿鼻叫喚の様相を呈しているのは、メディアで発信される情報や物語が多様になり過ぎて、自分を預ける安心、安定が得られないから。贅沢病のお客さんの悲鳴とクレームみたいなものだと思っている。

未知の運命や、自分の生き方についての覚悟が決まらない(決めなくて済んだ年月が長すぎた)。それが今の各々の最大の不幸でしょう。