過敏な神経がだらしなく偽善と感傷を生む

どんどん敏感に様々なことを問題視したり、病気の名前が増えていくことが、本当に幸福に繋がっているか?
本当は、そんなに何もかも細かく意識する余裕は無いのに、お題目を形だけ増やして、却って自分の欲望や、切実なものの順序が見えなくなってはいないか?
本当はそれこそが、いい加減でだらしない姿勢そのものになってはいないか?
少なくとも僕自身は、図太さやスルーする力を身につける必要の方を、自分には切実だと感じている。