『イン・ザ・カット』をDVD観賞

bakuhatugoro2004-10-26



ニューヨーク、猥雑な街の風景。
その中を一人走っていく女たちのショットが、時折挟まれる。


主人公は、ガタイのいい黒人の生徒や、ゲイのポン引きとも気さくに挨拶をかわす、作家志望の大学講師。
スラングは性と暴力に関するものばかり。下品だけど、ユーモアがある」
なんてやりとりからも、彼女のリベラルさが受け取れる。


ピンボケでゆらゆら揺れてるような背景を、アップで手や人の影が横切っていく。
メグ・ライアン老けたなあと思ってたら、体系はノーブラにガードルの類も使わずだらしなさを強調してる。メイクもわざと目の隈残していたり、それが却って生々しくてエロティック。
「自立した行動的な女」という外枠だけど、実のところ、妹以外との人間関係がほとんど描かれないから、ひどく孤独な印象を受ける。
結果、背景がぼやけたまま、生理と心理だけが強調される。
そして、身近に殺人事件が起こるのだから、深く知り合ってない(少なくとも観てるこっちにはそれがまったく見えない)周りの人間が、みんな怖くなっても当然だろう。
人種、階級の雑多さがそれに拍車をかける。


けれどこの主人公は、わざわざ怪しい人間の誘いにのっては2人きりになる。
そこに、彼女の性衝動が絡められ、つり橋理論でそれが強調される。
というか、それがこの映画のほとんどすべてと言っていいと思う。


性に対する恐怖と衝動の二律背反。この、ある種の少女マンガ的なテーマが、ジェーン・カンピオンの映画にはいつも匂うけど、今回もサスペンスの形を借りているが、推理の要素もほとんど無く、逆に言えば周囲の人間の怖さも結局全部主人公の強迫観念の影とも言える。要は、いつものそれを流し込む取りあえずのフォーマットという感が強い。
色彩や陰影や音楽への、過剰なセンシティブさが、全体に敏感でエキセントリックな印象を与えているのもいつもどおり。


俺がはじめて観た彼女の作品は『エンジェル・アット・マイ・テーブル』で、今でも凄く好きな一本なんだけど、こうした性や心理に関するセンシティブさは生かされながら、画面もふくめて「引いた」優しさで描写されていたので、男の俺にも受け入れやすかったんだと思う。
それに、主人公のジャネットが、内気ではあるけど妄想癖で、突飛でおかしなヤツだったから愛せたし、救いがあった。
やはり、出口のない強迫観念のようなものを、繰り返しただぶつけられるだけだと、それを共有していない者には、単調になるし、正直ちょっとキツイ。