逞しさとダンディズムに裏打ちされた優しさを

自分はどこまでも考えや見通しというものが甘いのかもしれないが、人心というのはどうしてこう予想を超えて低きに流れてしまうものなのか。
世の中が貧しくなれば、生活は多少苦しくなるかわりに、人の気持ちは良くも悪くも引き締まるだろう、人間の輪郭がくっきりするだろうと思っていたが、実際にはただ萎縮するだけでなく、現実の厳しさ(に向き合たっり認識したりすること)や、自立と孤独が極端に厭われるようになってしまった。そして一方、そうした弱さ故の卑怯な事無かれに対する身も蓋もない怨恨が蟠る。しかし、いずれにしろ膨らみきった欲深さと権利意識の強さが根本だから、リスクと責任を負って自立する気概や誠実さはまるでなく、数をたのむ姿勢は同じ。
こうした傾向は、発言権のある相対的に恵まれた層ほど強く、声無きものは諦念して黙々と耐えている実状が、またやりきれない。

今、自分が何よりも希求して止まないのは、逞しさとダンディズムに裏打ちされている優しさだ。